日曜日, 12月 21, 2025
ホーム土浦【戦後74年の夏】1 戦時下の土浦 「どんな時も楽しみを見つけた」

【戦後74年の夏】1 戦時下の土浦 「どんな時も楽しみを見つけた」

戦後74年目の終戦の日が今年も巡ってくる。戦争体験者が高齢化し、戦争の実態を次世代にどう伝え、平和への願いをどう引き継げばいいのか。74年前と今をつなぐ夏の景色を追った。

【田中めぐみ】土浦市に住む山口あささん(98)は、16歳で母を亡くし、戦時中は父と妹と3人で土浦駅のそばで暮らした。兄は兵士として中国に行き、弟は横須賀海軍航空隊に所属した。

信仰が心の支えに

あささんが小学4年生の時、長屋の前を通っていると美しい讃美歌が聞こえ、思わず中に入った。キリスト教の講義所だった。大人たちが優しく招き入れてくれたのがきっかけで講義所に通うようになり、クリスチャンとなった。戦時中も週に1度は集まりに参加した。「一生懸命努力して自分の力を出して働きなさい、そして良いことを行いなさい」という牧師の話を聞くと、いつも元気になって帰ることができたという。教会では皆が協力して食べ物を持ち寄り、行けばいつでも食べ物があった。教会は心の支えだったと話す。

あささんは戦前から、叔父の経営する会社で洋裁の技術を生かし、学生服を縫って働いた。太平洋戦争が始まる1941年には、社長だった叔父が従業員を並べ、「これから戦争になる。縫うものにも混ぜ物が入るかもしれない」と話をした。「こんな大きい戦争になるとは思いもしなかった」という。

男子が兵隊に取られ、労働力が不足すると、一時期、東京に出て、品川の軍需工場で働いた。しかし、洋裁のことも忘れなかった。学生服だけではなく家族が着る物も縫えるようになりたいと、夜間は五反田にある洋裁の製図専門学校に通った。昼間は軍需工場でラジオの真空管を作り、夜は学校に通う生活が1年半ほど続いた。仕事の行き帰りや昼休みには、同僚と干し芋を食べるのが楽しみだったという。「みんな同じ境遇だから辛くはなかった。どこに行っても楽しみはあるもの」と話す。戦中から今に至るまで、洋裁の仕事を辞めずに続けてきたことが誇りだという。

阿見大空襲、町が赤く燃えた

土浦に戻ったある日、大岩田の畑にじゃがいもを植える勤労奉仕をしていた時、数匹の猫を見つけ、嫌がってひっかくのを無理やり抱いて1匹連れ帰った。猫はすぐになつき、「ミーちゃん」と名付けかわいがった。空襲警報のサイレンが鳴ると、猫を抱いて一緒に防空壕に逃げた。

土浦ではほとんど怖い経験はなかったが、1945年6月10日の阿見大空襲の時は、B29に爆撃された町が赤く燃えているのを見て恐ろしかったと振り返る。

駅前は歩けないほどの人混み

終戦の年、あささんは24歳だった。8月15日の玉音放送の日、土浦駅前は人でごった返した。玉音放送がよく聞こえず何が起こったか分からない人、敗戦を信じられない人、日本が負けたと悟っている人、多くの人々が互いに情報を求め、駅前に詰めかけていた。

歩けないほどの人混みの中、教会に向かっていると、途中で泣いている若い女性と出会った。夫が霞ケ浦海軍航空隊に所属しているという。女性は何が起こったのか分からず、とにかく海軍航空隊に行けば情報が得られるのではと考え、遠くから来たということだった。泣く女性を連れて教会に行くと、牧師はいつも通り落ち着いていて、「大丈夫だから」と話してくれた。あささんは安心し、その女性も気持ちを落ち着け、帰っていった。駅前の人々もそれぞれの方法で納得し、帰ったようだった。

町を見下ろし涙があふれた

幸いなことに、終戦後すぐ中国に出征していた兄が帰ってきた。追って横須賀の海軍航空隊にいた弟も無事戻った。父は兄と弟の無事を心から喜んだ。

戦時中は貴重品などの荷物を真鍋の親戚に預けていた。終戦の翌年の2月、預けていた荷物を取りに行き、真鍋の坂から土浦の町を見下ろした時、思わず涙があふれてきた。「これでやっと終わった」。あささんは、この時初めて終戦を実感しほっとした。その翌日、土浦に雪が降ったことを覚えている。

今は短歌や詩、文をつづるのが趣味というあささん。日々の出来事を書いて投稿し、新聞に掲載された切り抜きをスクラップしている

➡昨年の終戦の日連載企画「戦後73年の記憶」はこちら

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

堆肥にまみれたこと、ありますか?《マンガサプリ》2

【コラム・瀬尾梨絵】今回紹介するマンガは、数々の名作を送り出してきた荒川弘先生の異色エッセイマンガ「百姓貴族」(新書館、現在8巻まで)。この作品は知らずとも、緻密な世界観と深いテーマで読者を魅了した「鋼の錬金術師」や、命の重みと青春を描いた「銀の匙(さじ) Silver Spoon」はご存じの方も多いだろう。荒川先生の魅力は、話の構成の深さ、個性際立つキャラクターの造形、読者を引きつける圧倒的な画力にある。 子どものころ、「こんなマンガを描けるような大人になれたら」と思わせてくれたその才能が、本作ではフィクションの鎧(よろい)を脱ぎ捨て、等身大の“農家”というフィルターを通して爆発している。 「百姓貴族」の舞台は、先生の実家である北海道の酪農家。タイトルに冠された「貴族」という言葉は、大地の恵みで自給自足の生活を営む農家に対する、都会人からのユーモラスな皮肉かもしれない。しかし、描かれているのは想像を絶する過酷な労働と、それに立ち向かうたくましい家族の日常だ。 作中には、酪農を営む実家での「農家あるある」が満載。非常食は常に収穫物でストックされ、エゾシマリスやヒグマといった野生動物との攻防は日常茶飯事。「牛乳が飲み物ではなく、エネルギー源」として扱われるなど、私たちが持つ常識を軽々と超えてくるエピソードの数々は、全く共感できないが笑えてくる。 食と命と家族ドラマ 中でも作品の核となるのは、個性と生命力が強すぎる荒川家の人々との絆が描かれている点。一家の大黒柱である肉体が徐々にメカになりつつある父や、パワフルな母、姉妹たちが繰り広げるハプニング、常人離れした判断基準は、読者に笑いを提供するだけでなく、彼らの生活力がどれほど強靭(きょうじん)であるかを教えてくれる。 ファンタジーの世界観で鍛え上げられた荒川先生の画力をもって、時にリアルに、時にコミカルに描かれる家族の表情一つ一つが、物語に圧倒的な熱量を与えてくれる。他の作品たちの中では異色かもしれないが、この「百姓貴族」を読み進めるにつれて、私たちは普段何気なく食べている「食」の裏側にある、途方もない手間と愛情、そして大地への感謝を知ることができる。 ただのコメディでは終わらない、食と命と家族のドラマ。荒川弘ファンはもちろん、「銀の匙」で農業の楽しさに触れた人、そして日々の食卓に隠された熱いリアリティを知りたい全ての人に、自信を持ってお勧めできる最高のノンフィクション作品だ。(牛肉惣菜店経営)

「公示送達」のネット拡散に懸念 つくば市議会で珍事

行政が、税金未納者に督促状を送ったり滞納者の財産を差し押さえたり、法令違反による許認可の取り消し処分などを行う際、相手の住所が不明で、督促や聴聞の通知が相手に届かず郵便物が戻ってきてしまった場合、役所の掲示板などに紙の通知文を一定期間掲示することで相手に通知が届いたとみなす「公示送達」という制度がある。つくば市議会12月定例会最終日の19日、「公示送達」方法を見直しインターネットで閲覧できるようにするという二つの条例改正案をめぐって、委員会で賛成者ゼロで否決された条例案が、本会議で賛成多数で可決するという珍事があった。 二つの条例は、地方税法の改正に伴う市税条例の改正案と、行政手続法の改正に伴う行政手続条例の改正案。本会議に先立って詳しく審議された総務文教委員会では、市税条例は賛成少数で否決、行政手続条例は賛成者ゼロで否決された。しかし19日の本会議では一転、いずれも可決された。問われたのは、インターネットに個人や会社の不利益な情報が掲載されることにより、拡散されたり、削除が困難となる懸念に対する歯止めだ。 二つの条例はいずれも、政府のデジタル規制改革推進一括法が2023年6月に公布されたのに伴うもの。これまで役所の掲示板に一定期間掲示されていた公示送達の紙の文書を、インターネットでいつでもどこでも閲覧できるようにするという全国一斉の見直しだ。 市納税課によると市税については、宛て所不明や転居先不明で納税通知書や督促状が相手に届かず市役所に戻ってきてしまい、さらに住民票で転居先を確認したり、近隣の場合は現地調査をしても所在が分からなかったり、外国人の場合は出入国管理庁に開示請求などをしても分からなかった場合などに公示送達し、市役所正面玄関脇の掲示場に、通知内容と対象者の氏名などを掲示する。 2024年度中に個人や会社を公示送達した事例は、市・県民税が161人、固定資産税が34人、軽自動車税が115人だった。徴収回数は年に複数回あることから、国民健康保険税を除く市税に関し計836件の公示送達があり、納税通知書が手元に届かず自ら市役所窓口に税金の支払いに来て、自分が公示送達されていることを知ったケースもあったという。 一方、行政手続条例改正案に関し、許認可の取り消しなどを行うにあたり相手の意見を聞く聴聞手続きについて、過去に公示送達を行ったのは0件という。 二つの条例改正案の施行時期は、市税条例は来年6月末までの地方税法改正に合わせて施行し、行政手続条例は来年5月の行政手続法改正に合わせてそれぞれ施行する。施行後、同市では新たに市のホームページに公示送達が掲載されるほか、市の掲示場にも掲示される。 市ホームページに掲載される中身については、デジタル庁が8月に示した運用指針に基づき、市税についてはこれまで、納税通知や督促などの通知内容と個人名や会社名などを掲示していたものを、改正後は、地方税法第〇条に基づく通知とするなど、法令と個人名や会社名を掲載するほか、個人を検索できないよう画像の状態で掲載するとしている。 10日開かれた総務文教委員会では「地方税法第〇条という掲載でも、条文を調べれば内容が分かってしまう」「(目的外での拡散など)悪用を防ぐ仕組みができていない」「SNSで拡散された事例があるので心配している」「リスク管理が不十分な中で拙速に進めるべきではない」などの意見が相次いだ。 19日の本会議では、条例改正に賛成する議員から「住所や所在が不明であっても不利益処分を受ける可能性がある人に意見を述べる機会があることを伝えるための措置。時代に即した必要な対応」だなどの意見が出た一方、「インターネットで公開すると情報が拡散されることが容易になる。一度拡散された情報は簡単に消すことができない。(目的外の閲覧を)取り締まる仕組みや、プライバシーに配慮した運用はまだ整っていない」などの反対意見が出て、二つの条例改正案いずれも賛成多数で可決された。 委員会で反対し、本会議で賛成した議員の一人は「市執行部から委員会後に説明を聞いたところ、上位法がスタートする時から県も市町村も合わせていかなくてはならないということだった。条例が通らないと市職員の負担が相当重くなったり、支障をきたすということなので本会議では賛成した」と話している。 市納税課は条例施行後の市ホームページでの掲載方法について「国や県の取り組みを参考にしながら検討していきたい」などとしている。(鈴木宏子)

高校生が江崎玲於奈賞受賞者と科学交流 つくば

探究活動や課外研究で科学の実験などに取り組むつくば市内の高校生が実験成果を発表し、顕著な研究成果を上げ江崎玲於奈賞を受賞した研究者から講評を受けたり、直接会話して懇談する「科学交流会」が19日、つくば国際会議場(つくば市竹園)で開かれた。昨年に引き続き2回目の開催となる。 茨城県科学技術振興財団(つくば市、江崎玲於奈理事長)とつくばサイエンス・アカデミー(つくば市、江崎玲於奈会長)が主催し、関彰商事が協賛した。 発表したのは、並木中等教育学校、茗溪学園中高、つくばサイエンス高、竹園高に通う高校生9人。講師を務めたのは、省電力で高性能な次世代のメモリ素子開発に可能性を開く研究で2023年にで江崎玲於奈賞を受賞した理化学研究所の十倉好紀さんと于秀珍さん。于さんは初の女性受賞者だ(23年11月20日付)。 並木中等教育学校高校2年の中島桃花さんは、「光の波長におけるイースト菌の代謝制御への影響」を発表。パンを作る際に欠かせないイースト菌に可視光を当てると、波長によって発生する二酸化炭素の量や、細菌などの微生物がシャーレなどの上で増殖してできるコロニーの数が異なることに着目した。グルコース(ブドウ糖)の消費量を調べることで、その原因を探った。 茗溪学園高2年の秋山茉白さんは、食品添加物として使用されるグリシンが、細菌のストレス耐性に及ぼす影響について調べた。 つくばサイエンス高1年の飯岡玲菜さんと染谷千穂さんは、水道から流れ出る水を2リットルのペットボトルに入れた際の音の変化について、注水の様子を撮影した動画と音声編集ソフトを用いて分析した。 生徒たちの実験結果に対して講評に立った十倉さんと于さんは、「レベルの高い研究発表」「面白い研究」などと感想を述べたほか、「論拠をしっかり書く必要がある」「科学では、どのくらいなのかを具体的に説明しなければならない」などと、生徒らにアドバイスを送った。 つくばサイエンス高の飯岡さんは「発表はとても緊張した。(講師や他の生徒からの質問は)とても勉強になった。答えられなかったところもあったが、これからの活動に生かしていきたい」と話した。また、飯岡さんとともに登壇した染谷さんは「今回の経験を生かして、2年次に向けて、より完成度の高いものにしていきたい」と意気込みを語った。 イベントにビデオメッセージを寄せた江崎理事長は、「参加する高校生の皆さんは、日頃から探究活動や課題研究に取り組んでおられると伺っている。これからの時代を担う皆さんが科学に興味を持ち、研究を行うことは大変素晴らしいこと。本日の科学交流を通じて創造力をさらに高め、研鑽(けんさん)を深めて、今後の活動に生かしていただきたい。本日参加している高校生の皆さんの中から、いつか江崎玲於奈賞の受賞者が出ることを願っています」と、科学に打ち込む生徒たちに言葉を送った。(柴田大輔)

冬鳥ジョウビタキとの夏《鳥撮り三昧》8

【コラム・海老原信一】この時季、皆さんの近くでもジョウビタキの姿を見かけるでしょう。オスはオレンジ色のおなかとシルバーグレイの頭部が美しく、メスは全体に薄いオレンジ色をしており、ちょっと控えめな色合いです。どちらも体側に白い小さな羽模様があり、「紋付き鳥」とも言われています。 今ごろ見られるのは、越冬のためにやって来るからで、冬鳥と言われます。4月ごろまでは観察できますが、いつの間にか北へと帰ってしまい、見られなくなります。そして、9月末~10月にまたやって来るという忙しい生活をしています。そのジョウビタキが日本でも繁殖しているようです。 2009年8月、諏訪市の高原で、ジョウビタキの幼鳥に出会ったのです。毎年、ノビタキ、ホオアカ、カッコウなどを観察に行っているのですが、その時も夕暮れ時に出てきたノビタキの幼鳥を撮影した(つもりでいた)のです。帰宅後画像を見返して、違和感を持ちました。「これ何だかノビタキとは違うぞ」。 そこで鳥見の先輩方に画像を送り、ジョウビタキの幼鳥と確定できました。まだ繁殖情報がさほど多くない中での出会いで、人知れず興奮したものです。そのような状況ですから、公表は避けた方がよいと言う先輩方の助言を入れ、公表しませんでした。それから16年。私は、2016年、19年、24年、今年、同じ地域で、成鳥・幼鳥の姿を確認しています。松本市の乗鞍高原でも観察しました。 国内を移動する「漂鳥」? 今日、ジョウビタキの国内繁殖は確実となり、繁殖適地での観察や報告が増えています。長野県では、その状況を観察・研究している人たちがおり、八ケ岳近辺での繁殖状況も報告されています。 一方、ちょっと考え込んでもいます。本来、北で繁殖するジョウビタキが、なぜ夏の日本で繁殖するようになったのか、と。近年、地球規模での温暖化が進んでいると言われます。そのようなことから、「北の繁殖地もさほど涼しくない状況になっているのでは」と想像しています。 わざわざ遠距離を移動せず、冬を越した日本の高所と似たような環境があれば、そこを利用すればよい―そんな選択をした個体が現れても不思議ではありません。そういった個体が増えれば、冬鳥ではなく、国内の標高差・地域間を移動する「漂鳥」になる可能性さえあります。そうなれば、ジョウビタキだけの話ではなく、生き物全体の話でもあると考えたりしています。 それは「素人の杞憂」と言われれば、それに越したことはないし、そう願うところです。(写真家)