日曜日, 7月 25, 2021
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地図と写真でたどる「戦争の記憶」 土浦市立博物館がマップ発行

土浦市立博物館(同市中央、糸賀茂男館長)が「戦争の記憶マップ」を発行、販売を開始した。携行しやすいB5判冊子で、両面カラーB2判のマップを八つ折りしている。一部150円。 同館では、戦後70年にあたる2015年「戦争の記憶―土浦ゆかりの人・もの・語り」を開催した。さらに2017年にかけて「市民の記憶」収集事業として、戦中、戦後の市民らの体験談や聞き取り調査を行い、報告書『土浦の人と暮らしの戦中・戦後』を刊行した。マップはこれらの収集事業の一環として作成したものだ。 表紙は川口にあった3階建ての「土浦館」、昭和19年(1944)「土浦学寮」となって疎開児童を受け入れた 学芸員の野田礼子さんは「報告書を読んでも史跡がどこにあるのか分からないこともある。展覧会で紹介しづらかった施設もあった」とし「分かりやすく学校の授業などでも活用できるマップを作りたいと思った」と話す。記憶を伝える人と場所がともに失われつつあるなかでの作業となった。 片面には、土浦を中心に現在の阿見町に広がる地図に、霞ケ浦海軍航空隊、土浦海軍航空隊など戦争にまつわるさまざまな史跡の位置を記している。裏面には、地図上に記した史跡の写真と解説が記載されている。地図と写真を照らしあわせながら、戦争の跡が残る場所を確認したり尋ねたりすることが可能だ。 特に、予科練指定食堂や海軍住宅跡が今も残る駅周辺と、第一海軍航空廠(しょう)跡や海軍工員住宅、砲台などがあり、戦後は海外からの引揚者が多かった中村、右籾地区については別途くわしい地図を掲載している。

《霞月楼コレクション》12 ツェッペリン伯号霞ケ浦飛来と熱烈歓迎

【池田充雄】1929(昭和4)年8月19日、風が止まったような夏の午後、土浦の町が突然薄暗くなり、見上げると巨大な銀色の葉巻のようなものが浮かんでいた。大空の巨鯨と形容されたドイツの飛行船LZ-127、愛称を「グラーフ(伯爵)ツェッペリン号」という。 大空を行くツェッペリン伯号の雄姿 ツェッペリン伯爵と後継者フーゴ・エッケナー博士は、1937年までに130機の飛行船を建造。軍事、旅客、航空郵便・貨物などに活用された。1928年に完成したLZ-127は全長236.6メートル、最大直径30.5メートルの偉容を誇り、マイバッハ社530馬力エンジン5基を搭載。燃料は重量軽減のため主にブラウガス(石油気化ガス)を用い、最高速度は128キロ。巡航速度の117キロでは1万2000キロの航続距離があった。 ツェッペリン伯爵(左)とエッケナー博士ら、1911年ごろ 幹部乗員らを霞月楼に迎える

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理科の自由研究 どうしよう 《食う寝る宇宙》90

【コラム・玉置晋】友人の宇宙ファミリー(コラム44参照)から「ウチの子の学校で、夏休みの宿題で理科の自由研究が必須になったのだけれど、よいテーマはないかなあ」と相談メールがきました。僕はすかさず、「じゃあ、宇宙天気について調べてみたら?」と、自分の研究仲間を増やすべく勧誘しています。 研究テーマの設定は、小中学生であろうと大学院生であろうと悩むものです。科学的な自由研究に取り組むコツを、気象学者の荒木健太郎先生が「科学的な自由研究とは?」と題してまとめてくださっています。参考にしてみてください。僕も先日、友人に教えてもらって、目から鱗(うろこ)が落ちました。 アクセス先はこちらです。「天気自由研究を大募集!『すごすぎる雲の研究』にチャレンジしよう!」 太陽の裏で大爆発 7月14日の夜中、人工衛星が太陽から広がるガスの様子を捉えました。ガスとは太陽の大気(プラズマ)で、これが宇宙空間に吹き飛ばされる現象を「コロナ質量放出(CME:Coronal Mass Ejection)」といいます。地球から、CMEは放射状に拡がって見えました。こういう場合は、地球方向に近づいているか、太陽の反対側に遠ざかっているか、どちらかです。

決勝は常総学院vs鹿島学園【高校野球’21】

第103回全国高校野球選手権茨城大会は24日、ノーブルホームスタジアム水戸で準決勝2試合が行われた。第1試合では常総学院が、好投手の樫村佳歩を擁する水城と対戦、ロースコアの接戦の末、2-1で競り勝った。第2試合は鹿島学園が石岡一を7ー1を下した。決勝は26日、同球場で常総学院と鹿島学園が甲子園出場を賭けて対戦する。 常総学院は先発の秋本璃空が7回まで1安打3三振の好投。唯一の失点は2回で、安打と犠打、内野ゴロで2死三塁から暴投で与えた。「2回の先頭打者には軽く投げてしまった。ちょっと抜くところが欠点で、それを治せば信頼できる。調子は良いときの彼に戻ってきた」と島田直也監督。 復調した秋本が次戦もカギを握るか 秋本自身は「変化球がよく低めに集まり、完投しようと思っていた」そうで、7回も自ら志願して行ったが、足がつったため1死で大川慈英に交代。「秋本が粘ってくれたので、自分は短いイニングで全力で集中して投げた。連投で疲れはあったが、打者に対し1球1球コースをイメージして、しっかり腕を振って投げられた」と大川。最速を更新する148キロを出したが「自分としては球速よりもキレ。出たな、という程度」の感想だそうだ。

TOKYO2020 善後策のプラチナメダル 《ひょうたんの眼》39

【コラム・高橋恵一】いよいよオリンピックが始まった。東日本大震災の復興の証しとして、福島原発事故の終息の証しとして、安倍前首相がスーパーマリオに扮(ふん)し、原発の処理水も完全にコントロールしているとして、誘致したオリンピックである。最近の商業主義が色濃くなったオリンピック主催を躊躇(ちゅうちょ)する意見もあったが、じり貧の日本経済の回復を見込む動きが強く、2020東京開催が決まった。 大会が半年後に迫るとき、新型コロナウィルスによるパンデミックが起き、中止や2年延期の議論が起こる中で、前首相は「完全な形でのオリンピック」を目指し、1年延期を決断した。 完全な形のオリンピック。私は、1964年の東京オリンピックをイメージする。スポーツを通しての世界連帯、人種、国籍を超えた人々の交流。オリンピック期間中は戦争を中断した古代オリンピックに習う、平和のスポーツ祭典である。日本にとっては、平和国家としてアジア、世界に認めてもらうと共に、戦後社会経済の復興・発展を遂げ、欧米以外のアジア・アフリカ諸国の地位向上の先頭に立つイベントでもあった。 秋晴れの青空にブルーインパルスの飛行機雲が地球連帯を表す五輪マークを描いた開会式には、最大の参加国、最大の参加選手を迎え、新国立競技場を満員にした観衆が応援し、日本中に行き渡ったテレビが中継した。 日本人選手だけでなく、聞いたことのない国の選手やなじみの少ない種目の女子選手など、世界各国のあらゆる選手の活躍に感動し、応援した。各々の国旗の下に整列した開会式に高揚し、全ての競技で全力を尽くした最後の夜は、選手が国別ではなく、入り混じって、手をつなぎ、肩を組んで、満面の笑顔で入場し、互いの活躍を称えあったのだ。「完全な形」の平和のスポーツ祭典の閉会式だった。 全選手と関係者に「栄誉と感謝の気持ち」を

オオムラサキを見に行こう 《くずかごの唄》90

【コラム・奧井登美子】私たちが「どんぐり山」と呼んでいる山がある。21年前の2000年、皆でどんぐりの実を持ち寄り、「どんぐりの里子作戦」と名づけて、かすみがうら市加茂の岡野静江さんの畑(1500坪)にまいたのが始まりである。 作戦には130人もが来てくれた。東京の台東区の子供たちや、廃校になった土浦の宍塚小学校の子供たちも参加して、草取り、苗植えなどなど、森づくり作業に喜んで参加してくれた。 どんぐりの苗よりも大きくなってしまった雑草を刈りとるのが一仕事。皆、蚊や蚋(ぶよ)に刺されて大変だった。現地の人たちは、草むしりの前に殺虫剤をまくことを提案してくれた。私たちは将来の昆虫の森を夢に見ていたので、殺虫剤だけはまかないでほしいと、「殺虫剤の勉強会」まで開催してその案を阻止した。 広い畑の下草刈りはあまりに重労働だったので、敷地の半分くらいに段ボールを敷き詰めて、「ペーパーマルチ」を実験してみた。段ボールが溶けてなくなるまでの2~3年間、その場所の雑草は生えずにどんぐりの木を守ってくれた。 雑草取りの手間が省けてとてもよかったと喜んだが、段ボールの下は冬でもかなり暖かいらしく、いつの間にか、ヤマカガシ君とマムシ君たちの別荘になってしまったらしい。 会いに行くことが楽しみ