月曜日, 9月 26, 2022
タグ 浦田正夫

Tag: 浦田正夫

初公開含む収蔵品12点展示 土浦市民ギャラリーで浦田正夫日本画展

【池田充雄】土浦駅前の土浦市民ギャラリー(同市大和町)で9月6日まで、日本画の重鎮で土浦ゆかりの「浦田正夫日本画展」が開かれている。市の収蔵品から12点を選んで展示しており、うち3点はギャラリー初公開。いずれも大判の作品で見応えがある。 浦田正夫(1910~1997)は、日本芸術院会員や日展事務局長などを務めた。戦後の一時期、土浦周辺に疎開し地域の美術復興に力を尽くした。市では現在、日本画27点のほか自作陶器やスケッチ類など豊富な作品を所蔵しており、隔年で収蔵品展を開催している。 今展では、土浦疎開中の1950年に描かれた「蓮池」から、1985年発表の「蓮沼」まで12点の作品を、夏から秋・冬・春を経て再び夏へと四季が巡るかのように構成している。35年の隔たりがある新旧2枚の蓮の絵を見比べ、その間の画風の変遷を見比べることができる。 展示作品の一つ、浦田正夫「蓮池」(1950年、171×182cm) 「初期はシンプルな色遣いだが、年を経るごとに中間色が増え、構図も複雑になってくる。心象世界としての風景を描いているので、じっくり見てほしい。ぜひギャラリーに足を運び、1点1点時間をかけてご覧いただきたい」と、同館の米田修主任。

《霞月楼コレクション》2 浦田正夫 土浦疎開を機に新たな作風開花

【池田充雄】日本芸術院会員、日展事務局長などを務めた日本画の重鎮、浦田正夫は土浦とも縁が深い。1910年(明治43)熊本県山鹿市生まれ。代々画家の家系で祖父は浦田雪翁、伯父は高橋廣湖、父は浦田廣香。 題・年代不詳(1945年に描かれた類似構図の写生があるため、同年以降の制作と推察される)絹本彩色軸装 43×50.5cm 霞月楼所蔵 1915(大正4)年、父に連れられ上京。中学卒業後は画家を目指し、伝統の大和絵に近代的な造形感覚を加味した「新興大和絵」を唱えた松岡映丘に入門。並行して岡田三郎助らに洋画も学ぶ。東京美術学校日本画科に入学し、在学中の1933(昭和8)年、第14回帝展に「展望風景」で初入選。その後も帝展や文展などで受賞を重ねた。 美校卒業後は同じ映丘門下の山本丘人、杉山寧らと瑠爽画社(るそうがしゃ)を結成。後にその活動は一采社(いっさいしゃ)に引き継がれる。正夫は両団体を通じて中心的役割を果たし、仲間と共に新しい日本画の創造に取り組んでいく。 戦後の美術復興を土浦から始める

Most Read

5位でシーズン終える つくばFC 最終戦は黒星 

リーグ最終戦となる関東サッカーリーグ1部後期第9節、ジョイフル本田つくばFC対東京23FC(本拠地・江戸川区)の試合が25日、つくば市山木のセキショウ・チャレンジスタジアムで開催され、つくばは0-3で敗れた。つくばのリーグ成績は6勝4分8敗で10チーム中5位。来季も関東1部で日本リーグ(JFL)昇格を目指して戦う。 第56回関東サッカーリーグ1部 後期第9節(9月25日、セキショウ・チャレンジスタジアム)ジョイフル本田つくばFC 0-3 東京23FC前半0-1後半0-2 前日の台風15号による荒天から一転して秋晴れとなったこの日、会場のセキショウ・チャレンジスタジアムには今季2番目の516人の観客が詰めかけ、キックオフを迎えた。相手の東京23は現在3位で、今節の結果によっては全国地域サッカーチャンピオンズリーグ(地域CL)出場権が得られる2位以内の可能性も残されているため、激しい戦いになることが予想された。 つくばは今節、フォーメーションを変更し、宮本英明と熊谷誠也の2トップを起用。「相手がどう来ようとも自分たちが主導権を握り、アクションを起こしてしっかりボールを動かしていこう」という副島秀治監督の構想だった。 前半31分、郡紘平のドリブル突破(同)

耕作放棄地を黄色く染めたい 染色家らがプロジェクト 筑波山麓

つくば市作谷で染色体験教室「ぷにの家」を開いている飯塚優子さん(50)が提唱する「耕作放棄地をお花畑にして地球を黄色く染めよう」プロジェクトが佳境を迎えている。作谷の耕作地で、このほど第4回「お花畑を空から見てみよう~ドローンで撮影&お花つみ会」が催され、10月2日の「お花つみ&マリーゴールド染め」で最終回を迎える。 プロジェクトは、不登校児童生徒の支援などをするリヴォルヴ学校教育研究所(つくば市二の宮)が運営する地域文化スポーツクラブ「むすび場」との2団体による企画。作谷にある約2000平方メートルの畑地を耕し、6月からマリーゴールドの苗を植え、草取り、花摘み、染色など全5回の行事を積み重ねてきた。 飯塚優子さんは25年のキャリアを持つ染色家(21年10月30日付)。転勤族の親のもと様々な土地で生活してきたが、田舎暮らしへの憧れから、作谷にある祖母の暮らす築300年の家で生活を始めた。「ぷにの家」はその染色工房。「収益のためではなく、教育と地域活動の一環として」の取り組みだそうだ。飯塚さんは旧作岡小学校でPTA会長を務め、ご当地カルタを考案し、コミュニティー活動の下地をつくってきた。 飯塚優子さん 今回は「染色家なのだから、地球も染めてしまおう」と踏み出した。つくば市に13%あるとされる耕作放棄地をお花畑にすることで景観の改善を図りたい、また、持続可能な活動の重要性を子供たちに知ってもらいたいという教育的な意図から、プロジェクトを実施することにした。 しかし、実際にマリーゴールドを育ててみると、花がうまく育たない。消毒をあまりしなかったためか、ネキリムシの被害に遭った。一帯を広く黄色く染めるはずが、出来てみると5分の1の面積にしかならなかった。農薬を使いこなさないと立ち行かない農家の現実を知ることになった。「うまく花が育たないのも、自然のことだと納得した」という。

棗とナツメ《続・平熱日記》118

【コラム・斉藤裕之】今年も玄関脇の棗(なつめ)がたわわに実った。身の重さで稲穂のように枝が垂れ下がるほどだ。友人の植木屋さんによれば、うちの棗の実はかなり立派なのだそうである。参鶏湯(サムゲタン)などに使われるとか、漢方薬として体に良いとかいわれる棗だけれど、数年前に加工してビンに保存した実は一度も使ったことがない。 棗との出合いはかなり昔にさかのぼる。夏休みにまだ小さな子供たちと帰省した折、よく訪れていた公衆温泉浴場がある。海水浴に行った後などは、風呂に入れる手間がかからず安価で便利をした。 その浴場の駐車場に涼しげな木があった。それが棗だ。そのことを覚えていて植えてみた。しかし見た目にはわからなかったが、幹や枝にはかなり強烈なトゲを身にまとっていて、かなり厄介だということがわかった。特に若い枝は小さな鋭い棘がいっぱいで、不用意に触ると大変だ。なるほど、棘(とげ)という字と棗という字が似ているのは納得できる。 さて、ここに別のナツメが3つある。茶道で使うお茶の粉を入れるナツメだ。棗の実に似ているので、こう呼ばれるそうだ。これは亡き母のもので、母は茶道の先生の看板を持っていた(茶を入れたところは見たことがない。多分、日々の暮らしが忙しすぎてそれどころではなかったのだろう)。 数年前、実家を処分するときにわずかに持ち出したものの中に、このナツメがあった。恐らく、通販かなんかでシリーズものとして買ったのではないかと思われるのだが、1つは木製で黒と赤の漆が塗ってある。それから白い陶器のもの。これには梅のような花が描いてある。最後は錫(スズ)製のもので植物の蔓(つる)が彫られている。 あの3つのナツメがちょうどいい

土浦「二番橋」解体へ 古レール構造物の文化財価値不明のまま

JR常磐線をまたぎ土浦市富士崎2丁目と小松ケ丘町を結ぶこ線人道橋、通称「二番橋」が26日から通行止めとなり、架け替え工事が始まる。同じく通称「一番橋」の撤去とセットになった工事で、二番橋は22年度に撤去し、23年度の新設を待って、一番橋を24年度に撤去、25年度に工事完了となる。 2橋とも自動車は通行できない自転車歩行者用の橋で、土浦市の管理する市道。2016年の点検で、構造物の機能に支障が生じる可能性があり、早期に措置を講ずべき状態であると位置付けられた。17年度の交通量調査では、主に二番橋を周辺の住民や土浦日大生が利用している状況で、一番橋の利用者は極端に少なかった。同市はJR水戸支社や県などと調整し、二番橋は架け替え、一番橋は撤去で道路橋の統廃合・集約化を行うこととし、両側の地区にも地元説明会で理解を求めた。 工事は協定書を結んでJRの関連会社が行う。5カ年事業で総工事費は約9億9000万円を予定している。道路施設としての橋梁に係る工事費が約7億300万円。夜間工事は行わず、架け替え後も自動車は通行できない。 建設時期めぐるミステリー 二番橋付近に資材置き場が造成され、大型重機が持ち込まれた昨今、周辺の地区からの関心も引くようになった。話題の中心は、2橋の建設時期だ。同市小松の二十三夜講に集まる70代、80代のお年寄りたちに聞くと、地元育ちの全員が子供のときからあった橋だという。「汽車が来ると橋の上で煙を浴びる遊びをした。床板は枕木の廃材利用で隙間が空いていた。床板はコンクリートに変わったが、橋脚や桁(けた)は鉄骨代わりに古レールが使われた構造のままだ」 常磐線の前身、日本鉄道海岸線は1896(明治29)年に土浦・田端間で開通している。これに先立つ工事で、荒川沖駅方向から土浦市街地に抜けるルートとして小松丘陵に切り通しが出来、人道橋が架けられた。線路の敷設はその後になるはずだ。二十三夜講総代の広瀬昭雄さん(83)は「橋の原型は、鉄道建設以前にさかのぼる」と断言する。