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つくば牡丹園
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つくば牡丹園
つくば
水面に浮かぶシャクヤク8000輪 つくば牡丹園 会期後半のハイライトへ
2021年5月7日
花季がボタンからシャクヤクに移った「つくば牡丹園」(つくば市若栗、関浩一園長)に8日、ファン待望のシャクヤク池がお目見えする。6万平方メートルを超す敷地にボタン、シャクヤク合わせて約800種、6万株を栽培する同園、今シーズンは4月17日オープンし、5月23日まで開園している。 花季のほぼ1カ月間だけ開園する会期中、後半のハイライトとなるのが、水面に約8000輪のシャクヤクを浮かべる企画だ。8、9日を皮切りに、15、16日、22、23日の毎週末行われる。 花は、稲敷市のシャクヤク農家で育てられたもので、市場への出荷時期を過ぎた分を譲り受けている。市場へは通常、つぼみの状態で出荷されるが、咲いてしまった分は翌年に備えて花摘みを行う。その作業を牡丹園スタッフが手伝い、園に持ち帰って企画に用いる。 池には竹で組んだかごに花を盛って花いかだを作り、全部で15かごほどを池に流し浮かべる。2018年に3000輪ほどで試行的に行い、翌年は5000輪と数を増やし、昨年は1万輪にまで数を増やした。 コロナ禍に見舞われた昨季は特に4月中、全国的な緊急事態宣言が発出されたことから例年の3割ほどに客足がダウンした。それでもシャクヤク池を待望するファンたちが足を運んでくれたことで、「後半の持ち直しを支えた」(関園長)という。 赤、白、黄の花々に彩られた園内(7日撮影)
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つくば
感染予防対策徹底し開園決断 つくば牡丹園
2020年4月13日
ボタン、シャクヤクの花が見ごろを迎える国内最大級のボタン庭園「つくば牡丹園」(つくば市若栗、関浩一園長)が11日開園した。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、予防対策を徹底することで今季の開園を決断した。会期は5月24日まで。 屋外施設だが、県の外出自粛要請を受け、開園するかどうか慎重に検討してきた。マイカーで来園でき、他の来園客と接近せず園内を見て回れること、消毒液の設置やスタッフのマスク着用・検温などを徹底しながら営業することにした。屋内施設のカフェは、テーブルといすの数を昨年の6割ほど減らし、2メートル以上の間隔を空けた。 今年は園内のイベントも自粛する。7日に緊急事態宣言が発せられたことから、首都圏への広告も自重、「テレビ局からの取材もストップしている」という。 昨年はピーク時に2000人が訪れた。今年、列をつくるほどの来園者があったら入場制限なども検討する。 同園は6万平方メートルを超す敷地にボタン、シャクヤク合わせ約800種、6万株を栽培する。除草剤や殺虫剤を使わない、無農薬・酵素農法の造園管理で知られ、150歳のボタン「島の司」、新品種のシャクヤク「令和」などを栽培する。 無農薬栽培のため、オフシーズンは草取りや手入れに追わてきた。6月から9月は毎日草取り、10~11月は庭園を一部リニューアルし、株を植え付け、肥料を施す。近年の温暖化で冬場も休むことなく草取りを続け、花が開く4~5月の44日間だけ年1回開園する。関園長(59)は「365日のうち321日は苦労の日々。簡単に閉園にできなかった」という。
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Most Read
認識の対立を克服するには? 《文京町便り》4
コラム
2022年5月22日
【コラム・原田博夫】2月24日以降、ロシアのウクライナ侵攻の報道に接していると、戦争の背後に潜む正義は、時代や場所、あるいは人や組織で異なっていることが分かる。侵攻したロシアやプーチンには、少なくとも自国民向けの必然性や正当性があるはずである。 ロシアがこのような暴挙に至った経緯や背景は必ずしもつまびらかではないが、ここ数年来、米国やNATO(北大西洋条約機構)によるロシアへの圧力・圧迫があった(と、少なくともロシアおよびプーチンが思い込んだ)ことは確かである。その意味では彼らには、ゆがんでいたにせよ、なにがしかの必然性があったはずである。それなくしては、このように大規模な「特別軍事作戦」(一方的な侵略)を決行できない。 対して、この侵攻は、侵攻されたウクライナのみならず、EU(欧州連合)、NATO、米国や日本などの民主主義国にとって全く理解できない暴挙である。 この認識の対立構造は、それぞれの国民世論にも反映していて、ロシア国内の世論調査では(国内世論の操作が行われている上に、政府系の御用調査機関と揶揄(やゆ)されているが)、今回の特別軍事作戦は相当の支持を得ている。たとえば、全ロシア世論調査センターの3月17日調査やレバダセンターの4月21~27日調査では、いずれも「支持する」が74%に上っている。 他方で、国連総会でのロシアの軍事行動への圧倒的な非難決議(3月2日の非難決議への賛成141カ国、反対5カ国、棄権5カ国)に見られるように、国際政治・国際世論はロシアへの非難では歩調を合わせている。 関係者・当事者の「良識」に期待
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昔「アダルトチルドレン」、今「毒親」 《続・気軽にSOS》109
コラム
2022年5月21日
【コラム・浅井和幸】おかげさまで、浅井心理相談室はこの6月で20周年を迎えます。様々な方にご支持いただき、本当に感謝しております。以前相談に来られた方からのご紹介で来談されるケースや、相談をして元気になったので精神保健福祉士を目指したいとか、公認心理師やカウンセラーになりたい―といった話を聞くと、とてもうれしくなります。 といっても、「浅井のようになりたい」という言葉を聞くと、うれしい反面、「もっと上を目指した方がよいよ。君はもっと大きな可能性を秘めている」と思いますし、正直にそう伝えます。 相談室を開いたころ高校生だった来談者も、すでに30代になって再び来談されることもあります。皆さん、本当に立派になられて感慨深いものがあります。70代の方もいましたので、あの方はもう100歳を超えるのかぁ―などと考えることもあります。 20~30年前、アダルトチルドレンという言葉を頻繁に目にしました。この言葉はもともと、アルコール依存症の親の元で育った子供が、大人になって様々な支障が出てくるという概念です。その意味が広がり、機能不全家族で育った人が様々な生きづらさを抱えていく―という意味にもなりました。医学的な診断名ではありません。 相談の場でも多く耳にしたものですが、最近では「毒親」という言葉に置き換わっていると感じます。毒親は「親ガチャ」とセットで聞くことも多いですね。これらの言葉の登場に、気持ちが軽くなった人もいるでしょう。こんなにつらいのは自分だけではないのだという仲間意識、訳の分からない苦しさから「毒親に育てられた子ども」に属せたという安心感です。 これは、どこの病院に行っても、何も悪くないと医師に言われ苦しさが続く中、うつ病とか難病などの病名がつくことで、何となく治療法があるのだろうという救われた感覚に似ているのだと思います。カサンドラ症候群という、アスペルガー症候群のパートナーを持つ人の苦悩もこれに似ていますね。
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入国待ちわびた留学生52人 日本つくば国際語学院で3年ぶり入学式
つくば
2022年5月20日
つくば文化学園が運営する日本語学校「日本つくば国際語学院」(つくば市松代、東郷治久理事長兼校長)の入学式が20日、隣接の日本料理店、山水亭で催され、コロナ禍の中、入国を待ちわびた13カ国の52人が入学した。3年ぶりの入学式となった。 2年間入国できず待機していた留学生が多いという。例年なら4月に入学式を開催するが、コロナ禍で留学生の入国が遅れたため1カ月遅れの式典となった。 出身国は、イラン、ウズベキスタン、タジキスタン、スリランカ、ネパール、ガーナ、カメルーン、ミャンマー、モンゴル、中国、韓国など。 新入生一人一人に学生証を手渡す東郷治久理事長兼校長(右)=同 式典では、東郷理事長が一人ひとりに学生証を手渡し、「去年、おととしは入学式が行えなかった。待ちわびていた入学式が盛大に行えたことは大きな喜び」とあいさつした。さらに「コロナの中、一度は入学を断念しようかと考えた人もいたと思うが、将来の夢の実現のために目標を果たすという強い意志が扉を開いた」と称えた。その上で「日本語を楽しく学び、日本を好きになってもらおうというのがモットー。たくさん日本語で話して上手になってください」などと呼び掛けた。 新入生を代表してイラン出身のハディース・ダナーさん(28)が日本語であいさつし「もし世界中のどこにも戦争がなかったら、おそらく今日、ウクライナ人やシリア人も私たちとここで入学式を祝うことができたと思う」と語り、「ここにいる新入生は、大きな願いを達成し成長するために留学を決意し、さまざまな人が安全に安心して一緒に暮らせる日本を選んだ。今の気持ちを忘れずに精一杯頑張るつもりです」などと決意を話した。
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死に方が選べない時代 《くずかごの唄》108
コラム
2022年5月20日
【コラム・奥井登美子】死に方を自分で選ぶのが難しい時代になってしまった。コロナの流行がそれを加速してしまっている。人生で最後のしめくくり、「ご臨終」が不可能になってしまったのだ。 Tさんはがんの末期で入院したご主人に会いに行ったけれど、コロナの感染を恐れて会わせてもらえなかった。そのままご主人は亡くなって、遺体をさわることすらコロナの危険でできなかったという。愛する夫の臨終に立ち会えなかったTさんはノイローゼみたいになってしまった。 奥井恒夫さんはご近所に住む親戚で、薬剤師。家族の次に大事な人である。認知症予防に碁と散歩。毎日散歩をして、脳と身体、両方を鍛えていた。彼は自宅で倒れ、救急車で入院。コロナで会わせてもらえないまま、亡くなってしまった。亭主にとって、会えないままになくなった恒夫さんの死はショックだった。 在宅死について書かれた本 「このごろ、息を吐くときが苦しい。おやじも最後のころ、そう言っていた。ぴんぴんころりバタンキュー。人間らしさの残っている間に家で死にたいよ。図書館に行って、在宅死の書いてある本借りてきてくれよ」 亭主に頼まれて、私は図書館に行って本を探してみた。
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