日曜日, 5月 5, 2024
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《電動車いすから見た景色》6 コロナ禍の中でお互いにつがなるには

【コラム・川端舞】ウイルスは人と人との物理的距離を広げる。障害当事者団体である自立生活センターに関わり始めた時、障害者が外に出て、買い物したり遊びに行ったりすることで、地域の人と関わることも、立派な社会運動であると教わった。現在は介助者のサポートを受けながら一般のアパートなどで生活している障害者も多いが、普段障害者と会う機会のない人は、重度障害者は福祉施設でしか生活していけないと思っていることも多いだろう。 そのような人たちに、重度の障害があっても支援を受けながら、障害のない人と同じように地域社会の中で生活していけるということを知ってもらうためには、お店や公園など日常生活の中で普通に暮らしている障害者に出会うことが必要だ。このような考え方を背景に、今まで私もできるだけ通販などは使わずに、介助者と一緒に直接お店に買い物に行ったり、つくば自立生活センターでは地域の子どもたちを集めてイベントを開催したりしてきた。 そんな今までの生活も、「新しい生活様式」のもとで変わってくるのかもしれない。現在、障害のない人でも買い物は通販が奨励されており、これから多くの人が集まるイベントには神経質になるだろう。最近はオンライン通話なども広がっているが、オンラインでのコミュニケーションは関わる相手も話す話題も限られてしまう。 街中で手話で話している人を見かけることも、バスの運転手が車いすの人のためにスロープを出してくれる風景も、今より少なくなってしまうのだろうか。周囲の人と距離を取ることが求められる社会で、どうしたら障害のある人とない人が接点を持てるのか、改めて考え始める必要があるのかもしれない。 何年も自由に外出できない人もいる そして忘れてはいけないのは、地域で暮らしている障害者よりも世間の人に知られていないのが、福祉施設の中にいる障害者であるということだ。新型コロナがある程度落ちつき、ほとんどの人が自由に外出できるようになったとしても、施設の入所者が何年も自由に外出できないという現実は変わらないのだろう。 数カ月外出できないだけでストレスがたまる人も多い中、何年も自由に好きな場所に行けない生活はどのようなものなのだろう。好きなところに自由に行けるありがたさを感じるとともに、そんな当たり前のことがずっとできていない人たちが、同じ日本にいることを忘れてはいけないということを実感させてくれた外出自粛である。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

障害当事者の全国集会が中止 つくばで国連審査課題を検討予定も

【川端舞】今月30、31日につくば国際会議場で開催予定だったDPI(障害者インターナショナル)日本会議の全国集会が、新型コロナの影響で中止になった。 DPIは、障害のある人の権利の保護と社会参加の機会平等を目的に活動をしている国際 NGO(非政府組織)で130カ国以上が加盟する。 同日本会議は日本の国内組織で、現在、全国で94の障害者団体が加盟している。毎年、各都道府県の加盟団体が持ち回りで全国集会を開催し、各地域特有の社会問題やその年に話題になっているテーマについて議論している。 2020年はターニングポイント 日本は2014年に障害者権利条約を批准し、16年に政府報告が国連に提出された。条約では、締約国は障害者の人権を保障するため、法律や規則などを修正するとされている。条約が適切に履行されているか、締約国は4年に一度、条約の監視機関である障害者権利委員会の審査を受けることになっていて、今年は日本が審査を受ける年だ。 そのため、今年の全国集会in茨城のテーマを「国連障害者権利条約初回審査へ―差別をなくし、みんなで生きていくべ」と題し、今年の審査のポイントや今後の日本の課題を検討する予定だった。 また、今年4月に県障害者権利条例「障害のある人もない人も共に歩み幸せに暮らすための茨城県づくり条例」の施行から5周年を迎えたため、条例に対する県内の取り組みの報告や、条例5周年を祝うパレードも行われる予定だった。 さらに、オリンピック・パラリンピックに向けての国内のバリアフリーの取り組みや、今年3月に被告に死刑判決が下された相模原障害者殺傷事件についても取り上げる計画もあった。様々な面からターニングポイントになるはずだった2020年に全国集会が開催できなくなったことに、県内の実行委員会のメンバーは肩を落としている。 今後の予定はまだ決まっていないが、再来年に改めて茨城県開催にできないか、DPI日本会議など関係団体で検討している。

障害者の居場所を守るために 就労支援事業所の今

【川端舞】新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、外出自粛を呼び掛けた「ステイホーム週間」が始まった。日中の障害者の居場所はどうなっているのか。県内3カ所の「ひまわり学園」で就労支援を行っている特定非営利法人「艫(とも)づな会」の理事長、大久保安雄さんに話を聞いた。 日常を守っていく ひまわり学園つくば(つくば市上横場)は、一般企業等への就労を希望する障害者に、就労に必要な知識及び能力向上のための訓練をする就労移行支援と、一般企業等での就労が困難な障害者に、働く場を提供する就労継続支援B型を提供している。普段は40人の利用者が平日午前9時から午後4時まで通い、金属部品のバリ取りやサッシ部品の組立、調理作業などを行っている。 就労支援事業所が閉じてしまうと、障害者はほとんど自宅にいることになり、介助する家族の負担が増えるとともに、本人の身体機能の低下も危惧される。こうした不安も考慮し、学園では、利用者や家族に対する情報提供や、利用者・職員の健康管理を徹底しながら、通常通り開所している。それでも新型コロナ感染拡大の影響で、普段企業などから受注している仕事は減っているそうだ。 通所できない利用者への継続支援 特につくば市内の感染者が増え始めた3月からは、事業所がどんなに感染対策を行っても、持病のある利用者などは通所に大きな不安を持ち始めた。現在、6~7人の利用者は通所を中止し、日中も自宅にいるようになった。そうした利用者に対し、学園では毎日電話などで連絡を取り、困りごとの相談や、本人の機能低下を防止するために自宅でできる支援プログラムの提供を、家族とも連携しながら行っている。 身体障害のある男性利用者(25)は普段、つくば市のアパートで一人暮らしをしながら、平日ひまわり学園に通っているが、現在は感染予防のため下妻市の実家で生活している。いつもは介助者に自宅に来てもらってサポートを受けているが、実家にいる今は両親に介助をしてもらっている。 つくばのアパートでは車いすで自由に動け、トイレにも一人で行けるが、実家はバリアフリーではなく、ベッドで過ごすことが多くなった。ストレッチなどを可能な範囲でしているが、運動不足が心配だと男性本人は語る。学園にも通えなくなったが、学園職員が週に一度実家を訪問し、リース作りや折り紙など実家でできる課題を持ってきて、作業を一緒にやったりしている。 障害者の日常生活が変化すると、それだけで身体機能が低下する可能性もある。普段の生活が早く戻ってくることを就労支援事業所の利用者も職員も願っている。

感染拡大の中で生活を続けていく 障害者介助の今

【川端舞】新型コロナウイルスの感染拡大により世の中全体が混乱している今、障害者支援にはどのような影響が出ているのか。介助者のサポートを受けながら一人暮らしをしている障害者の中には、介助者の派遣が止まってしまったら、食事をすることも、医療機関に電話で体調の相談をすることもできない人も多い。 変わってしまった日常 地域で生活している障害者を支援する「つくば自立生活センターほにゃら」(つくば市天久保)代表の川島映利奈さんは、自身も脊髄性筋萎縮症という障害を持っていて、24時間、介助者のサポートを受けながらつくば市内のアパートで生活している。 今までは、センターの活動で週に4日、私用で1~2日外出していたが、感染拡大が身近に迫ってきた4月初めからは、週に1~2回、買い物など本当に必要な数時間の外出しかしていない。食事やトイレ、痰の吸引など、日常生活すべてに介助が必要な川島さんは、自分が新型コロナに感染するよりも介助者にうつしてしまうことの方が怖いと話す。部屋のドアノブを一日一回は消毒したり、介助者に手洗いやマスク着用を徹底してもらったりなど、できる限りの感染予防をしている。 最悪を想定、一人一人の対応を検討 「ほにゃら」は、地域で生活している障害者に介助者派遣もしている。「障害者のことは障害者が一番よく知っている」という理念のもと、介助者の採用面接や研修、シフト作りに川島さんも関わっている。 通常、週に1度、利用者や介助者の近況報告・問題共有をするための会議を開いている。そこでは個別具体的な話もされるため、ビデオ通話では難しい。現在週に1度だけ、十分な感染対策をしながら、川島さんも同センター事務所に行っている。 同センターでは最悪の事態を想定した対応策を考えている。利用者一人が感染した場合、その利用者のところに入っていた介助者は濃厚接触者となり、他の利用者の介助にも入れなくなる。濃厚接触者を少なくするために、どの介助者がどの利用者の介助に入るか固定する方法も考えたが、複数の利用者の介助に入っている介助者も多いため、現実的ではなかった。 現状は、利用者と介助者の両方に、手洗いや検温の徹底、利用者の部屋の換気などをお願いするとともに、事務所内の仕事もなるべくそれぞれの家でできるように工夫している。そして、利用者が感染した場合に備えて、使い捨ての防御服や雨合羽、フェイスガードなどを少しずつ備え、どうやって介助するべきかというシミュレーションを利用者一人一人について考えているそうだ。 つくば自立生活センターほにゃらも加盟している全国自立生活センター協議会(東京都八王子市)でも、新型コロナウイルス対策についてのホームページを立ち上げ、感染した障害者を介助する際の注意点などを掲載している。 障害者にとって、介助派遣事業所が感染予防だけでなく、もし利用者が感染した場合の介助方法も事前に考えてくれていることは、何より心強く、不安な中でできる限りの感染予防をやりながら、自分らしい生活を続けていこうと思える力になるだろう。

《電動車いすから見た風景》5 コロナに負けず、今の生活を続けたい

【コロナ・川端舞】新型コロナウイルスの感染拡大は、皆さんの生活にも大きな影響を与えていると思います。私も定期的な通院や買い物以外はほとんど外出しなくなりました。 私のように介助者にサポートしてもらいながら1人暮らしをしている障害者の部屋には、自分が外出しなくても、毎日介助者は代わる代わる家に来るので、一般的な1人暮らしの部屋よりも必然的に人の出入りが多くなります。 こまめに部屋を換気したり、ドアノブなどを除菌ティッシュで拭いたり、できる限りの感染予防はしているのですが、私たち障害者が生活するためには、食事介助やトイレ介助など、どうしても介助者に近距離で接してもらう場面が多くなり、介助する側も介助される側も不安になることもあると思います。 私が一番心配しているのは、自分が感染することよりも、自分が感染した後、介助者にうつしてしまうことです。介助者の中には、私の介助以外に、他の障害者の介助にも入っている人もいて、私から介助者にうつすことで、その介助者が他の人のところにも行けなくなったり、最悪、他の障害者にもうつしてしまう可能性もあります。 そのような不安は、障害者よりも介助者の方が強く感じているのかもしれません。障害者の中にはもともと呼吸器が弱い人もいて、そのような人のところに行っている介助者は強い責任を感じているかもしれません。 介助者にも拍手を送りたい そのような中でも、毎日介助に来てくれることをありがたく感じています。もちろん、介助者を派遣している事業所側も、コロナウイルスが身近になるたびに、対策を考えてくれています。多くの人のおかげで、私の生活が成り立っていることを感じます。 そんなに不安に思うくらいなら、家族に介助してもらえばいいと思う人もいるかもしれません。私の両親は群馬の実家にいます。実家に帰ることも一つの選択肢だと思います。 しかし、大学入学とともに、つくばで1人暮らしを始めて10年。その間、年末年始に実家に帰った時にしか、両親は私の介助をやっていません。10年の間に、両親の体力も私の障害の状態も変化しました。いつコロナウイルスが収束するかわからない今、私の介助を両親だけに任せるのは不安です。 そして何より、今まで私はつくばで人間関係をつくり、自分らしい生活を築いてきました。世間全体が混乱し、不安なニュースしか流れない今、できるだけ住み慣れた場所でいつも通りの生活をしたいと思うのは、自然なことではないでしょうか。 最近、医療従事者に拍手をおくる運動が世界で広がっていますが、今、不安を感じながらも、1人暮らしの障害者の生活を支え続けている介助者にも、私は拍手を送りたいと思います。今を一緒に乗り越えていきましょう。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

《電動車いすから見た風景》5 コロナに負けず、今の生活を続けたい

【コロナ・川端舞】新型コロナウイルスの感染拡大は、皆さんの生活にも大きな影響を与えていると思います。私も定期的な通院や買い物以外はほとんど外出しなくなりました。 私のように介助者にサポートしてもらいながら1人暮らしをしている障害者の部屋には、自分が外出しなくても、毎日介助者は代わる代わる家に来るので、一般的な1人暮らしの部屋よりも必然的に人の出入りが多くなります。 こまめに部屋を換気したり、ドアノブなどを除菌ティッシュで拭いたり、できる限りの感染予防はしているのですが、私たち障害者が生活するためには、食事介助やトイレ介助など、どうしても介助者に近距離で接してもらう場面が多くなり、介助する側も介助される側も不安になることもあると思います。 私が一番心配しているのは、自分が感染することよりも、自分が感染した後、介助者にうつしてしまうことです。介助者の中には、私の介助以外に、他の障害者の介助にも入っている人もいて、私から介助者にうつすことで、その介助者が他の人のところにも行けなくなったり、最悪、他の障害者にもうつしてしまう可能性もあります。 そのような不安は、障害者よりも介助者の方が強く感じているのかもしれません。障害者の中にはもともと呼吸器が弱い人もいて、そのような人のところに行っている介助者は強い責任を感じているかもしれません。 介助者にも拍手を送りたい そのような中でも、毎日介助に来てくれることをありがたく感じています。もちろん、介助者を派遣している事業所側も、コロナウイルスが身近になるたびに、対策を考えてくれています。多くの人のおかげで、私の生活が成り立っていることを感じます。 そんなに不安に思うくらいなら、家族に介助してもらえばいいと思う人もいるかもしれません。私の両親は群馬の実家にいます。実家に帰ることも一つの選択肢だと思います。 しかし、大学入学とともに、つくばで1人暮らしを始めて10年。その間、年末年始に実家に帰った時にしか、両親は私の介助をやっていません。10年の間に、両親の体力も私の障害の状態も変化しました。いつコロナウイルスが収束するかわからない今、私の介助を両親だけに任せるのは不安です。 そして何より、今まで私はつくばで人間関係をつくり、自分らしい生活を築いてきました。世間全体が混乱し、不安なニュースしか流れない今、できるだけ住み慣れた場所でいつも通りの生活をしたいと思うのは、自然なことではないでしょうか。 最近、医療従事者に拍手をおくる運動が世界で広がっていますが、今、不安を感じながらも、1人暮らしの障害者の生活を支え続けている介助者にも、私は拍手を送りたいと思います。今を一緒に乗り越えていきましょう。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

《電動車いすから見た景色》4 言語障害のある私と話す方法

【コラム・川端舞】「初めまして。川端と言います。私の言葉が聞き取れなかったら、遠慮なく聞き返してください」。初対面の人と会うとき、私はこう自己紹介することが多いです。 私は脳性麻痺という障害があり、手足をうまく動かせないのと同じように、口の筋肉や舌をうまく動かせず、話そうとする言葉を思ったように発音できません。自分では普通に「こんにちは」と言っているつもりなのに、特に子音をうまく発音できずに、周りからは「おんいいわ」と聞こえるようです。 おもしろいのは、自分では他の人と同じように話しているつもりなので、自分が話しているときに耳に入ってくる自分の言葉は、他の人が話している言葉と同じように聞こえるのに、自分の声を録音したものを改めて聞いてみると、思った以上にゆっくりと話していて、自分自身でも何を話しているのか聞き取れないときもあります。 自分では普通に話しているつもりなので、相手が自分の言葉を聞き取れたかどうかは相手から教えてもらわないと分かりません。 だから、周りの人に「自分の言葉が聞き取れなかったら、聞き返してほしい」とお願いしています。例えば、私が「昨日、洋服を買ったんだ」と言ったとき、相手から「何を買ったの? もう一回言って」と聞き返してもらえれば、「洋服」という部分だけを言い直せばいいことか分かりますし、「えっ? もう一回言って」と言われれば、最初から言い直せばいいことが分かります。 遠慮せず聞き返してください でも、私とのコミュニケーションに慣れていない人は、私の言葉を聞き取れないのが申し訳ないと思ってしまうのか、聞き返してもらえないことも多いです。このようなとき、私は相手の表情などから、聞き取れているかどうかを判断し、聞き取れてないようだったら、再度言い直します。 しかし、相手の表情から、聞き取れてなさそうなことは分かっても、どこから聞き取れてないのかまではわからず、どの部分を言い直せばいいのかが分かりません。私の言葉が聞き取れなかったとき、聞き取れなかったことをはっきり教えてもらった方が、私は安心して話せるのです。 どうやったら初対面の人でも、遠慮せずに聞き取れなかったことを教えてもらえるのか、私なりに考えて、「聞き返して大丈夫」ということを紙に書いて見せてみたり、「もう一回言って」と書いた札を作って、それを挙げてもらえば、聞き取れなかったことが分かるように工夫したりしています。 どうしたら気軽に聞き返せるか、いいアイデアがあれば、私に会ったら教えてください。お互いをわかり合うことがコミュニケーションの第一歩だと思います。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー) ➡川端舞さんの過去のコラムはこちら

【新型コロナ】消毒用品不足の不安 医療的ケア必要な人たち つくば

【川端舞】新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、マスクとともに消毒用品が品薄になっている。医療的ケアのために日常的に消毒用品を使っている人にとって、消毒用品が手に入りにくくなっている状態は深刻な問題だ。 つくば市内のアパートで、介助者のサポートを受けながら生活している川島映利奈さん(37)。川島さんは脊髄性筋萎縮症という進行性の神経難病をもっている。川島さんが生活する上でアルコール消毒液は不可欠という。 川島さんは5年ほど前、病気の進行により、痰(たん)を吐き出す力や食べ物を飲み込む力が弱くなったため、気管を切開した。痰が詰まったときや食べ物を誤嚥(ごえん)した時に、口から吸引するより、喉から直接気管にチューブを入れて吸引した方が、速く異物を取り除くことができ、肺炎を防ぐことができる。川島さんの場合、調子の良い時で1日17回、風邪を引いた時などは1日50回ほど、介助者に吸引してもらう。 また誤嚥により口から食べられる量が少なくなったため、気管切開と同時にお腹にも穴を開けた。その穴からチューブを入れることで、直接お腹に栄養を入れられるようになった。今は1日2回、合計600カロリーを直接お腹に入れている。痰吸引する時やお腹に栄養を入れる時、体にチューブを入れるため、介助者は細菌感染の防止のため、手洗いだけでは不十分で、手をアルコール消毒する必要がある。川島さんはいつも約1カ月間で400ccのアルコール消毒液を使用している。 痰吸引などに必要な消毒液は川島さん自身が購入しているが、2月初旬から消毒液が店頭からなくなり始めた。かかりつけの薬局も消毒液のことを気にしてくれていたが、薬局の在庫もなくなってしまった。介助者に車を運転してもらい、5件ほど薬局を回ったが見つからなかった。自分で行ける薬局には限りがあるため、2月後半には介助者たちに「消毒液を見かけたら買っておいてほしい」と頼み始めた。結果、2月の終わりに業務用の消毒液を購入することができたが、介助者の協力がなかったら、3月中旬に手持ちの消毒液はなくなっていたという。 ➡新型コロナウイルスの関連記事はこちら

障害当事者がつくばで問う やまゆり園事件で見えてきたものと見えないもの

【川端舞】障害者入所施設「津久井やまゆり園」(神奈川県相模原市)で殺傷事件を起こした植松聖被告と面会を重ねているノンフィクション作家の渡辺一史さんが15日、つくば市吾妻、吾妻交流センターで講演した。残忍な事件を起こした被告の異常性が話されるとともに、異常性が作られた背景にある障害者施設の実態も言及された。 渡辺さんは、筋ジストロフィーという難病当事者の地域生活を描き、昨年映画化もされたノンフィクション小説「こんな夜更けにバナナかよ」の著者。これまで13回、植松被告と面会してきた。その中で見えてきた植松被告の人間像を語ってもらおうと、当事者による障害者支援団体「つくば自立生活センター ほにゃら(川島映利奈代表)」が講演会を企画し、約40人が参加した。 事件後、それぞれの思い語り合う 同センターは、どんなに重い障害があっても入所施設ではなく地域で暮らしていける社会を目指して、地域で暮らしている障害者を支援したり、一般の人たちに障害者への理解を広めるために様々なイベントを開催している。やまゆり園事件の直後には、障害者や支援者を集めて犠牲者を追悼し、それぞれの思いを語り合う集会を開いた。センターの事務局長で自身も重度身体障害をもつ斉藤新吾さんは当時「『意思疎通のとれない障害者は安楽死させるべきだ』という植松被告の考えは極端だが、障害者は必要のない存在であるという考えは、無意識のうちに誰もが持ちうるものだと思う」と語った。 それから約3年後の2019年、同センターは、「こんな夜更けにバナナかよ」が映画化されたのをきっかけに、渡辺さんに「なぜ人と人は支え合うのか―『障害』から考える」をテーマに講演を依頼した。その中で渡辺さんはやまゆり園事件にも触れ「『障害者は生きている価値があるのか』という質問は、一見するとデリカシーのないものだが、インターネットの掲示板には多くの人が同じようなことを書いている」と指摘した。 渡辺さんが植松被告と面会を重ねていることを知った同センターは、植松被告の公判が開かれている今、被告がどのような人間なのかを知り、今後同様の事件を起こさせない、障害があってもなくても一緒に生きていける社会をつくるヒントを考えたいと、渡辺さんの講演会を企画した。 なぜ事件を起こしたのか この殺傷事件が世の中に衝撃を与えた理由の一つに、被告がその施設に3年以上勤務していた元職員だったことがある。これまでの渡辺さんの取材によると、やまゆり園に就職した頃の被告は入所者のことを「かわいい」と言っており、将来は特別支援学校の教員になりたいという希望を持っていた。そのためのステップアップとして障害者施設の職員になったという経緯もあったという。 そのような志を持った青年が、なぜ障害者殺傷事件を起こしたのか。脱法ハーブや大麻を常用したことによる精神障害があったと弁護人は主張している。また、障害者への差別意識は多くの人が持っていても、それを「人を殺傷する」という具体的な行動に移すのには大きな隔たりがある。「被告がそこを越えてしまった原因がまだ理解できない」と渡辺さんは語った。 園内の環境も影響 一方、被告の中に「安楽死思想」が形成された背景には、彼が働いていた津久井やまゆり園内の環境も影響を与えたのではないかと渡辺さんは指摘する。去年6月にNHKで放送されたやまゆり園の元利用者についての報道を機に、やまゆり園の実情が問題視されるようになったといわれる。その利用者は、やまゆり園時代は「突発的な行動もあり、見守りが難しい」という理由で、車いすに長時間拘束されていたが、事件後、別の施設に移り、拘束を解かれた生活をするうちに、リハビリにより歩けるようになったほか、地域の資源回収の仕事までできるようになったそうだ。 また、渡辺さんが元利用者家族から聞き取った話では「居室が集まっているユニットはおしっこ臭かった」「毎日風呂に入れてもらっているはずなのに、フケも臭いもすごい」「部屋が施錠されていたのではないか」など園の実情に数々の疑問が聞かれた。そのような園の状況が、被告の「安楽死思想」に影響を与えたのではないかと渡辺さんは考える。その上で、渡辺さんはこれまでの取材の中で他の施設についての惨状を聞いてきた経験から、「津久井やまゆり園が特別なのではなく、同じようなことは他の入所施設でも起こりうる」と、入所施設の限界を指摘した。 講演会の参加者の一人は「私自身、知的障害の子どもを育てている母親として、この事件にはあまり関わりたくなかったが、事件の本質には被告自身の問題だけでなく、社会全体の問題があり、このまま終わりにしてはいけないと感じた」と話した。 5月の全国集会でもテーマに 今年5月30、31日に、つくば国際会議場でDPI(障害者インターナショナル)日本会議の全国集会が開催される。DPI日本会議とは、現在130カ国以上が加盟し、障害のある人の権利の保護と社会参加の機会平等を目的に活動をしている国際 NGOの日本国内組織である。2日間で全国から多くの障害者が集まる。2日目にはやまゆり園事件の裁判についても取り上げる予定である。この集会の実行委員会をつくば自立生活センターも担っている。 同センターは「3月16日にこの裁判の判決が予定されているが、3カ月程度のスピード判決はこの事件の何を浮き彫りにするのか。検証すべき重要な問題を闇に葬り去ってしまうことにならないか。障害者への差別や偏見を助長したりしないのか。様々な立場から問う機会にしたい」としている。 大規模の入所施設では限界 【記者のつぶやき】入所施設の場合、どうしても一人の職員が担当する入所者の数が多くなってしまい、入所者一人一人に丁寧な個別対応は難しい。被告が「意思疎通のとれない障害者」と称した被害者の方々も、一人一人、時間をかけて向き合えば、身振りや表情など、言葉以外の方法でコミュニケーションをとろうとしていたはずである。彼らが伝えようとしている想いを、周囲が丁寧に受け取れるようになるためには、大規模の入所施設では限界がある。入所施設の限界が浮き彫りになった今こそ、入所施設ではなく、在宅で障害者一人一人と関係性を作りながら支援することに重点を移すべきであろう。 ➡障害者自立センターほにゃらの過去記事はこちら

《電動車いすから見た景色》3 読書感想文を通して考える「障害」

【コラム・川端舞】2019年夏、子どもたちに障害について考えてもらおうと、「つくば自立生活センターほにゃら」が「インクルーシブ読書感想文コンクール」を開催しました。 このコンクールが開催されたきっかけは、昨年6月に「わたしが障害者じゃなくなる日」という本が出版されたことです。この本は、東京で障害者の地域生活を支援している「自立生活センター東大和」の海老原宏美さんが、自身の重度身体障害者としての経験をもとに書かれたものです。 海老原さんは、この本を通して、子どもたちに、「障害という問題の原因は障害者自身にあるのではなく、障害者が暮らしづらい社会の仕組みにある」という社会モデルの考え方を伝えるとともに、障害があってもなくても、困ったときは周りに助けを求めることの大切さを伝えたかったと言っています。 この思いに共感したつくば自立生活センターほにゃらの斎藤新吾さんを中心に、「インクルーシブ読書感想文コンクール」が企画され、市内の小学生をはじめとして、全国各地の小学生から20以上の作文が寄せられました。 「障害のある人が困っていたら助けたい」 コンクールの表彰式が2月15日、つくば市役所コミュニティ棟内で開催され、受賞した12人の子どもたが賞状を受け取り、その後、子どもたち一人一人が本を読んだ感想を発表しました。 社会モデルの考え方を理解するのは小学生には難しい面もあると思いますが、子どもたちはそれぞれ障害という問題を自分自身の生活に引き付けて考えて、「障害のある人が困っていたら助けたい」「みんなにとって生活しやすい社会になればいいと思う」など、自分なりの考えを発表していました。 表彰式には、読書感想文の課題図書の作者である海老原さんも参加し、お祝いの言葉を子どもたちに送りました。その中で、海老原さんは「みんなが生活しやすい社会にするためには、障害のある人とない人が友達になって、一緒に生活することが大切だと思います」と語っていました。 本を読み、障害という問題を自分の生活に引き付けて考える力を持っている子どもたち。しかし、読書を通して考えたことが本当に子どもたちの体にしみこんでいくためには、障害のある子とない子が友達として一緒に成長していくことが大切です。本の中だけでなく、実際の生活の中で、障害のある人とない人が当たり前に関わりあえる環境が広がっていくことを願っています。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー) ➡川端舞さんの過去のコラムはこちら

《電動車いすから見た景色》2 障害者との対話を通して共生社会を

【コラム・川端舞】皆さんは、障害とは何なのか考えたことはありますか。「身体が不自由なこと」「何かができないこと」など、様々な答えがあると思います。障害とは何なのかを、実際に障害者と対話しながら考える「障害平等研修」(DET)が近年全国で広がっています。地方自治体の職員を対象に開催されたり、一般企業や小中学校でも開催されたりしています。 今まで、「障害」という問題の原因は障害者自身にあり、障害者が努力して解決するべきだという考え方が一般的でした。しかし、2006年に国連で障害者権利条約が採択され、「障害」は障害者個人ではなく社会の側にあり、「障害」という問題を解決するためには社会の在り方を変える必要があるという考え方が広がりました。 例えば、車いすの人が階段のあるお店に入れないのは、その人が歩けないからではなく、そのお店にスロープやエレベーターがないからだとする考え方です。 障害平等研修の特徴は、障害者自身が進行役になり、障害者との対話やグループワークを通して、新しい「障害」の考え方を参加者に持ってもらい、どうすれば障害者が暮らしやすい社会になるのかを考えてもらう研修です。スロープがあるお店は、車いすの障害者が入りやすいだけではなく、高齢者やベビーカーを押した親子にとっても入りやすいお店になります。 「DET(障害平等研修)いばらき」 このように、障害者が暮らしやすい社会は、高齢者や外国人、子ども連れの人など、多様な人にとって暮らしやすい社会になるはずです。障害平等研修では、「障害」を考えることを通して、全ての人にとって暮らしやすい社会の実現を目指しています。 NPO法人「障害平等研修フォーラム」がこの研修の進行役になれる障害者を養成しており、その養成講座を修了した障害者が茨城県内で5人になったことをきっかけに、2019年に「DETいばらき」が立ち上げられました。 「DETいばらき」は、茨城県内に障害平等研修を普及させることを通して、全ての人にとって暮らしやすい茨城をつくることを目標にしている団体で、現在、私を含め、研修の進行役を務める障害者4人と、団体の趣旨に共感するサポーター2人が活動しています。 昨年は、県内市町村の障害福祉課の職員を対象にした研修を県庁でやらせていただいたり、土浦市内の中学校で1年生を対象に研修をやらせていただいたりしました。これから活動の幅を広げていきたいと思っています。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー) ➡川端舞さんの過去のコラムはこちら

《電動車いすから見た景色》1 子どもたちと一緒につくる運動会

【コラム・川端舞】10月20日、筑波大学の体育館で「障害のある人もない人もみんなが楽しめる運動会」が開催されました。この運動会は、私も関わっている「つくば自立生活センターほにゃら」という団体が毎年企画しているイベントです。「ほにゃら」は、どんなに重い障害があっても、他の人と同じように地域で暮らしていける社会を目指して活動している障害者団体です。 この運動会の一番のポイントは、運動会当日だけでなく、種目を考える準備段階から参加者に関わってもらい、どうしたら障害のある人とない人が一緒に楽しめるかを、みんなで考えること。今年は、15人の小学生や大学生が運動会実行委員として準備段階から手伝ってくれました。 実際に子どもたちも車いすに乗ったりしながら、どんな種目なら障害のある人もない人も参加できるかを、「ほにゃら」のメンバーである障害者と一緒に考えました。運動会当日は「ほにゃら」のスタッフも含めた、総勢60人以上が参加し、チームで協力しながら、6種目で競い合いました。 少しルールを変えるだけで楽しめる どうしたら障害のある人とない人が一緒に協力しながら一つのことを楽しめるかを、子どもたちが自分自身で考える機会は現在の社会では少ない気がします。しかし、たとえば小学校で低学年と高学年の子どもたちが一緒にドッジボールで遊ぶとき、自然と「低学年の子がボールを投げるときは、少し前から投げていい」というような新しいルールができることがあると思います。 それと同じように、「自分でボールを投げられない人でも使えるボール発射台を作ってみる」「車いすの人と競争するために、歩ける人も車いすに乗って競争してみる」など少しルールを変えるだけで、障害のある人とない人が一緒に楽しめる場が増えます。 どうすれば障害のある人とない人が一緒に楽しめるのか考える力を養いながら、子どもたちが成長していけば、障害のある人とない人が当たり前に一緒に生きていける社会に近づくはず。そのような思いで、この運動会は開催されています。来年も10月に運動会を開催する予定なので、興味のある方はぜひご参加ください。 全人口の15%、7人に1人は障害者 このコラムを読んでくださっている方の中にも、「障害者」というのはどこか自分とは遠い存在だと感じている方もいるでしょう。しかし、世界保健機関(WHO)によると、全人口の15%、7人に1人は障害者だそうです。 誰もが将来、自分自身が事故や病気で障害者になったり、障害のある子を授かったりする可能性があります。そのような立場になってはじめて慌てるような社会よりも、障害があっても他の人と同じように、学校に通ったり、働いたり、友達と遊びに行ったり、当たり前の生活を送れる社会になったら、障害者だけでなく、多くの人にとって生きやすい社会になるのではないか。 そう信じながら、このコラムでは、障害者である私の視線から見える社会の景色をご紹介したいと思います。(つくば自立生活センター「ほにゃら」メンバー) 【かわばた・まい】群馬県出身。生まれつき脳性まひという障害があり、電動車いすで生活している。2010年に筑波大学障害科学類への入学を機に、つくば市に引っ越し、介助者にサポートしてもらいながら、1人暮らしをしている。障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」で活動中。

だれもが利用できるUDタクシーに 障害者が運転手に通達手渡す つくば駅前

【山口和紀】車いすのまま乗車できるユニバーサルデザイン(UD)タクシーの普及が進む一方、車いす利用者に対する不当な乗車拒否が全国で相次いでいる問題で、つくば市の障害者支援団体「つくば自立生活センター ほにゃら」メンバーの障害者らが11月30日、つくば駅前で、タクシー運転手一人ひとりに「不当な乗車拒否は道路運送法に違反する」などの国交省通達が書かれたチラシを直接手渡した。 UDタクシーは、車いすの障害者や足腰の弱い高齢者、ベビーカーを使う親子連れなどが乗りやすいよう設計された新しいタクシー車両で、運賃も通常のタクシーと変わらない。国が認定制度を設け普及を推進している。 一方で、車いす利用者の乗車拒否が全国各地で相次ぎ、障害者の当事者団体「DPI日本会議」が10月に行った全国調査では、調査に参加したおよそ4分の1の32人が乗車を断られた。 こうした事態を受けて国交省は11月19日、全国ハイヤー・タクシー連合会に対し通達を出し、電動車いす利用者であることや、乗降に時間がかかることを理由として乗車を拒否することなどが、道路運送法に違反するとはっきり示した。 通達を広く知ってもらおうと、タクシー運転手にちらしを手渡す活動に参加したのは、いずれも車いす利用者で、つくば市在住の川端舞さん(27)、川島映利奈さん(37)、鶴岡信也さん(23)。つくばエクスプレス(TX)つくば駅ロータリーで客待ちをしているタクシー運転手に話し掛け「このような通知が出ていますので、お時間のある時にお読みください」と約1時間半にわたって計15社の運転手にチラシを配った。 参加者した川端さんは自らの体験を振り返り「スロープを使って車いすで乗り込むのは、慣れてない運転手だと時間がかかる。乗り込むまでの時間を運賃に上乗せされた経験がある。それはやっぱりおかしい」と話す。 川島さんはUDタクシーに乗ろうとして断られた経験がある。つくば市内のタクシー会社に予約の電話をしたところ「UDタクシーを扱える運転手が一人しかいない。その日は出勤していないので無理」と言われたという。同じく川端さんも「前に乗ったことのある会社だったのに、電話をしたら『UDタクシーはない』と言われ断られた。おかしな言い訳だ」と語った。つくば市でも正当な理由なく乗車拒否が起きているのが現状だという。 川端さんは、運転手の研修が十分に行われていないことも問題だと指摘する。「障害をもった私たち当事者を研修に呼んでほしい。例えば関東鉄道バスは、当事者を交えた研修を行うようになってから対応がとても良くなった。声を掛けてもらいたい」と呼び掛ける。 川島さんによると、UDタクシーは「車いすのまま乗れる、介護タクシーと違ってタクシー会社がやっているから24時間いつでも利用できる、料金も通常のタクシー運賃と同じ」なのが利点だという。鶴岡さんも「駅に着いてすぐに(UDタクシーに)乗らせてもらえるのが一番いい。営業所などにわざわざ連絡しなくてはいけないはおかしい。普通にタクシーに乗りたい」とだれもが利用できるUDタクシーの在り方を訴えた。

コラムニスト紹介

坂本栄 《吾妻カガミ》 【さかもと・さかえ】土浦一高卒。1970年、一橋大社会学部卒、時事通信入社。ワシントン特派員、経済部長、解説委員などを経て、2003年退社。同年から10年間、旧常陽新聞新社社長-会長。現在、内外情勢調査会-茨城県南副支部長、茨城キリスト教大学経営学部講師、NPO法人NEWSつくば理事長。1946年生まれ、土浦市出身、同市在住。 先崎千尋 《邑から日本を見る》 【まっさき・ちひろ】慶應大経済学部卒。茨城大学人文学部市民共創教育研究センター客員研究員、一般財団法人総合科学研究機構特任研究員、環境自治体会議監査役、NPO法人有機農業推進協会顧問。現在、農業。主な著書は『農協のあり方を考える』(日本経済評論社、1982)、『よみがえれ農協』(全国協同出版、1991)など。元瓜連(うりずら)町長。1942年、瓜連町(現那珂市)生まれ。那珂市在住。 及川ひろみ 《宍塚の里山》 【おいかわ・ひろみ】東京都出身。神奈川県内の小学校教員を務める。1970年代につくば市転居後、「学園都市の自然と親しむ会」などのメンバーとして子連れで近隣の自然を散策。1987年に宍塚地区の開発計画を知り、里山を未来に伝える活動に取り組む。現在、認定NPO法人宍塚の自然と歴史の会理事長。 浅井和幸 《続・気軽にSOS》 【あさい・かずゆき】石岡一高卒。1991年科学技術庁無機材質研究所(総理府事務官)入庁。精神障害者福祉施設勤務を経て、2002年浅井心理相談室開業。NPO法人若年者社会参加支援普及協会アストリンク理事長。NPO法人青少年の自立を支える会シオン副理事長。NPO法人とらい理事。ボランティア活動「浅色の雲の会」主宰。 奥井登美子 《くずかごの唄》 【おくい・とみこ】東京薬科大卒。1958年、奥井薬局(土浦市)の奥井清氏(中外製薬勤務)と結婚、土浦に。薬剤師。1895年創業の老舗薬局を経営する傍ら、霞ケ浦の自然を守る活動などに参加。「水の時代をひらく」(KGP総合研究所)、「柳川堀割りから水を考える」(藤原書店)、「くずかごの唄」Ⅰ~Ⅷ(筑波書林)など、著書多数。加藤尚武京大名誉教授は実弟。1933年生まれ、杉並区出身。土浦市在住。 玉置晋 《食う寝る宇宙》 【たまおき・すすむ】東京理科大理工学部物理学科卒。茨城大学大学院理工学研究科地球生命環境科学専攻修了。現在、つくば市で宇宙開発の仕事に従事する傍ら、放送大学大学院生として二足のわらじを楽しむ。茨大理学部でも「宇宙天気防災」のテーマで研究中。1978年生まれ、水戸市双葉台出身、土浦市宍塚在住。 斉藤裕之 《続・平熱日記》 【さいとう・ひろゆき】東京芸術大学大学院後期博士課程満期退学、フランス政府給費制として滞仏。同大助手のあと、東京芸大講師などを勤めながら作家活動を続ける。1961年、山口県生まれ。牛久市在住。 堀越智也 《つくば法律日記》 【ほりこし・ともや】土浦一高校卒。法政大法学部卒。茨城県弁護士会所属「つくば中央法律事務所」代表弁護士。つくばコミュニティ放送株式会社代表取締役。離婚、相続、中小企業・ベンチャー企業、借金の問題、交通事故など民事全般、著作権、刑事事件を主な業務とする。筑波大アソシエイトプロフェッサー、スピードリーディングインストラクター。  1975年、東京都生まれ。つくば市在住。 オダギ秀 《写真だいすき》 【おだぎ・しゅう】本名は小田木秀一。早稲田大学政経学部卒。写真家。高度な技術に裏付けられたハートフルな写真に定評があり、県内写真界の指導的立場にある。専門はコマーシャルフォト全般およびエディトリアル。㈳日本写真家協会(JPS)会員、㈳日本広告写真家協会(APA)会員、土浦写真家協会会長。1944年、水戸市生まれ、土浦市在住。 高橋恵一 《ひょうたんの眼》 【たかはし・けいいち】土浦一高卒、中央大経済卒。茨城県庁に入り、知事公室長、生活環境部長などを歴任。この間、明野町(現筑西市)、土浦市に助役で出向。県庁退職後、オークラフロンティアホテルつくば社長(2006~11年)、JA茨城県厚生連理事長(11~16年)。現在NPO法人NEWSつくば理事。1946年、土浦市生まれ、同市在住。 冠木新市 《映画探偵団》 【かぶき・しんいち】脚本家、アートプロデューサー。TVや映画の編集助手を経て、映画監督市川崑に師事。角川映画「天河伝説殺人事件」で脚本家デビュー。映画『マヌケ先生』(大林宣彦総監督)、舞台『奥様は化け猫』(瀬川昌治演出)など。2008年、つくば市に移り、宴劇『桜川芸者学校』などを制作。著書に『ゴジラ・デイズ』(集英社)、『映画「極道の妻たち」ノ美学』(近代映画社)など。1951年、福島県生まれ、つくば市在住。 入沢弘子 《ポタリング日記》 【いりさわ・ひろこ】1969~76年、新聞記者だった父の転勤で土浦市に住まう。約30年の博報堂勤務のあと、つくば市任期付職員として広報を統括。その後、アルカス土浦の土浦市立図書館初代館長。国立研究開発法人・防災科学技術研究所調査役として勤務後、広報コンサルタントとして自治体などの広報アドバイスやセミナーを担当。1962年、福島県喜多方市生まれ。つくば市在住。 室生勝 《地域包括ケア》 掲載終了 【むろう・まさる】東京医大卒。1970年、東京医大霞ケ浦病院内科医長。76、年つくば市で室生内科医院開業(2006年閉院)。第2回Ciba地域医療賞(現ノルバティス地域医療賞)受賞。つくば市高齢者保健福祉推進会議委員。現在、高齢者サロン「ゆうゆう」を主宰。著書に「地域の中の在宅ケア」(医歯薬出版)、「僕はあきらめない-町医者の往診30年-」(那珂書房)など。1936年、京都府生まれ、つくば市在住。 中尾隆友 《茨城の創生を考える》 【なかお・たかとも】土浦一高卒、慶応大学文学部史学科卒。外資系金融機関、官公庁勤務を経て、現在、㈱アセットベストパートナーズ代表取締役。経営アドバイザーとして大企業・金融機関に助言・提案を行う。総合科学研究機構特任研究員。1970年、土浦市生まれ、つくば市在住。 川浪せつ子 《ご飯は世界を救う》 【かわなみ・せつこ】武蔵野美術短期大学デザイン科卒(テキスタイルデザイン専攻)。住宅部品会社デザイン室、(建物の外観や室内を立体的な絵にする)建築パース事務所を経て、現在、フリーの「建築パース」イラストレーター。イーアスつくば内「アイカルチャー」の「かんたん水彩イラスト」講師。つくばショートムービーコンペティション市民審査員。東京都練馬区出身。1982年、結婚によりつくば市に移り在住。 山口絹記 《ことばのおはなし》 【やまぐち・まさのり】脳動静脈奇形(AVM)による脳出血、失語、失行を経験する。リハビリと育児と仕事の傍ら、放送大学にて言語学と心理学を中心に学ぶ日々をおくる。1988年、神奈川県生まれ、東京都育ち。つくば市在住。 沼尻正芳 《制作ノート》 掲載終了 【ぬまじり・まさよし】水海道一高卒、武蔵野美術大学卒。千葉県公立中学校で教職に就き、茨城県公立小中学校長を退職後、つくばみらい市公民館長などを歴任。現在、一般社団法人・新極美術協会副理事長。1951年、茨城県生まれ、つくばみらい市在住。 浦本弘海 《法律かけこみ寺》 掲載終了 【うらもと・ひろみ】ペンネーム。会社勤務を経て弁護士に。会社在職中に法科大学院への進学を決意。苦節〇年、司法試験を突破(暗黒時代でした…)。企業経験を活かし、現在、企業や自治体の法務コンサルタント。両親が土浦市出身の縁で、土浦・つくばを中心に活動中。東京都出身。 沼澤篤 《霞ケ浦 折々の眺望》 掲載終了 【ぬまざわ・あつし】山形大理学部生物学科卒。東京大大学院修了、理学博士。医薬品会社研究員、自然公園職員などを経て、1989年より霞ケ浦の市民活動に参加。霞ケ浦情報センター主任研究員、茨城大学農学部非常勤講師、霞ケ浦環境科学センター嘱託職員などを歴任。現在、霞ヶ浦市民協会・研究顧問。1952年、山形県出身。土浦市在住。 広田文世 《沃野一望》 掲載終了 【ひろた・ふみよ】土浦一高、山梨大学工学部卒。1984年、㈱トータルシステムデザインを設立、社長に就任。2017年から会長。旧常陽新聞に『いばらき・里・山・みち』を掲載。『桜田門外雪解せず』で「茨城文学賞」受賞。『縁故節現世考』で「やまなし文学賞」受賞。『天狗壊滅』で「日本自費出版文化賞」特別賞受賞。1946年、土浦市生まれ、同市在住。 石井康之 《ON THE ROAD》 掲載終了 【いしい やすゆき】ファッションデザイナー、オブジェアーティスト。桑沢デザイン研究所卒。1987年、パルコオブジェ展で「やまもと寛斎賞」受賞。97年より、東京コレクションのほか、パリ、ミラノ、ニューヨークで作品を発表。東京デザイナーズウイークでオブジェ製作。建築雑誌で特集が組まれる。東京在住。 古家晴美 《県南の食生活》 【ふるいえ・はるみ】筑波大学第2学群比較文化学類卒、同大学院博士課程歴史人類学研究科単位取得満期退学。筑波学院大学経営情報学部教授。専門は民俗学・生活文化。神奈川県生まれ。 川上美智子 《令和楽学ラボ》 【かわかみ・みちこ】お茶の水女子大学大学院家政学研究科食物学専攻修了。1971~2016年、茨城キリスト教大学勤務(1982年から教授)。19年4月から、関彰商事㈱ライフサイエンス事業部・保育園開設準備室(つくば市)勤務。現在、保育園長。茨キリ大名誉教授、茨城県教育委員。著書に『茶の香り研究ノート-製造にみる多様性の視点から-』(光生館、 2000)、『茶の事典』(朝倉書店、2017)など。兵庫県出身、水戸市在住。 瀧田薫  《雑記録》 【たきた・かおる】土浦一高卒。慶応大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。茨城キリスト教学園に入り、短期大学長、茨キリ大教授、常務理事を歴任。2016年、定年退職。現在、同大兼任講師、名誉教授。中学2年のとき、V.フランクル著「夜と霧」に衝撃を受ける。当時の安保闘争・学生運動になじめず、その反動で「政治学」を志す。1947年、土浦市生まれ。同市在住。 小野村哲 《ライズ学園日記》 掲載終了 【おのむら・さとし】39歳で公立中学校を退職した後、つくば市内で不登校や学習につまずきがちな子どもたちのための「ライズ学園」を立ち上げる。県内外で、子育て・英語教育・LD(学習障害)などについて講演活動も行う。NPO法人「リヴォルヴ学校教育研究所」元理事長、つくば市教育委員。1960年、東京都板橋区生まれ。つくば市在住。 川端舞 《電動車いすから見た景色》 【かわばた・まい】生まれつき脳性麻痺という障害があり、電動車いすで生活している。2010年、筑波大学障害科学類への入学を機に、つくば市に引っ越し、介助者にサポートしてもらいながら、1人暮らしをしている。障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」で活動中。群馬県出身。つくば市在住。 霞ケ浦市民協会 《泳げる霞ケ浦へ》 掲載終了 【かすみがうら・しみんきょうかい】1995年の世界湖沼会議で採択された「霞ケ浦宣言」の理念を継承し、「霞ケ浦及び流域環境の浄化・保全及び創造をめざす市民活動を推進し、人と自然が共生できる快適で文化的な地域社会を構築する」ため、翌96年「社団法人霞ケ浦市民協会」として発足。2013年一般社団法人に。 相沢冬樹 《土着通信部》 【あいざわ・ふゆき】1953年土浦市生まれ。常陽新聞(旧社)に在籍もキャリアは1999年まで。辞めて18年も経つのに周囲も自分も記者扱い・記者気分が抜けない。この間地域政策コンサルタントを経て、現在は地元財団の発行する機関誌でパートタイム編集長を務める。記事はもっぱらブログ「重箱の隅に置けない」に書いている。http://fykai.blog.fc2.com/ 栗原亮 《郷土史あれこれ》 掲載終了 【くりはら・りょう】土浦一高卒、中央大経済卒。1976~2010年、霞ケ浦高で世界史と日本史を担当。「新治村史」「図説 土浦の歴史」「牛久市史」「八郷町史」の編纂に参画。旧常陽新聞で「江戸時代とは何か」を連載。著書に「忠臣蔵の真実」(常陽新聞新社、2012年)、「近世村落の成立と検地・入会地」(岩田書院、2013年)。土浦市出身・在住。71歳。 橋立多美 《猫と暮らせば》 掲載終了 【はしだて・たみ】1949年、長野県天龍村生まれ。84~96年、常陽リビング社勤務。退社後フリーライターとして活動しつつ、『茨城のホームヘルパー最前線』『ルポ消防団』など4冊を出版。2013年から常陽新聞記者。17年の休刊後はNPO法人NEWSつくばのデスク兼ライター。つくば市在住。69歳。 大島愼子 《世界に生きる》 掲載終了 【おおしま・ちかこ】米DePauw Univ.を経て、早稲田大学第一文学部卒。同大学院経営学修士。ルフトハンザドイツ航空客室乗務員、人事担当、広報室長を経て、2006年に筑波学院大学教授。12年から学長。筑波技術大学監事、日本広報学会理事、日本インターンシップ学会理事、日本国際観光学会前副会長、NPO法人Japan Now観光情報協会理事長。専門は航空政策・観光政策。著書に「ドイツおいしい物語」「飛翔へのロマン」(東京書籍)など。 吉田礼子 《食のエトセトラ》 【よしだ・れいこ】東北学院大文学部史学科卒。子どものころから母が料理する姿に触れ、料理の先生に憧れる。「台所は実験室」をモットーに独学。50歳を前に、全国料理学校協会所属の児玉久美子先生に師事。2008年、土浦市に吉田料理教室を開校。1953年、宮城県生まれ。土浦市在住。 塚本一也 《茨城鉄道物語》 【つかもと・かずや】土浦一高卒、東北大学工学部卒、筑波大学大学院修了。一級建築士。大曽根タクシー(株)取締役社長。元JR東日本グループリーダー。茨城県ハイヤー・タクシー協会経営研究会会長、つくば市花畑自治会長。県議。著書に「つくばエクスプレス最強のまちづくり」(創英社 三省堂書店)。1965年、つくば市生まれ。同市在住。 田口哲郎 《遊民通信》 【たぐち・てつろう】慶應大学大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了。専門は19世紀パリの遊歩者について。その後、家庭教師、派遣社員などを経て、四十路過ぎで2度目の大学生として東京大学文学部在学中。興味・関心は、神秘主義、スピリチュアル、宗教、高等遊民、鉄道模型。大阪・仙台育ち。牛久市在住。 岩松珠美 《介護教育の現場から》 掲載終了 【いわまつ・たまみ】同志社女子大学(栄養生化学)卒。女子栄養大学大学院修士課程修了。老年看護学、地域看護学に研究分野を拡げ、大学や専門学校で教育に携わる。精神保健福祉士、介護福祉士、看護師など。著書に「六訂栄養士・管理栄養士をめざす人の社会福祉」(みらい出版)。現在、つくばアジア福祉専門学校(土浦市)校長。1961年、長野県生まれ。土浦市在住。 鶴田真子美 《晴狗雨dog せいこううどく》 【つるた・まこみ】1990年、東京外語大イタリア語学科卒。同大学院博士前期課程修了後、後期課程単位を取得。日伊協会講師、東邦音楽大、慶応義塾大などの非常勤講師を歴任。2008年からNPO法人「動物愛護を考える茨城県民ネットワーク」理事長。茨城県の犬殺処分ゼロを目指し活動中。2021年、土浦市に「パルTNR動物福祉病院」を開設。神戸市生まれ。 山口京子 《ハチドリ暮らし》 【やまぐち きょうこ】2020年まで、いばらきコープ生活協同組合の「くらしの電話相談ダイヤル」相談員を15年務める。また組合員を対象にした「くらしの講座」講師として、生活設計、家計管理、年金、相続、遺言、終活、保険見直しなどのセミナーを企画。現在「社会保険労務士 やまと事務所」所属。ファイナンシャルプランナー、社会保険労務士、消費生活アドバイザー。1958年、栃木県生まれ。龍ケ崎市在住。 三浦一憲 《塞翁が馬》 掲載終了 【みうら・かずのり】高校生の時に8ミリ映画を自主制作。以来、フリーのフォトグラファー。 電鉄・建築などの撮影のほか、写真館も経営。2004年「まちかど音楽市場」を立ち上げ、代表に就任。現在住む団地内でボランティア環境美化活動(ローズマリーの会)。1952年、東京都江東区生まれ。1991年、つくば市に移住。 秋元昭臣 《夢実行人》 【あきもと・あきおみ】土浦一高卒。明治大工学部卒、京成電鉄系列のホテル会社に入社。奥那須、千葉、水戸、犬吠埼、白浜、土浦などのホテルに勤務。土浦京成ホテル閉鎖にともない、2008年からラクスマリーナ(株主は土浦市)専務。遊覧船運航、霞ケ浦湖上体験スクール、小型ヨット体験、ボート教室、足湯浴場、サイクリング事業などを展開。 2021年4月退職。1942年生まれ、土浦市在住。 原田博夫 《文京町便り》 【はらだ・ひろお】土浦一高卒、慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了。専修大学経済学部教授を経て、2019年4月から名誉教授。米スタンフォード大などに留学。公共選択学会会長、政治社会学会理事長などを歴任。著作(編著)に『人と時代と経済学-現代を根源的に考える-』(専修大学出版局、2005年)、『身近な経済学-小田急沿線の生活風景-』(同、2009年)など。現在、土浦ロータリークラブ会員。1948年土浦市出身、土浦市文京町在住。 伊東葎花 《短いおはなし》 【いとう・りつか】小説ブログを始めて12年。童話、児童文学、エンタメ、SFなど、ジャンルを問わずに書いている。文学賞にも挑戦中するもやや苦戦気味。第19回グリム童話賞大賞、第33回日本動物児童文学優秀賞を受賞。妄想好き。猫好き。趣味は読書と太極拳。東京生まれ、美浦村在住。伊東葎花はペンネーム。 小泉裕司 《見上げてごらん!》 【こいずみ・ひろし】1954年、土浦市生まれ、県立土浦一高卒。工学院大学工学部卒。民間企業を経て土浦市役所に入庁。政策企画課長、市長公室長を歴任。2017年まで副市長1期。在職中、花火審査員係業務に13年従事。現在、日本花火鑑賞士会会員。ラジオやネットTVにも出演。茨城新聞に寄稿(19~22年)。花火セミナー開催や「花火通信」(Facebook)などで花火の魅力を発信中。「花火と土浦」(土浦市、2018年)も一部執筆。同市在住。 若田部哲 《日本一の湖のほとりにある街の話》 【わかたべ・てつ】筑波大学大学院修士課程芸術研究科デザイン専攻修了後、建築設計事務所など経て、2009年、土浦市役所入庁。地元出身が多い職場にあって、県外出身として地域への理解を深めるため、霞ケ浦周辺を歩き回り、様々な対象をイラスト化。WEBサイト「日本一の湖のほとりにある街の話」などで地域の魅力を配信。1976年生まれ。「日本一の湖のほとりにある街の話」の公式ホームページはこちら。 片岡英明 《竹林亭日乗》 【かたおか・ひであき】福島高校卒。茨城大学農学部卒業後、太陽コンサルタンツ勤務。茨城大大学院修了。39年間、霞ケ浦高校勤務。主な著書は、英語Ⅰ教科書「WORLDⅠ」(三友社、1990年)、「たのしくわかる英語Ⅰ 100時間」(あゆみ出版、同)、「若い教師のための授業・HRづくり」(三友社、2016年)。現在、「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」世話人。1950年福島市生まれ、つくば市在住。 平野国美 《訪問医は見た!》 【ひらの・くによし】土浦一高卒。1992年、筑波大学医学専門学群卒後、地域医療に携わる。2002年、同大博士課程を修了、訪問診療専門クリニック「ホームオン・クリニックつくば」を開業。著書「看取りの医者」(2009年、小学館)は大竹しのぶ主演でドラマ化。新刊は『70歳からの正しいわがまま』(2023年4月、サンマーク出版)。医療関係業界誌などでもコラム執筆。1964年、龍ケ崎市生まれ。つくば市在住。 松永悠 《医療通訳のつぶやき》 【まつなが・ゆう】北京で生まれ育ち、大学で日本語を専攻した後、日系企業に就職。24歳のとき、日本人夫と結婚して来日し、気がつけば日本にいる時間が長くなっています。3人の子供を育てながら、保護犬1匹、保護猫5匹も大切な家族。子育てが一段落した今、社会のために、環境のために、何ができるか、日々模索しています。 三橋俊雄 《デザインについて考える》 【みつはし・としお】1973:千葉大学工業意匠学科卒業/1973〜6年間:GKインダストリアルデザイン研究所/1979〜6年間:二番目のデザイン事務所/1985〜6年間:筑波大学(デザイン専攻)・千葉大学(環境科学専攻)にて学生/1991〜6年間:筑波技術短期大学・千葉大学にて教官/1997〜18年間:京都府立大学にて教員。6年単位で「居場所」を替えながら、さまざまな人と出会い、さまざまなデザインを行ってきました。退職後つくばに戻り、「竹園ぷらっと」「ふれあいサロン」「おやじのキッチン」など、地域の「居場所づくり」「まちづくり」のデザインを行っています。 島田由美子 《けんがくひろば》 【しまだ・ゆみこ】けんがくまちづくり実行委員会代表、研究学園グリーンネックレス タウンの会代表。本業は海外映画・ドラマの字幕翻訳。TX研究学園駅地区に移り住んだことをきっかけに、まちづくりに興味を持つ。まちづくり活動を行いながら、現在、筑波大学大学院システム情報系非常勤研究員として、都市計画の研究に携わっている。

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