火曜日, 5月 30, 2023
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撮影時用の腕章作成へ 土浦写真家協会が初の対面総会

土浦写真家協会(TPS、オダギ秀会長)の対面式の年次総会が20日、土浦生涯学習館で開かれた。TPSは2021年8月に立ち上げられたが、昨年は書面総会になっており、会場を使った総会は初めて。オダギ会長は、過去1年半強の活動を踏まえ、設立時に設置された「フォトアーカイブ委員会」に加え、「事業委員会」「写真展示委員会」「デジタル委員会」を新設することを提案、了承された。 古写真の収集・保存で市との協働 オダギ会長は、事業委活動の一つとしてTPS腕章の作成を提案。「写真を撮っていると、撮られるのが嫌だという人もいるし、盗撮と疑われるようなことも出てくる。自分たちは土浦写真家協会のメンバーであるということを知ってもらい、撮影がスムーズにできるように、報道関係者が使っている腕章を付けたらどうか」と説明した。異議はなく、これからデザインを詰める。 土浦写真家協会のオダギ秀会長 フォトアーカイブ(昔の土浦の様子などを撮った写真の保存)委の活動については、委員長の鈴木平光さんから報告があった。鈴木さんは「明治20年から昭和40年までの写真は土浦市政50周年記念誌に載っているが、その後、市は古い写真を組織的に収集していない。集めるにしても整理するにしても、何かのきっかけが必要で、TPSの計画を(市教育委員会の)市立博物館の学芸員に話したところ、できれば一緒にやりたいということだった」と報告した。

あす投開票 土浦市議選

統一地方選後半戦、任期満了に伴う土浦市議選は23日、投開票される。定数24に対して8人超の32人が立候補した。期日前投票は22日午後8時まで、市内5カ所で行われる。20日時点で1万2694人が投票を終えている。 立候補者の内訳は、現職15人、新人15人、元職2人。党派別は公明党4人、共産党2人、社民党と参政党がそれぞれ1人、無所属が24人。 投票は23日午前7時から午後6時まで市内51カ所で行われ、午後7時から同市大岩田の霞ケ浦文化体育会館で即日開票、同9時ごろまでに大勢が判明する見通し。4月15日現在の有権者数は、前回(2019年)市議選時よりも2262人多い11万8430人(女5万9438人、男5万8992人)。前回市議選の投票率は43.43%だった。(柴田大輔) 市議選立候補者の32人の略歴はこちら

情報・コミュニケーション条例を要望  つくば市の福祉団体、障害種を超え連携

つくば市内の11の福祉団体が21日、連名で「(通称)つくば市障害者情報アクセシビリティ・コミュニケーション施策推進条例の制定施行」に関する要望書を、五十嵐立青市長に手渡した。国が昨年施行した障害者情報アクセシビリティ・コミュニケーション施策推進法に基づき、情報の取得・利用や意思疎通に困難を伴う障害者への自治体レベルでの支援施策を求める。 五十嵐市長は「今の情報社会の中で、前提となる情報を受け取れないのは、あらゆる問題の出発点。どのような技術があれば、どんな障害があってもコミュニケーションが可能なのかを、当事者の方と相談しながら、実効性のある条例をつくっていきたい」と述べた。 土浦は今月、手話普及の条例施行 要望書によると、聴覚障害者の中でも、日常生活で手話を言語として使用するのが聾(ろう)者だ。聾者の場合、周囲とコミュニケーションをとるには手話通訳が欠かせない。つくば市は、市在住の聴覚障害者に手話通訳者を派遣しているが、個人の趣味や政治活動のためには派遣されない。 また、高齢になった聾者が老人ホームなどに入所する時、他の入所者や職員は手話が分からないため、会話ができず、孤立するという問題もあるという。 全日本ろうあ連盟(東京都新宿区)の調べによると、手話を言語として認める手話言語条例は全国に広がっていて、茨城県と県内3市が制定している(4月18日現在)。土浦市では、昨年3月、同市聴覚障害者協会が市議会に手話言語条例の制定を求める請願を提出。今月、「市手話言語の普及の促進に関する条例」が施行された。

8人超の32人届け出 23日投開票の土浦市議選

任期満了に伴う土浦市議選(定数24)が16日告示され、定数より8人多い32人が立候補を届け出た。投票は23日午前7時から午後6時まで市内51カ所で行われ、午後7時から同市大岩田の霞ケ浦文化体育会館で即日開票、同9時ごろまでに大勢が判明する見通し。4月15日現在の有権者数は11万8430人(女5万9438人、男5万8992人)。前回(2019年)市議選の投票率は43.43%だった。 届け出たのは現職15人、新人15人、元職2人。党派別は公明党4人、共産党2人、社民党と参政党がそれぞれ1人、無所属が24人。性別は女性6人、男性26人。 期日前投票は17日から22日まで▽市役所本庁舎2階▽荒川沖西部地区学習等供用施設南支所隣▽神立地区コミュニティセンター2階▽新治地区公民館2階(以上、投票時間は午前8時30分~午後8時)▽イオンモール土浦専門店街2Fイオン前(午前10時~午後8時)の5カ所で実施される。(柴田大輔) ▷土浦市議選立候補者一覧 届け出順(氏名・敬称略、年齢、職業、政党・政治団体、現職・新人・元職の別・過去の当選回数) 篠塚...

消えたワカサギ 水遊びの生態系から【桜川と共に】2

桜川漁協の拠点、つくば市松塚の桜川のほとりには4月上旬、桜や菜の花、チューリップが咲き誇っていた。元々雑草や不法投棄で荒れていたこの場所は、漁協のメンバーたちで構成する多面的機能活動組織が定期的な草刈りや清掃を行い、花を植えて環境を整備した。訪れる人々はウグイスの鳴く美しい景色の中、写真を撮ったり、釣り糸を垂れたりして思い思いに楽しんでいる。 しかし、牧歌的な風景とは裏腹に、水の中では大きな変化が起こっている。「ワカサギが全然上がってこない。魚がいないからカワウも来ない。このままでは桜川の漁業はあと7年も持たない」漁協組合長の鈴木清次さん(80)は表情を曇らせる。 放流用も確保できない記録的不漁 ワカサギは霞ケ浦と流入河川を行き来している。桜川漁協では毎年ワカサギの卵を200万粒放流していたが、令和に入ってから記録的な不漁が続き、今年はついに魚卵の採取ができず、放流もできなかった。霞ケ浦での放流は行われたものの、北浦を含む霞ケ浦のワカサギ漁獲量は2019年の119トンから21年には34トンにまで落ち込んでいる(県農林水産統計年報)。 不漁の一因に水温の上昇が考えられる。ワカサギは水温30℃を超えると死ぬ個体が出るとされており、霞ケ浦で調査が進められている。流入河川の改修や霞ケ浦の消波堤の造成の影響についても調査中だ。近年適用が拡大された農薬の影響の懸念を口にする漁業者もいる。 今、桜川で釣りをすると外来種のアメリカオオナマズやミシシッピアカミミガメばかりが釣れる。小さいころから桜川で遊び、70年以上桜川を見つめてきた鈴木さんと漁協理事の酒井康男さん(86)は桜川の生態系がすっかり変わってしまったと話す。特に昭和38年(1963)に完成した常陸川水門は特に生態系に大きな影響を与えたという。

聖地土浦に「パトレイバー」デザインマンホール デビューを前に市役所で展示

土浦市オリジナルの「機動警察パトレイバー」デザインマンホール15種類が完成し、24日から市役所2階(同市大和町)で展示が始まった。4月9日まで展示したあと、土浦駅周辺道路に設置する。 カプセルトイのアクリル製マンホールキーホルダーも作成、4月下旬からまちかど蔵(同市中央)、きらら館(同市大和町)で販売する。デザインマンホールの情報をSNSで拡散した人には、オリジナルグッズとして紙製コースター(約2000個)を郵送する。 パトレイバーオリジナルキーホルダー 2022年に開催の「機動警察パトレイバー30周年突破記念 in土浦『TV-劇パト2+』展」では全国から約3000人のファンが来場した。根強いファンが多いため、デザインマンホールを設置することで同市を訪れる人を増やし、回遊性や消費を高めるのが狙い。 キャラクターの背景は土浦の風景や名産

「親亡き後」の前に親も自分らしく生きるには つくばの障害者団体が学習会

障害者が抱える課題として、親が亡くなった後、誰が本人の生活を支えるのかという「親亡き後」問題が叫ばれて久しい。そんな中、障害者団体、つくば自立生活センター「ほにゃら」(つくば市天久保)が4月2日、学習会「親も子も“自分らしい”生活をするために―障害児を育てた先輩の体験談を聞こう」を開催する。障害児を持つ親や家族を対象に、親が元気なうちに、障害のある本人もその親も、自分らしく生活するにはどうしたらいいかを考える。 親の自己実現のためにも 「親亡き後」問題の背景には、障害のある子が成人しても、親が元気な時は親自身がその子の生活を支援すべきという考えがある。しかし、ほにゃらの介助スタッフである松岡功二さん(54)は「親も子も自分らしい生活を送るために、親が元気なうちから、障害児が親以外の人から介助を受けるのは大切」と強調する。 同団体は、障害のある子どもがヘルパーを利用することで、様々な経験をする大切さを伝える「ほにゃらキッズ」という活動をしている。「子どもの頃からヘルパーを利用することは、子ども本人のためだけでなく、親の自己実現にもつながる。ヘルパーなどの福祉制度を利用することで、障害児の親も休んだり、好きなことをやっていい。親と子、互いが自分らしい生活をすることで、親子関係も変わってくるのでは」と松岡さん。 同団体の代表で、自身も重度身体障害のある川島映利奈さん(40)は「親が子どもにやってあげたいことはたくさんあるだろう。しかし、親だけで頑張りすぎてしまうと、子どもがプレッシャーを感じてしまう」と話す。 「障害児が自分らしい人生をつくっていくためには、選択を繰り返しながら、自分の好き嫌いに気づいていくことが大切。しかし、日常生活の全ての選択を、親だけで支援するのは大変だ。介助者と一緒にいろんな経験をする子どもを見て、子どもの新たな一面を見られるかもしれない」

ウクライナ侵攻1年 現地取材の武馬怜子さん つくばで報告会

ロシアによるウクライナ侵攻が始まって1年、現地を取材したフォトジャーナリストの武馬怜子さん(42)の取材報告会が4月1日、つくば市竹園のつくばカピオで開かれる。武馬さんは今年1月から2月の約1カ月間、ウクライナに入り、被災する街や日本で出会った難民の家族、戦時下で市民を勇気づけるアーティストなどを取材した。 武馬さんは1月29日に隣国ポーランドから陸路でウクライナに入国。西から東へ国内を横断し、首都キーウをはじめ、ザポリージャ、ドニプロ、バフムト、オデッサなど9カ所を訪ねた。現地で過ごした約1カ月について「戦時下では、常にみんなおびえ泣いているという先入観があった」と振り返る。 2月5日、武馬さん到着の2時間前に、ハルキウ市の大学にミサイルが着弾し警備員が被害を受けた(同) 毎日2、3回、多いと5、6回空襲警報が鳴り響く日々だった。真夜中に響くミサイルの着弾音で目を覚ましたこともあった。被弾し崩れる家屋も目にした。それでも街の人たちは日々仕事に出かけるなど日常を営み、警報が鳴っても冷静さを失わず、必要な行動をしていた。「みんな慣れている。周りの落ち着きを見て、自分も落ち着けた」と話す。一方で「人はどんな環境にも適応する。でも、適応していいのだろうか」と複雑な気持ちになったという。 難民は身近な存在 関心を

若手社会学者 清水亮さんが紐解く 阿見・土浦「軍都」とその時代 

『「軍都」を生きる 霞ケ浦の生活史1919-1968』(岩波書店)は、社会学者の清水亮さん(31)が地道な資料調査やインタビューを積み重ね、戦前から戦後を描き出した新刊。予科練(海軍飛行予科練習生)につながる海軍航空隊があった阿見、航空隊からの来客で栄えた土浦の人々が、基地や軍人たちとどう関わりながら生活したか、さらに戦後なぜ自衛隊駐屯地を誘致したのかを紐解く。 等身大の人々の目線で歴史研究 土浦市の開業医で作家の佐賀純一さん、阿見町の郷土史家である赤堀好夫さんらが取材し聞き書きした記録や地元紙、常陽新聞の記事などの資料も多数引用され、当時の人々の声を拾い集めた生活史となっている。豊富な写真を交え、日常の中で起きたさまざまな出来事を取り上げながら、「軍都」が抱えていた問題や葛藤についても分析している。 清水さんは「俯瞰(ふかん)する歴史学とは一風違って等身大の人々の目線で、下から見上げる歴史を書きたかった。自分の解釈は出さず、事実を重ねて書いた。戦争は重たくて悲惨なテーマと思っている人、歴史に関心がない人にこそ読んでもらいたい。日常生活の中の等身大の歴史に触れてほしい」と話す。

入管問題描いた「牛久」を上映 筑波大学生サークル

筑波大学公認団体の学生サークル「クローバー(CLOVER)〜難民と共に歩むユース団体」がこのほど、日本の入国管理問題に焦点を当てたドキュメンタリー映画「牛久」(トーマス・アッシュ監督、2021年)の上映会を開催した。 クローバーは「難民に寄り添う(Care & Love for Refugees=CLOVER)」を掲げ、日本で暮らす外国人が日々希望を持ってもらえるよう活動する団体で、09年に難民問題に興味を持った同大生により設立され、14人が所属している。 現在は週に一度、勉強会を開催し、所属するメンバーがドイツと日本の難民受け入れ制度の比較や難民が描くアートの紹介、外国人が日本で永住権を取得することなど関心のあるテーマを持ち寄っている。さらに世界や日本で暮らす難民・移民についての情報をメンバー間で共有し、その様子をSNSで発信している。また、諸外国と比べ、非常に低い日本の難民認定率や日本の入国管理制度が持つ問題の認知拡大に取り組んでいる。 同団体代表で社会国際学群国際総合学類2年の菅原瑠莉さん(20)は高校生の時に、自由や尊厳を奪われている人々、特に紛争地域や貧困地域で保護を必要としている人々を手助けする活動に興味を持った。大学に進学し、クローバーと出会ったことで「入管」の存在を初めて知り、困難な人々に寄り添うという理念にひかれ支援の輪に加わった。代表に就任してからは、日本の入国管理制度の概要やその問題点を議論する中で得た勉強会の知識を生かし、竹園高校ボランティア部と交流会を開催するなど、学生に向けた活動に力を入れている。 映画「牛久」は、不法滞在者として国外退去を命じられ、牛久市にある東日本入国管理センターに収容されている難民申請者らに、トーマス・アッシュ監督が面会し、証言を記録したドキュメンタリーだ。

富岡町出身者の交流団体立ち上げ 小園治さん、喜英子さん【震災12年】

福島県富岡町出身の小園治さん(72)と喜英子さん(67)は、つくば市の研究学園駅に近い新興住宅地に2016年から夫婦2人で暮らす。翌17年には、つくば市内に住む30世帯ほどの富岡町出身者に声を掛け、避難者同士が交流し親睦を深める「つくばさくら会」を立ち上げた。現在コロナ禍で活動を休止しているが、3カ月に1回ほど集まり、芋掘り、ブルーベリー摘み、料理教室 ボウリングなどのイベントを開催してきた。 「おなかの底から笑えるのは地元の人じゃないと。かしこまらなくて済むし」と喜英子さん。「富岡から来て、外に出にくかったり、自宅にこもりがちになっている人に声を掛けて、少しでも外の空気を吸ったりして、皆で楽しんでいる」と治さんは話す。 「つくばに来て、右も左も分からなかったが、外に出て何かやらなきゃいけないと、筑波大学のゴルフ講座に申し込んでそこで友達ができた」と治さん。喜英子さんは「つくば市役所の相談窓口で卓球サークルを紹介してもらって卓球を楽しむようになり、今も週1回、谷田部総合体育館で続けている。夫婦で大穂交流センターのいきいき体操教室に参加したお陰で友だちも増えて、『畑やらない?』って誘われて、豊里の畑でジャガイモをつくったりしている」と話す。 ただ、今年に入り、配偶者の死をきっかけに「ここにいる意味が分からない」と、福島県内に土地を見つけ、引っ越していった会員もいるという。 車庫の車の中で一夜 12年前の3月11日、喜英子さんは、福島第1原発から8キロほど離れた富岡町で、次女と2人で暮らしていた。夫の治さんは当時、電力会社の関連会社に勤務し、神奈川県川崎市の会社寮に単身赴任。東京電力社員の長男は、大熊町の社員寮に入り、BWR(沸騰水型軽水炉)の運転員を養成するためのBWR運転訓練センターで研修を受けていた。

つくばの宿舎で「区切り」の慰霊祭 震災12年

東日本大震災から12年の11日、つくば市並木の公務員宿舎で、福島県双葉町からの避難者ら約30人による慰霊祭が開かれた。2020年以来となる。双葉町は、原発事故による避難指示で、全町民が避難を余儀なくされてきた。 この日、双葉町出身の谷津田光治さん(81)と妻の美保子さんが暮らす自宅前に設けられた祭壇に、集まった一人ずつが線香をたむけ、手を合わせた。参列したのは同町から避難してきた住民のほか、毎週火曜日に近所の公園で行われるグラウンドゴルフや、以前行われていた月命日や夏祭りなどに参加し、親睦を深めてきた同市内の学生や地域住民たち。この日は、現在他県に暮らす人も多数訪れ、旧交を温めた。 慰霊祭に参加した双葉町の人々とつくば市民ら 宿舎には、双葉町民を中心に、福島から避難してきた47世帯が暮らしてきた。同町民による自治会も発足し、避難先に新たな地域社会を築いてきた。近年は、同市内や周辺地域、福島県などへ転居する世帯が増え、現在は谷津田さん夫妻を含めて4世帯が暮らしている。谷津田さんも今月末でつくばを後にし、故郷に近い南相馬市へと転居する。 交流の筑波大学関係者らも参列

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異星人と犬 《短いおはなし》15

【ノベル・伊東葎花】若い女が、ベンチで水を飲んでいる。傍らには、やや大きめの犬がいる。「犬の散歩」という行為の途中で、のどを潤しているのだ。なかなかの美人だ。身なりもいい。服もシューズも高級品だ。彼女に決めるか。いやしかし、犬が気になる。動物は敏感だ。余計なことを感じ取ってしまうかもしれない。 私は、遠い星から来た。今はまだ体を持たない。水のような流体だ。ターゲットを探している。性別はどちらでもいいが、女の方に興味がある。すっと入り込み脳を支配して、地球人に成りすますのだ。そして我々の星にとって有益なデータを持ち帰ることが目的だ。誰でもいいわけではない。容姿は重要。生活水準も高い方がいい。あの女は、大企業に勤めている。申し分ない。犬さえいなければ。 私には時間がない。地球時間で5時間以内に入り込まないと、気体になって宇宙に戻ってしまうのだ。意を決して、女に近づいた。耳の穴から入り込む。一瞬で終わる。一気に飛び込もうとジャンプした私の前に、犬が突然現れて大きくほえた。 しまった。犬の中に入ってしまった。 「ジョン、急にほえてどうしたの?」女が、私の頭をなでている。どうしたものか。地球人については学習してきたが、犬についてはまったくの無知だ。逃げようと思ったが、首からひも状のものでつながれている。とりあえず、犬になりきって様子を見よう。そしてチャンスを狙って女の方に移るのだ。立ち上がって歩き出した私を見て、女が目を丸くした。「ジョン、2足歩行が出来るの? すごいわ。ちょっと待って、動画撮るから」しまった。犬は4本足だった。 それから私は「人間みたいな犬」として、ユーチューバー犬になった。ソファーでテレビを見たり、フォークを使って食事をするところをネットでさらされた。想定外だが、女と同じベッドで寝られることだけは、まあよかった。女は優しくて、いつも私をなでてくれた。「いい子ね」と褒めてくれた。女が眠っている間に、犬の体から女の体に移動することは易しい。しかし女の無防備な寝顔を見ると、なぜか躊躇(ちゅうちょ)してしまうのだ。

11カ国の出演者決まり制作発表 「世界のつくばで子守唄」コンサート

歌のコンサート「世界のつくばで子守唄 海のシルクロードツアー2023制作発表会」が28日、ホテル日航つくば(つくば市吾妻)ロビーで行われた。同市在住の脚本家、冠木新市さんの企画・プロデュースで、7月1日に開かれる。11カ国、15曲の子守歌をそれぞれの国や地域の出身者、約40人が歌や舞踊で披露し、コンサート後は各地域の交流会を行うという。 中国語の歌「祈り」を歌う劉暁紅さんと伴奏する大川晴加さん=同 制作発表会はコンサート会場となる同ホテルの「ジュピターの間」前で行われた。大川晴加さんのピアノ伴奏に合わせ、中国出身の劉暁紅(リュウ・ギョウコウ)さんが中国の歌「祈り」を歌い、披露した。「祈り」は日本の「竹田の子守歌」と同じ曲調で、中国だけでなくミャンマーでもよく知られる曲だという。演奏後はバングラデシュ出身のアナミカ・スルタナさんや台湾出身の潘頤萱(ハン・イガン)さんら出演者たちがそれぞれ自己紹介し、挨拶した。 挨拶する出演者の潘頤萱さん=同 つくば市在住で外国人サポートの仕事をしているアナミカさんは、コンサートで「アイアイチャンドママ」(日本語訳「来て、来て、ムーンおじさん」)という歌を披露する。この歌はアナミカさんが子どもの頃に母親から聞いた歌で、アナミカさんの母親も子どもの頃に聞き、代々伝わってきたという。「どのくらい古くから歌われているか分からない。子どもがよく眠ることを願う歌。バングラ語(ベンガル語)で歌います」と話す。

川遊び創出に海洋クラブ助け船 【桜川と共に】4

「最近の子どもたちは川に入ってはいけないと教わる。もっと川で遊んで、桜川の環境に興味を持ってほしい。そして澄んだ桜川を取り戻したい」。桜川漁協の組合員らは、大人が安全を重視するあまりに子どもたちが川から遠ざかっている現状を憂う。そんな中、子どもたちが川で遊ぶ機会を創出しようと、桜川に新しい風が吹き込んできた。 地元NPO、7月から本格的な活動へ 桜川での自然体験活動を先導するのはNPO法人Next One.(ネクストワン、つくば市研究学園)。筑波大学大学院で体育科学を修めた井上真理子さん(39)が代表を務める。桜川漁協の協力を得て今年から「B&G Next One.海洋クラブ」を発足させた。本格的な活動を7月から開始する。月1回、桜川での自然体験を行い、地域の人と交流しながら、環境問題についても学びを深めていく予定だ。 式で挨拶する山本杏さん=桜川漁協(つくば市松塚) 28日には、同クラブの活動拠点となる桜川漁業協同組合(つくば市松塚)でカヌーやライフジャケットなどの舟艇器材配備式が行われた。式では井上さんや器材を提供した公益財団法人B&G財団(東京都港区)の理事長である菅原悟志さんらが挨拶。市内外から訪れたクラブ員の児童ら16人とその保護者ら、つくば市環境保全課や観光推進課の職員も出席し、児童と漁協組合員らがクラブ発足を記念して桜の木2本の植樹を行った。式後は児童らが組合員やネクストワンのスタッフらから手ほどきを受けて釣りやカヌーの体験を行い、桜川の自然を満喫した。

土浦市立博物館が郷土史論争を拒絶!《吾妻カガミ》158

【コラム・坂本栄】土浦市立博物館と市内の郷土史研究者の間で論争が起きています。争点は筑波山系にある市北部(旧新治村の一角)が中世どう呼ばれていたかなどですが、博物館は自説を曲げない相手の主張に閉口し、この研究者に論争拒絶を通告しました。アカデミックディスピュート(学術論争)を挑む市民をクレーマー(苦情を言う人)と混同するかのような対応ではないでしょうか。 「山の荘」の呼称はいつから? 博物館(糸賀茂男館長)と論争しているのは、藤沢(旧新治村)に住む本堂清さん(元土浦市職員)。社会教育センターの所長などを務め、退職後は市文化財審議委員、茨城県郷土文化振興財団理事も歴任した歴史通です。「山の荘物語」(私家版)、「土浦町内ものがたり」(常陽新聞社)、「にいはり物語」(にいはりの昔を知り今に活かす会)などの著作もあります。 争点はいくつかありますが、主なものは現在東城寺や日枝神社がある地域の呼び方についてです。本堂さんは、同地域は古くから「山の荘」と呼ばれていたと主張。博物館は、同地域は「方穂荘(かたほのしょう=現つくば市玉取・大曽根辺りが中心部)」に含まれ、中世室町時代以前の古文書に「山の荘」の記載はないと主張。この論争が2020年12月から続いています。 博物館によると、この間、本堂さんは博物館を11回も訪れ、館長や学芸員に自分の主張を展開したそうです。そして、文書による回答を要求されたため、博物館は「これ以上の説明は同じことの繰り返しになる」と判断。これまでの見解をA4判3枚の回答書(2023年1月30日付)にまとめ、最後のパラグラフで論争の打ち切りを伝えました。 その末尾には「以上の内容をもちまして、博物館としての最終的な回答とさせていただきます。本件に関して、これ以上のご質問はご容赦ください。本件につきまして、今後は口頭・文書などのいかなる形式においても、博物館は一切回答致しませんので予めご承知おきください」と書かれています。博物館は市民との論争に疲れ果てたようです。