日曜日, 9月 19, 2021

川端舞

私の嫌いな言葉「頑張る」《電動車いすから見た景色》17

【コラム・川端舞】「頑張る」という言葉が好きではない。幼い頃から周囲に「頑張り屋さんだね」と言われるたびに、「自分は頑張らないと見捨てられるのだ」と無意識に思ってしまい、苦しかった。 もちろん、自分がやりたいことのために頑張ることは否定しない。それで夢をかなえることができたら素敵なことだ。しかし、私が純粋に自分の好きなことのために努力し始めたのは大学に入学してからだ。 「自分は障害があるから、勉強は誰よりもできないと、見捨てられる」。少なくとも中学時代までは、何も疑うことなく、本気でそう思っていた。だから頑張った。でも、どんなにいい点数を取っても、「これでまだ学校に通える」と一瞬安心できるだけで、また次のテストのために頑張ることしか頭になかった。自信が付いたり、自分をほめてあげることはできなかった。 どんなにいい点数を取っても、自分の障害はなくならないのだから、当然だ。当時の私は、自分の障害を学力で補おうとしたが、そもそも障害は勉強や個人の努力で補うものではない。校舎をバリアフリーにしたり、できない部分は周りが手伝ったりすることで解決できるものだ。環境を変えることで解決するべき問題を、私の努力だけに押し付ける言葉として「頑張り屋さん」が使われた。 もちろん、当時、そのような意図を持って、この言葉を私に投げかけた人は少なかっただろうが、幼かった私は「頑張り屋さん」という言葉にプレッシャーを感じてしまったのだろう。今でも「頑張る」という言葉にアレルギーがあるようだ。 休み方がわからない

本当は楽しかった高校時代 《電動車いすから見た景色》16

【コラム・川端舞】私は小学校から高校まで、普通学校に通い、体に障害があるのは自分一人だけという環境で育った。高校の卒業式の夜、「友達がほしかった。養護学校に行きたかった」と、母の前で大泣きした。でも、それは勘違いだったと、11年の歳月が経った今思う。 高校時代、本当は私には友達がいたし、楽しい思い出もたくさんあった。卒業時にそれを思い出せなかったのは、嫌なことだらけだった中学時代の記憶が強すぎて、人間不信になっていたせいだろう。高校3年生の1年間は受験勉強で必死になり過ぎていたのかもしれない。でも、高校3年間は大変なこともあったけれど、楽しかったことも同じくらいあった。 中学時代まで、私が学校にいるときは常に介助員がそばに付いていて、必要なサポートは全て介助員にやってもらうように言われていた。教科書を開いてもらうなど、簡単なことでも近くの友達に頼むと、「介助員にやってもらいなさい」と言われた。 高校に入学すると、介助員は付かなかった。その代わり、「困ったことは友達に手伝ってもらいなさい」と、それまでとは正反対のことを言われた。最初は同級生にどう頼んだらいいか分からなかった。特に教室から体育館に行く廊下に段差があり、数人に車いすを持ち上げてもらわないと体育館に入れなかった。入学したばかりの頃は、誰にも声を掛けられず、置いていかれてしまうこともあった。しかし、だんだんスムーズに声を掛けられるようになり、同級生からも「一緒に行こう」と声を掛けてもらえるようになった。 私も参加できるルール 体育の授業でバドミントンやバレーボールをするとき、私も一緒にできるような特別ルールを教員が考えてくれ、私も他の生徒と対戦する機会をつくってくれた。それを参考に、どうやったら私も学校行事である球技大会に参加できるか、クラスメートと話し合い、休み時間に体育館で練習をした。

《電動車いすから見た景色》15 私の中にある無意識の差別

【コラム・川端舞】「自分はどんな人も差別しない」。そう断言できる人はどのくらいいるだろうか。私にはそんな自信はないし、「もしかしたら無意識に誰かを差別しているかもしれない」と自分を省みることができる人間でいたいと思う。 障害者差別をなくすために、障害者と健常者の関係はどうあればいいのか。健常者の立場から差別について考える研修会が、2月上旬、障害者支援団体「つくば自立生活センターほにゃら」の内部職員向けに開催された(2月16日付)。 研修会では、部落差別を中心とした差別問題を研究する、筑波大名誉教授の千本秀樹さん(71)により、部落差別の基本命題が紹介された。これは、かつて、部落差別をなくすことを目指す運動団体「部落解放同盟」が提唱したものだ。 基本命題の1つは、「社会意識としての差別観念」だ。意識的に差別している自覚のない人であっても、部落差別が蔓延(はびこ)っている社会の中で暮らしていると、無意識のうちに「自分は被差別部落出身でなくてよかった」という差別的考えを持たされてしまう。そして、この考え方がさらに被差別部落と一般大衆の距離を広げる。 車椅子利用者を排除するアパート 身近な例で考えてみる。以前、私が別のアパートに引っ越そうと思い、物件探しをしたとき、ほとんどのアパートは外観を見ただけで候補から外れた。不思議なくらい、どのアパートの玄関にも段差がある。アパートを建てた人は、障害者差別をしているつもりは全くないのだろうが、結果として入居者から車いすユーザーを排除してしまっている。

《電動車いすから見た景色》14 好きな時に好きな場所に行ける自由

【コラム・川端舞】年が明けてから、県内の新型コロナ感染者が急増し、緊張感が高まっている。私自身は、身体障害はあるが、内科的な疾患は持っていないため、重症化はしないだろうと楽観視したくなる。でも、呼吸器や痰吸引など、普段から医療的ケアが必要な障害者は、感染すると重症化する危険性が高い。そのような仲間の切実な声を聞くと、背筋が正される。 私が軽率な行動で新型コロナに感染し、介助者を媒介として、他の仲間にうつしてしまったら責任重大である。少なくとも、県内に外出自粛要請が出ている期間は、通院や買い物など、最低限の外出しかしないつもりだ。 1月12日現在、茨城も東京も全域に外出自粛要請が出ているはずなのに、テレビに映る街中には、たくさんの人が歩いているように見える。「仕事などで外出しなければならない人もいるだろう」「ずっと自粛していたら疲れちゃうよね」と、街を歩いている人にも事情があるのだろうと想像してみるが、それでも羨ましく思ってしまう自分がいる。「自粛警察」と呼ばれる行動に出てしまう人の気持ちも分かるような気もする。 新型コロナが出てくる前、私は介助者にサポートしてもらいながら、好きな時に行きたい場所に行けることが当たり前に思っていた。しかし、ずっと施設の中で生活している障害のある人にとっては、施設から外出許可をもらわないと、気軽に買い物にも行けないことが、新型コロナが出てくる前から当たり前だった。そのような生活は息が詰まるに違いない。 頭では分かっているつもりだったが、実際に自分が気軽に好きなところに出かけられない状況になることで、自分は何も悪いことをしていないのに、そして他の人は外出しているのに、外出できないつらさが初めて分かった。施設で生活している人たちは、今までテレビなどから伝わってくる、気軽に買い物に行ったり遊びに行ったりしていた人々のことをどう思っていたのだろう。その気持ちを以前より想像できるようになった気がする。 コロナ後の世界

《電動車いすから見た景色》13 言語障害のあるライターとして

【コラム・川端舞】このコラムを書き始めて、丸1年。基本的に三日坊主の私としては、よく継続していると思う。毎回、とりとめのない話をしている気もするが、福祉施設に入所するのでも、家族から介助を受けるのでもなく、毎日ヘルパーから介助を受けながら、つくば市のアパートで1人暮らしをしている重度障害者の日常を、1人でも多くの人に知ってもらえれば幸いである。 今年3月ごろからは、NEWSつくばのライターとしても活動させていただき、つくば市内で様々な活動をしている方々にお話をお聞きした。コロナ禍で人と会う機会が減っている中で、つくば市をよりよくしようと奮闘しているたくさんの人と、対面やオンラインでお話しする機会をいただけて、幸せな1年だった。 私は言語障害もあり、言葉をはっきり発音することができない。特に初対面の人は、私の言葉を聞き取ることが難しいことも多い。相手が自分の言葉を聞き取れていないと感じたときは、私は伝わるまで繰り返し同じ言葉を言い直す。相手から何回も聞き返されることは、私は全く気にしないし、ちゃんと聞き取ろうとしてくれていることが分かって、逆にうれしく感じることもある。 それでも、あまりに会話の流れを中断させてしまうと、申し訳なく思うときもある。できるだけはっきり話そうとして、いつもより体に力が入り、余計に聞き取りづらい言葉になってしまうことも多い。その空気感が嫌で、幼いころの私は人前でほとんど話さなかった。 介助者がもたらす安心感 しかし、今は取材時を含め、外出するときは必ず、私とのコミュニケーションに慣れた介助者がそばにいる。どうしても言いたいことが相手に伝わらないときは、介助者に助けを求めれば、介助者が私の言ったことをすぐに通訳してくれる。だから今の私は初対面の人とでも安心して話せるのだ。

《電動車いすから見た景色》12 ちょっと失敗したさつまいもご飯

【コラム・川端舞】秋の味覚、さつまいも。近所の畑からたくさんもらい、どうしようか考えていたところ、誰かが「さつまいもご飯にしてもおいしいよ」と言っていたことを思い出し、作ってみることにした。 インターネットで検索したレシピをもとに、調理を開始。と言っても、私自身は台所に立つことはできないため、台所の床に座ったまま介助者に指示を出して、介助者に調理してもらう。 「さつまいもを洗って、切る」と私が指示を出すと、介助者が冷蔵庫からさつまいもを取り出し、台所で洗う。床に座っている私には、台所の上は見えないので、介助者はまな板と包丁を床に置き、私の見えるところでさつまいもを切る。さつまいもをどんな大きさで切るか、私が細かく伝えると、介助者がその通りに切っていく。 さつまいもが切り終わったら、介助者にお米をといでもらう。といだお米は釜に入れられ、私の目の前の床に置かれた。 「みりんを大さじ2杯入れて」。レシピを見ながら、介助者に指示を出し、介助者は私の指示通りに調味料を入れていく。最後に水をどのくらい入れるかを介助者に伝え、介助者がお釜に水を入れ、炊飯器にセットしたら、スイッチON。 失敗できる楽しさ

《電動車いすから見た景色》11 遠いようで身近な市議会

【コラム・川端舞】10月18日告示、同25日投開票で行われる、任期満了に伴うつくば市長選と市議会議員選。立候補予定者のパンフレットが続々と自宅の郵便受けに入ってくる。 正直、私は今まで市政にあまり関心がなかった。国政についてはテレビのニュースである程度の情報は入ってくるが、市政については自分から進んでインターネットなどで調べない限り、情報を手に入れられない。市議会で何が話し合われ、それが自分の生活にどうかかわっているのか、イメージができなかった。 そんな私が市政に関心を持つようになったのは、ここ数年、障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」に関わるようになってからだ。 今年8月、つくば自立生活センターは、市長選・市議選の投票時の参考にしてもらおうと、これまでの議会ではどのように「障害」について議論してきたかをまとめた冊子『つくば市議会を「障害」でポチッと検索』を刊行した。私も冊子の中でコラムを一つ書くなど、編集に関わったが、その過程で恥ずかしながら初めて市議会の議事録を読んだ。 それまで、議会で議員がどのように質問し、どのような方々がどのように答えているのか、考えもしなかった。議事録を読む中で、議員の皆さんは私たち市民の困りごとを一般質問という形で代弁してくれていることが分かった。市議会の議事録は市議会ホームページから誰でも閲覧できる。 障害についてだけでなく、それぞれ自分の興味のあるテーマについて検索し、自分にとって重要な質問をしてくれている議員に投票してみるのもいいかもしれない。

《電動車いすから見た景色》10 自分の中の矛盾と向き合う

【コラム・川端舞】前回までのコラムで、障害のある子どもとない子どもが同じ教室で学べる学校は、全ての子どもが安心して過ごせる環境だと偉そうに書いたが、障害のある子どもが普通学校に通うことに完全には賛成できない気持ちもある。矛盾していると自分でも思うし、情けないとも思う。 高校の卒業式が終わった夜、私は母を怒鳴った。「なぜ自分を普通学校に入れたのか」と。22年前、私が小学校に入学するとき、重度障害のある私を普通学校に入学させるために、両親は何度も、特別支援学校への入学を勧める教育委員会と交渉した。小学校入学後も、低学年の頃は、毎年「次年度は特別支援学校が適当である」という通知が家に届いたそうだが、両親は私を普通学校に通わせ続けた。 そんな母を高校の卒業式の夜に私は怒鳴った。「特別支援学校に行きたかった」とも言った。高校時代まで、自分以外の同級生はみんな健常児という環境で育った私は、言語障害のある自分は気軽に話してはいけないと思っていた。その反面、気軽に話せる友達がずっとほしかった。同じような障害のある子がいる特別支援学校なら、もっと友達ができたのではないかと思い、自分を普通学校に通わせた母を怒鳴ってしまった。 一緒に考えてくれる人の存在 しかし、私が学校で話せなかったのは、私に障害があるからでも、普通学校に行ったからでもない。障害児も普通学校に通うことが当たり前の環境で、どうすれば言語障害のある私でも他の子どもと関われるようになるのかを一緒に考えてくれる先生がいてくれたら、当時の私も安心して同級生と話せたかもしれない。同じ学校に自分以外にも様々な障害のある子が通っていて、障害のある子とない子が入り混じって過ごしていたら、「自分もここにいていいんだ」と思えたかもしれない。 障害のある子とない子が同じ教室で学び、できないことはお互いに助け合うことで、障害のない子にとっても安心して過ごせる環境になることに異論はない。

《電動車いすから見た景色》9 障害児が障害児を見下す矛盾

【コラム・川端舞】障害のある子どもとない子どもが同じ教室で学べる学校は、全ての子どもが安心して過ごせる環境だと、前回のコラムで書いたが、それは私自身の経験からも言える。 私は子どものころ、重度の障害がありながら通常学校の通常学級に通っていたが、教員や親の態度から、無意識に「私は障害があるから、勉強だけはできないと、学校から追い出されるのだ」と信じ込んでいた。学校の特別支援学級には知的障害のある同級生もいたが、当時の私は「自分は勉強ができるから、特別支援学級の生徒たちとは違うのだ」と特別支援学級にいる同級生を見下していたように思う。 今思えば、彼らとろくに話したこともないのに、障害という理由だけで自分とは違う存在だとみなしていて、とても失礼な話だ。 一方、当時の私は、自分にも障害があるのに、他の障害者を見下している矛盾に嫌悪感も持っていた。自分も学校の授業についていけなくなったら、見下される側になるのだという恐怖感もあった。成績の良し悪しだけが、人間の価値を決める物差しだと思っていたのだ。 自分の考え方が間違っていると気づいたのは、大学を卒業後、自立生活センターに関わり始めたことで、様々な障害者と出会ってからだ。できないことは周囲に手伝ってもらいながら、自分らしい生活を送っている障害者が社会にはたくさんいることを知った。知的障害のある人たちと関わったり、彼らを支援している人たちの話を聞いたりする中で、自分1人では難しくても、支援者とコミュニケーションを取りながら、生活のいろいろなことを一緒に決めていく生き方があることを学んだ。 そのような環境の中で、学校の勉強だけがすべてではなく、苦手なことは周囲に手伝ってもらえば、どんな障害があっても社会で生きていけると考えるようになった。同時に、それまで漠然とあった「勉強ができなかったら見下される」という不安感から解放された。

《電動車いすから見た景色》8 インクルーシブ教育って何だろう

【コラム・川端舞】日本が2014年に批准した国連の障害者権利条約では、国は障害児が一般的な教育制度から排除されないようにするとされている。日本には障害児が通う特別支援学校があるが、障害者権利条約では特別支援学校は一般的な教育制度の中には含まれない。障害のある子どもとない子どもが同じ場所で学ぶことを基本としている。 障害者権利条約が目指している教育を「インクルーシブ教育」と呼ぶ。私は障害を持ちながら、小学校から高校まで普通学校に通っていたが、インクルーシブ教育を受けたとは思っていない。特に小中学校の頃は、学校で周りに迷惑をかけないために、友達に手伝ってもらってはいけないと言われていたし、言語障害のある私の言葉を聞いてくれない先生もいた。誰かに直接言われたことは無いが、学校の雰囲気から「私は障害があるから、勉強だけはできないと普通学校に通えなくなるんだ」と思っていた。 障害者権利条約が目指すインクルーシブ教育は、障害の程度やどのくらい能力があるかを、障害児が普通学校に通える条件にしてはならないとされる。「授業についていけるなら」「一人でトイレに行けるなら」など、何かができるかどうかで、障害児が普通学校に通えるかどうかが変わる教育は、インクルーシブ教育に対して統合教育と呼ばれる。 一定の条件をクリアできないと、障害児は普通学校に通えないという考えが学校現場に広まってしまうと、障害のない子どもたちも、「周りと違うのは悪いこと」「できないことを手伝ってもらうのは悪いこと」というような息苦しい考え方になってしまうだろう。 すべての子どもが尊重される教育 反対に、障害のある子どもとない子どもが同じ教室で学び、できないことは友達同士で助け合う環境だったら、障害のない子どもも「できないことは周りに助けを求めていいのだ」と思えるようになるだろう。

《電動車いすから見た景色》7  それぞれのマスク事情

【コラム・川端舞】もはや外出時のマスクは常識になりつつある。マスクをしていない人を見ると、つい冷たい視線を送ってしまう。しかし、マスクは誰にでもできるものなのだろうか。 私は脳性まひという障害のため、手足の筋肉と同じように、口の周りの筋肉も思うように動かせない。何か話そうとするとき、自分では他の人と同じように口を動かしているつもりなのだが、無意識に顔の筋肉が必要以上に動いてしまう。そのせいで、話している間に口元のマスクがどんどんずれて、マスクの意味がなくなってしまうことがある。 また、マスクをしていることで顔の筋肉を動かしにくくなり、周囲が私の話している言葉を理解するのに普段より時間がかかる。言語障害による言葉の聞き取りづらさに拍車がかかっているようだ。感染予防のためには、話す時もマスクをすることが大切なのは分かっているが、スムーズにコミュニケーションをするためにマスクをはずしたいと思ってしまう。 口元が見える透明なマスク 私以外にもマスクを不便だと感じる人はいるようだ。もともと呼吸器の疾患がある人は、マスクをつけることにより呼吸が苦しくなってしまう。知的障害者で肌の感覚が他の人より過敏な人は、ゴムを耳にかける感覚がストレスになり、マスクをはずしてしまう人もいるようだ。 聴覚障害者はマスクにより相手の口元が見えなくなることで、会話を理解しづらくなるというニュースも見た。障害者だけでなく、小さい子どもなどマスクをし続けることが難しい人もいるだろう。

《電動車いすから見た景色》6 コロナ禍の中でお互いにつがなるには

【コラム・川端舞】ウイルスは人と人との物理的距離を広げる。障害当事者団体である自立生活センターに関わり始めた時、障害者が外に出て、買い物したり遊びに行ったりすることで、地域の人と関わることも、立派な社会運動であると教わった。現在は介助者のサポートを受けながら一般のアパートなどで生活している障害者も多いが、普段障害者と会う機会のない人は、重度障害者は福祉施設でしか生活していけないと思っていることも多いだろう。 そのような人たちに、重度の障害があっても支援を受けながら、障害のない人と同じように地域社会の中で生活していけるということを知ってもらうためには、お店や公園など日常生活の中で普通に暮らしている障害者に出会うことが必要だ。このような考え方を背景に、今まで私もできるだけ通販などは使わずに、介助者と一緒に直接お店に買い物に行ったり、つくば自立生活センターでは地域の子どもたちを集めてイベントを開催したりしてきた。 そんな今までの生活も、「新しい生活様式」のもとで変わってくるのかもしれない。現在、障害のない人でも買い物は通販が奨励されており、これから多くの人が集まるイベントには神経質になるだろう。最近はオンライン通話なども広がっているが、オンラインでのコミュニケーションは関わる相手も話す話題も限られてしまう。 街中で手話で話している人を見かけることも、バスの運転手が車いすの人のためにスロープを出してくれる風景も、今より少なくなってしまうのだろうか。周囲の人と距離を取ることが求められる社会で、どうしたら障害のある人とない人が接点を持てるのか、改めて考え始める必要があるのかもしれない。 何年も自由に外出できない人もいる そして忘れてはいけないのは、地域で暮らしている障害者よりも世間の人に知られていないのが、福祉施設の中にいる障害者であるということだ。新型コロナがある程度落ちつき、ほとんどの人が自由に外出できるようになったとしても、施設の入所者が何年も自由に外出できないという現実は変わらないのだろう。

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黄色のリュック型も選択可能に 土浦市 新1年生にランドセル贈呈

土浦市では、市立小学校や義務教育学校に入学する子どもたちのために、1976年から毎年、入学祝品としてランドセルを贈呈している。来年度から、従来の赤と黒のランドセルに、黄色のリュックサックタイプが加わり、3種類の中から選べるようになった。 従来の赤と黒のランドセルは人工皮革で、重さ約1キロであるのに対し、黄色のリュックサックタイプは850グラム。軽量化のニーズに応え、選択肢を増やした。 同市教育委員会学務課の担当者は「実際に背負い比べた子どもたちは軽いと言う。子どもにとって150グラムの差は大きいのではないか」と話す。 ファスナーを開いた状態のリュックサック=同 黄色のリュックサックタイプは、ポリエステル製。出し入れしやすいようにファスナーが大きく開き、教科書やノート類は、中のベルトで固定できる。 背中は汗をかいてもべたつきにくいメッシュ仕様。背負いひもにはランドセルと同様にフック(ナスカン)があり、防犯ブザーを付けることができる。

プライドと劣等感 《続・気軽にSOS》93

【コラム・浅井和幸】①周りを低く見る言動をする。②自分は素晴らしいという評価を周りに押し付ける。ちょっとでも悪く言うと怒りだして、①や②の言動で周りを攻撃してくる。程度の差はあれ、誰にでもある性質です。ささいなことならば、子どもっぽくてかわいいで済みますが、程度がひどく、繰り返す場合は、厄介な人で、できれば関わりたくない人ですね。 関わらずに済むのなら簡単な話ですが、それが家庭、教室、職場でいつも顔を合わす人だと大変。気を使いすぎて、抑うつ状態になって、相談室を訪れる人もいるぐらいです。 DV、児童虐待、いじめ、パワハラなど、「自分のことをきちんと評価してほしい」という願望の持ち主(加害者)によって、弱者が苦しめられるという構図がしばしばあります。 「自分のことをきちんと評価してほしい」という願望は、「周りの評価が気になる」という性質と、「自分は正当な評価を受けていない」という気持ちが強ければ強いほど、大きくなります。これらの性質は、つまりは劣等感だと言うことです。 パワハラ上司と付き合う方法 自分とパワハラ上司という関係で考えてみてください。「自信満々で、自分のことを責めてくる上司が、劣等感を持っているなんて信じられない。大きな声で怒鳴られて、縮こまって苦しんでいる自分の方が劣等感の塊だ」と考えますよね。

オンラインお見合い開始 いばらき出会いサポートセンター

少子化対策のカギは若者の未婚化・晩婚化対策にあるといわれる中、いばらき出会いサポートセンターは9月から、コロナ禍でもスマートフォンやパソコンでお見合いができる「オンラインお見合い」サービルを開始した。県外からも幅広く入会できるよう入会条件を緩和し会員の出会い強化に乗り出した。 同センターでは、すでに4月から新AIマッチングシステム(スマートフォン対応・AI診断機能搭載)の運用を開始し、男女の出会いと結婚を支援している。その結果、新規入会者数やお見合いの実施組数等が大幅に増加しているという。 AIマッチングシステムの特徴は、会員個人のスマートフォンやパソコンからお相手を検索したり、お見合いの申し込みが出来、価値観診断テストの結果からAIが相性の良い相手を紹介する。加えて9月からは、対面によるお見合いのほか、オンライン上でのお見合いが選択できるようになった。 入会の条件は、結婚を希望する人で、インターネットが利用できる人。 入会登録料(2年間有効)は県内在住か在勤、親が県内に在住か、あるいは県内への移住に関心がある人は1万1000円(消費税込み)。 9月からはこれらの条件以外の希望者も入会できるようになった。入会登録料は2万2000円(税込)。

コロナ禍での認知症 《くずかごの唄》94

【コラム・奥井登美子】 「コロナが心配で、心配で、朝まで眠れないんだ。睡眠薬5ミリではだめなので、今度10ミリにしてもらった」 近所に住むAさんが処方箋を持ってやってきた。ゾルビデム5ミリグラムが10ミリグラムなっている。この薬は向精神(こうせいしん)薬で、認知症を促進するデータがあるといわれている薬である。Aさんと高校時代からの同級生で仲良しのBさんに聞いてみた。 「このごろ、2人で散歩していないわね。けんかでもしたの?」 「けんかなんかしていないよ。けれど、A君このごろ、ちと、おかしい。いつもと同じ道を歩いているのに、違う道だ、なんて言うんだ」 「困るわね」