【コラム・奥井登美子】1971年、佐賀純一さん(土浦市の開業医・作家)が外国から故郷の土浦に帰ってきてびっくり。霞ケ浦はアオコでぎっしり、漁船もアオコで港から出られないありさま。水道水もアオコ臭くて新米を炊いても臭う。

当時29歳だった佐賀さんは、早速、医者仲間、水道水の臭いで困りきっていた飲食店組合、近所の主婦を集めて「土浦の自然を守る会」を結成し、74年には「いのちの水を守る」キャンペーンを展開。市民が考えた浄化対策を2万人の署名を添えて国と県に提出した。

しかし、国会議員さん、県会議員さんから「水問題は高度に政治的だから市民が口を出してはいけない」「素人が口を出すなんてとんでもない」と、ものすごいお叱りを受けてしまった。

私たちは政治屋さんに期待するのをあきらめて、子供たちに自然の大切さを知ってもらおうと、土団子づくり、泥鰌(どじょう)つかみなど、泥だらけになって発散する「こどもまつり」を企画。亀城公園で開いた催しには、74年に5,000人、75年には7,000人が集まった。今では考えられない子供の数である。

河童のような緑色 ドロリとした湖水

82年には、霞ケ浦周辺の市民団体を誘って「霞ヶ浦をよくする市民連絡会議」結成、霞ケ浦流入河56本、200カ所の水質調査をはじめた。パックテストもない時代。もらってきたビール瓶(びん)で採水したので、事務所の奥井薬局は瓶で足の踏み場がなくなってしまった。

分析をどうするか、アオコの度数を何で表現するか。参加の大学生たちと、毎日検討会を開き、苦労して案を練った。学生として参加した、森保文君、片亀光君、前田恭伸君、大浅野利久君たちは、今、日本各地に散らばって、環境問題の専門家として活躍している。

83年に琵琶湖で開かれた世界湖沼会議プレ会議で、私は「市民の手による市民のための水調査」を報告。翌年の第1回世界湖沼会議では、佐賀さんが「アオコカッパからの提言」と題して、霞ケ浦の水質問題や市民運動を紹介した。

その時、私は霞ケ浦のアオコだらけの水を瓶に入れて持参し、会場の人に嗅いでもらった。その反応はすごかった。湖の水がまるで河童のような緑色。どろりとして、鼻をつく臭いに、会場全体が佐賀さんの話に心底耳を傾けてくれた。

会場の前では、湖が淡水化されれば蜆(しじみ)の危機になると、宍道湖の漁民たちが中心となって蜆汁を配っていた。翌年、私たちは、日本の中の湖沼を知りたいと、宍道湖で開かれた市民の会に参加、宍道湖の実情を知ることになった。(随筆家)