《ひょうたんの眼》7 観光振興に便乗するビジネス


【コラム・高橋恵一】観光客の招致が地域振興の目玉と位置付けられ、様々な取り組みがされている。最近は日本も観光立国と国レベルで喧伝されているが、どうも違和感がある。「観光」とは、文字通り、光=自他ともに誇れるものを、観るあるいは観せることだ。素晴らしい景色、文化的価値の高い建造物、人々を魅了する祭りやイベント、名物料理など。それらに浸りたくて来る人々を観光客という。

北陸の某高級温泉旅館は超一流のもてなしと豪華な料理・施設で有名だが、料金も中途半端でない。庶民は1回だけでも泊まりたいという憧れの旅館だ。その利用者はどこから来るのか? 隣接地域の近畿地方が20%、東京を含む全国が30%、地元北陸3県が50%だそうだ。

遠くの観光客が来てくれるのは、地元の人々に愛されるからなのだ。自ら足を運び、自ら親しみ、自ら誇りに思うものだから、他の地域の人々にも観てもらいたい。その気持ちが根底にあって、観光業・観光地が成り立つのだと思う。

観光振興が地域の経済活性化に繋がることは否定しない。しかし、ビジネスチャンスを優先する発想で、地元の宝物を利用しようとすることは歓迎できない。ユネスコの世界遺産のときも触れたが、他の地域と競って指定を受けるものでもなかろう。人類の歴史や地域の自然の営みを永く歴史に位置付け、その維持保存に万全を期す覚悟を持って指定を受けるべきであろう。

山口萩は「忖度」遺産?

余談だが、明治維新に繋がる産業革命遺産群が世界遺産に指定された。中には、萩の反射炉や松下村塾が含まれているが、茨城の那珂湊の反射炉や弘道館の方が歴史的意義は大きいと思う。萩は為政者の地元である。日本政治史に輝く「忖度」遺産としてなら納得できないでもないが…。

世界遺産指定など、世の中、観光地・資源の権威づけに力を入れているが、日本人の自主性のない「評価基準」を反映したものなのだろうか。自らの眼で美しいと感じ、自らの舌で美味しいと感じるものにこそ、真の価値がある。

底の浅い観光に便乗するビジネスもいただけない。例えば民泊だ。旅とつながる「民泊」の原型は、ホームステイであり民宿だろう。その土地の人々のくらしの雰囲気の中で、普通の家庭・農家・漁家などに泊めていただく。ホスト家族と伴に家庭料理を味わい、その土地の物語を聞かせてもらう。外国人客ともなれば、そのまま国際交流になる。ホストファミリーとの交流もなく、空き部屋利用の宿泊対策ではあまりにも貧相だ。

さらに、地域振興の目玉として、「カジノ」をつくるのだそうだ。金持ち外国人をターゲットにする国家的ビジネスだそうだ。しかし、外国人呼び込みをうたい文句にして始まったマカオのカジノの大半のお客さんは、中国国内からだ。週3回以内という「厳しい」規制下で、生活破綻の憂き目を見るのは日本人客になるのが目に見えている。

自らの素晴らしいものをおすそ分けし、おすそ分けを受ける観光。なのに、一部の人が観光を餌食にする。タコが自らの足を食べるたとえ話を、改めて思い出す時ではないか。(元オークラフロンティアホテルつくば社長)