【コラム・浅井和幸】ある女性が、大切にしている人からいただいた花瓶を落として割ってしまいました。とても大切にしていましたので、ちょっとしたミスで割ってしまった花瓶を見ても現状が呑み込めず、しばらく何もできず呆然としていました。

何分経ったでしょう。やっと自分のミスの大きさに気づき、取り返しがつかないことをしたという後悔と自責の念が大きくなり、かなりの時間泣き続けていました。そこへ旦那さまが帰って来て、「どうしたのか」と聞くので、言葉に詰まりながら大切な花瓶を割ってしまったことや、自分の苦しさ、悲しさを伝えました。

すると旦那さんは、その苦しさから解放してあげたいと思い、その花瓶を接着剤で直してやろうか?と聞きます。奥さんが首を横に振るので、では同じものを買ってきてあげようか?とか、その大切な人に謝ってきたらどうか?とか、自分が代わりに謝ってきてやろうか?とか、出来得る限りの解決法を伝えました。

奥さんは、首を縦に振るどころか、怒り出してしまいました。旦那さんは、訳が分かりません。とても苦しいのだから、早く抜け出せるように一生懸命考えて提案したのに、逆に怒られるなんて信じられないと、旦那さんも怒り出し、大喧嘩に発展してしまいました。

これは作り話ですが、かなりありふれた日常的に起こる行き違いです。共感だけが大切だという意見に私は反対です。しかし、共感を得られたと感じられないアドバイスは、とても危険です。逆効果になるのです。

うつ病の娘さんを持つお母さん(Aさん)がいました。共感をしているのに、喧嘩を繰り返しているという相談でした。本でいろいろ勉強したし、カウンセリングをAさんは受けていました。

共感が大切だということを理解して実践しているのに、喧嘩ばかりで、どうしてよいか分からなくなった。カウンセラーから言われたから、アドバイスをしたいのに我慢している。毎日が同じことの繰り返しなので、共感よりも、アドバイスをした方がよいのではないかとさえ考え始めているとのことでした。

会話を簡単に書くと、次の通りです。娘さん「将来がとても不安で、眠ることもできずにつらい」。Aさん「そんなにつらいんだね。散歩でもしてみたらどう」。娘さん「散歩もできないほどつらいから、話しているんだよ」。Aさん「とりあえず日光浴がよいみたいだよ」。娘さんが怒り出し、暴力をふるう。

Aさんは、共感しかしていないつもりですが、共感とアドバイスを一緒にしていました。それだけでなく、共感の表現だと解釈して、共感の言葉もなくアドバイスをすることもありました。

共感自体がむずかしい概念なので、今、相手が言っていることに興味を持つといいですよと私は伝えることが多いです。上手くいかない時は、何かしら事実を間違って受け取って、解釈していることも考えられます。人をいやす技法は、人を傷つける技法にもなりかねないので、気を付ける必要があります。(精神保健福祉士)