【コラム・浅井和幸】私が理事長をしているNPOがあり、毎月、何ヶ所かでお茶会を開催します。それぞれのお茶会は、問題に対する苦しさや対処の方法の話だけでなく、参加者によって、地域の話、ゲームの話、音楽の話など、特色が出ます。

先日は、あまり外に出ない人、そのような状態の子の親、仕事を続けている人など、幅のある参加者のお茶会がありました。その中で、お客さん相手の仕事をしていて、機械に対するクレームが入る話が出ました。

怒りをぶつけられて、嫌だったろうし、腹も立ったろうし、拒否したいという気持ちもあったと思います。ですが、その参加者は、お客さんが楽しみに来たのに、機械のトラブルで腹が立つのも分かると、理解のある考えでした。短気である私にはない、器の大きさです。

働き始めのころは、怖いと感じたり、理解できないと思ったりすることもあったが、経験を積むごとに、お客さんの気持ちに寄り添えるようになってきたそうです。

しかし、経験を積んだからこその悩みがあると言います。何だろな?と耳を傾けていると、最近、自分が誠実ではない対応をしているのではないかと感じているというのです。誠実でないということは、手を抜いているとも感じると。

お客さんに寄り添って話を受け止めているのに、何が誠実でなく、手を抜いていると感じるか聞いてみました。すると、お客さんの気持ちも分かるので、その話に合わせて返答をすることがある。その返答は、自分では完全にそのように思っていなくても合わせている。

頭の片隅には、お客さんに合わせた方がクレームへの対応時間を短くできるとの思いがある。そのために、自分が思っていることに反する返答することは誠実な対応じゃないし、それは手抜きをしていると感じるということでした。

途中で倒れないようペース配分

いや~、すげ~真面目だなぁ~というのが私の感想です。そして、疲れるだろうなぁというのも、正直な感想になります。それらも伝えつつ、私は次のように言いました。

まず一つは、お客さんが理不尽に怒っているときに、正論で返してしまうと、お互い余計に腹が立ち、余計に時間を使ってしまい、お客さんにとっても損なことだと思う。いつも正面衝突でぶつかることがよいとは言えない。だから、自分の思いを抑えて接客することが誠実ではないとも言い切れない。

お客さんの気持ちに、自分の気持ちを抑えて合わせ、時間を短縮できることが、クレームに手を抜いていると思わなくてもよいと思う。他の仕事もあるのだから、こちらの気持ちや機械の扱い方の全てを理解してもらうために時間を使うことが、手を抜かないこととも言い切れないだろう。

心身共に疲れるまで仕事をすることは誠実なのかもしれないけれど、途中で倒れないようにペース配分が必要なはず。フルマラソンを走る選手は、100㍍で倒れてもよいとすれば、100㍍だけはもっと速く走れるだろう。しかし、フルマラソンを走り切るには、ペースを落とさなければいけない。それは手を抜いているのではなく、目的に合った最速の手段をとっているということでしょ?(精神保健福祉士)