沼尻正芳さん

【コラム・沼尻正芳】在職中、毎年 卒業生に「笑顔の似顔絵」を贈ってきました。似顔絵は、校長9年間で1000枚を超えました。

新米校長だった私は、毎朝 中学校の校門で生徒たちとあいさつを交わし、学校づくりの夢を巡らせました。「生徒が主役の笑顔あふれる学校をつくりたい。飾り物の校長、偉ぶる校長にはなりたくない。生徒、先生、保護者、地域と協力して夢を実現させたい」。少しずつ、具体的に実行しようと思いました。

修学旅行中の生徒たちはとてもフレンドリーで、一人ひとりに笑顔があふれていました。普段の生活でもこの笑顔をいっぱいにしたい。ふと、この笑顔を描きたいと思いました。笑顔は自信を生み、自らを励ます元になるはずです。一人ひとりの生徒を主役にする「笑顔の似顔絵」を描き、それを卒業へのはなむけにしたい。

3年生は160人。思うはやすし、行うは難しです。私は、毎日生徒たちに声をかけ、名前を覚えました。生徒たちからも声をかけられるようになり、その笑顔に励まされていました。「笑顔の似顔絵」への思いは日毎に強くなりました。

「高い目標を目指そう。夢は一日一日の積み上げで実現させる」と、私は生徒たちに語ってきました。その言葉は、私自身にも向かってきました。「生徒たちと受験勉強を共有する。中学3年間のドラマを思い、合格を祈り、一人ひとりを描こう」。そう決心し、実行するまで8ヶ月かかりました。

ノルマ課し 毎夜・休日正座して

12月になり、カレンダーに1日のノルマを課しました。毎夜・休日と、正座して「笑顔の似顔絵」を描きました。まさに時間との闘い、生徒への思いが試されました。学校では生徒と交流し、家では卒業アルバム用の個人写真を見つめてひたすら描きました。似顔絵がもろ刃の剣になることも考えました。中学生は、自己嫌悪や様々な葛藤(かっとう)を持つ世代です。

この似顔絵が気に入らなければ、似顔絵の笑顔はうそになる。全員を描き終えなければ、卒業式で1枚でも贈ることはできない。1枚1枚に差がでないように気に入るまで描き直し、筆先に全神経を集中させる毎日でした。

校長室で、班ごとに生徒たちと給食を食べ、ほぼ完成した似顔絵を見せて面談し、感想を聞きました。その後、出来た似顔絵は、順に数枚ずつ、校長室前に展示しました。すると、休み時間の度、生徒たちが続々とやってきました。驚いたことには、長く休んでいた生徒も学校に出て来ました。

「笑顔の似顔絵」160枚は、卒業式間近に完成しました。色紙に描いた絵の裏に、担任と一言添えて卒業式で贈りました。似顔絵を手にした生徒たち、一人ひとりが笑顔でした。そっと胸をなで下ろしました。そんな生徒たちの笑顔が、退職するまで「似顔絵」を描き続けてきた原動力になりました。(画家)

【ぬまじり・まさよし】水海道一高卒、武蔵野美術大学卒。千葉県公立中学校で教職に就き、茨城県公立小中学校長を退職後、つくばみらい市公民館長などを歴任。現在(一般社団法人)新極美術協会副理事長。1951年茨城県生まれ、つくばみらい市在住。