【コラム・大島愼子】「働き方改革」では、制度を論じるよりも、欧米社会と日本の精神文化の違いを理解することが重要である。日本人は役職イコール「地位」と考え、 地位に縛られて自由に発言が出来ない。上意下達、忖度の世界が展開する。欧米社会、特にドイツ人は、役職を「役割」ととらえる。従って、会議では社長も平社員も対等に議論する。

仕事の理解に必要なのが、Job Description (職務記述書)である。ドイツのような専門職社会では、職務内容とそこに示された権限によって給与が決まり、雇用契約が結ばれる。その職位に求められる最低限の内容であり、通常はそれ以上の成果を上げることが求められる。そしてその職位の要件に「学歴」がある。もっともマイスター制度の職人社会はこの限りではない。

私は航空会社の客室乗務員であったが、この職位に大学教育は必要とされない。サービス関連の職業学校に行き、語学力と適性があれば採用される。私の場合は、日本で大学卒の女子の雇用が制限されていた時代であったので外国企業に就職したが、当時6,000名以上の客室乗務員で大学卒は稀であった。

一方、人事、企画、財務など戦略的な内容の仕事につくには、高等教育の学位が必要である。私の知人にスチュワード(男性乗務員)として採用され、通信教育や大学の公開講座を利用して学位を取得し、最終的には機内食会社の社長にのぼりつめた職員がいる。

ある意味では、社内に労働市場があるようなもので、自分の努力で資格や学位を取得すると高い職位につく可能性が広がるのである。日本の場合は、一度就職すると、その後資格や学位を取得しても社内で評価され待遇に反映する制度は無いに等しい。

幹部職はビジネススクール修了者

90年代の半ばに全社的に通知が出た。「本部長以上の役職には、ビジネススクールを修了する必要がある」というものである。今後、管理職の社内募集要項には、学歴の要件が大学卒ではなく、経営学修士(MBA)取得となるという告知である。私が社会人として大学院に行ったのはこの通達の影響である。企業が、上級管理職には実務経験だけでなく、学術的な知見を求める時代になったと理解したからだ。

また、グローバル企業では、アメリカのPh.D取得者の方が、ドイツのDr.の称号よりも高い給与を得るとも聞いた。その後、EU諸国の大学は制度を変更しアメリカ式に統一した。結果的に私は大学教員になり、ドイツの大学で、世界各国から教員を招へいして英語で講座を行う「国際週間」で講義をしている。欧州の大学も、英語で学位が取得できることを宣伝するグローバル時代なのである。(筑波学院大学 学長)