【コラム・奥井登美子】第17回世界湖沼会議に向けての土浦サテライト会議が、内容も人数も、今までの環境問題の行事を断然越えていた。こんなにたくさんの市民が、サテライト会議に参加してくれたのだと思うと、夢のような気がする。

いただいた資料を満遍なく丁寧に目を通してみた。私が注目したのは、高校生たちの発言だ。高校生の年齢で感じたことは、一生その人を支配する。地学、生物、化学、何でもいい。きっかけを作って、環境問題を真剣に考える基礎にしてほしい。

私も高校生の時、文学部長として芭蕉の「奥の細道」の絵巻づくりに熱中していた。しかし、殺生石のところで行き詰った。石の色と形が浮かばない。石の中に天然ヒ素が含まれていて、虫が回りで死んでいるという絵の構想が浮かばない。

大学受験で父と対立していた時期だ。父は祖父の加藤尚富の出身が二条城の御製薬所だったのを理由に、祖父の名をもらってつけた私に、どうしても薬科大学を受験して、薬剤師の資格だけは取っておけと言って聞かない。

文学少女が薬剤師になったわけ

文学部か薬学部か迷っている時に、殺生石のひ素が出てきてしまった。父は「薬大に行けば、ヒ素の知識なんか簡単にわかるよ」と言って、私をけしかける。

あまり気が進まずに入った薬科大学。そこの授業で、東大の衛生裁判化学の助教授だった奥井誠一に、ヒ素の検出法などを教わった。奥井誠一は森永ひ素ミルク事件裁判の時、ヒ素中毒の証言をしたくらいだから、ヒ素毒については日本で一番詳しかったらしい。

私は食い入るように彼の話を聞いていた。何年かたって、回りまわった運命のいたずらで、彼の弟と結婚した後も、誠一兄から、ヒ素が実際にまぎれて入ってしまった怖い事例を、たくさん聞いてしまった。

無味、無臭の微量物質が人間の生死にどんな形で関係してくるか。ナポレオンもヒ素で殺されたという噂がある。高校時代に抱いた興味と、学生時代に学んだ微量毒物の知識は、その後、土浦に来てからの「土浦の自然を守る会」の活動にけっこう役に立った。(随筆家)