【コラム・及川ひろみ】私たちの会が発足したのは1989年9月。この素晴らしい里山を知ってもらうために、これまで土浦市の公民館祭りや市の文化祭などで環境展を開いてきました。90年には、今はない西友土浦店の5階フロアー約半分のスペースで「どんなところ 宍塚の里山」展を行いました。

2500分の1の地図を基に作った宍塚と天王池の里山の立体模型。四季折々の里山の生き物を180×90㌢の用紙4枚に書いたのぼり。宍塚のチョウや植物の標本や写真。石こうで作ったキツネやタヌキやイタチの足跡。里山の木の実、ハスの実、稲穂の束なども紹介しました。

最近では、フクロウ、ノスリ、カワセミ、コガモ、マガモ、ハシビロガモ、オオバン、バンなどの野鳥のはく製。亀の骨格標本(生きた亀の首の動きを再現したいと、軟骨が固まらないよう毎晩ストレッチを続け、首がぬっと前に出る亀の標本)も展示しました。

2003年には、大池で死んだコハクチョウのくちばしから尾までの骨格と白鳥の翼羽(まさに天使の羽です)の標本を展示しています。死んだハクチョウには外傷がなかったことから、解剖して死因を探りました。脳と筋肉を専門家に送り、死因は鉛中毒であることが判明しました。

この死んだハクチョウをなんとか活かしたいと、解剖して骨格標本を作りました。ゲーム感覚で並べながら、1羽の鳥に仕上げます。骨からは恐竜との関係が推測でき、飛ぶために特化した鳥の構造が学べますが、触れて学んで楽しむ展示を心がけています。

野鳥の愛の深さ 痛ましい姿

大池にやって来たハクチョウ。いつもは3日ほどで池を去りますが、その時は約1カ月逗留(とうりゅう)し、首を垂れて池に浮いていました。いつも2羽でいたハクチョウでしたが、残った1羽は大池の谷津の奥に入り込み、鳴きながら仲間を探し、4日目に飛び去って行きました。

野鳥の愛の深さと痛ましい姿が忘れられません。宍塚に来る前に鉛を飲み込んだものと考えられます。はく製も標本もすべて環境教育用に作成したものです。

今年の土浦市環境展は10月13日(土)、「世界湖沼会議サテライトつちうら」の一環として、県南生涯学習センターで開かれます。タイトルは「関東平野最大級の里山、宍塚の里山保全」です。

1990年、東京から筑波山麓まで、5万分の1の地図を貼り合わせ、土地利用図を作った人がいました。その時に、東京から筑波山麓まで緑の広がりであることが明らかになりました。展示には、田んぼで実った古代米で秋の彩りを添えます。(宍塚の自然と歴史の会代表)