早大政経・土屋ゼミ・インタビュー7
原子炉の中に入る
齋藤:1983年にワシントンから帰り、89年に証券部長になります。その間は何を。
坂本:他社の記者のようにデスクといった役職ではなく、若かった私は現場のクラブに配属されました。エネルギー記者クラブ。ここで、電力、石油、ガス業界を担当しました。
いまも石油会社の合併に絡んだ報道がありますが、当時は会社数が多く、その再編成が業界最大のテーマでした。大協と丸善が合併しコスモになるとか、日石と三菱の合併とか。
電力業界は、原発建設が主テーマでした。大津波に襲われ、今、福島原発8基は廃炉中か運転停止中ですが、そのころ、福島は1基か2基しか動いてなかったと思います。新潟の柏崎原発は建設中で、火が入る前の炉に入れてもらい、内側を見せてもらいました。
原発から出たプルトニウムの再処理を青森でやることになり、まだ野原だった六ケ所村にも行きました。今、ほぼ完成はしているものの、稼働していないあのプラントです。
そのころは、原発を電源構成の中心に据えるという原発必要論が世論でした。ポスト福島の今とは大分違っていましたね。海運・造船をカバーしていた73年、石油ショックを経験していますから、原油を輸入に依存する石油火力は安全保障上問題があると、私は思っています。ですから、今も原発必要論者です。(笑)
南米ウルグアイへ
藤本:石油、電力のあとは。
坂本:外務省クラブに2年ぐらい。最近、TPPという経済圏協定が話題になっています。太平洋を取り巻く12ヵ国が集まり、国と国の間の垣根を低くし、投資や貿易を円滑にしようという構想です。
外務省担当のころは、自由貿易と保護貿易の中間モデルでもある経済圏ではなく、GATT(関税貿易一般協定)―今はWTO(国際貿易機構)―の場で、世界の自由貿易ルールをつくるという動きが主流でした。
戦後、この国際機関の場で、関税を低くする交渉=貿易ラウンドが何度も行われました。外務省にいたとき、南米ウルグアイで新貿易交渉をスタートさせようということになりました。いわゆるウルグアイラウンドです。
ウルグアイへの直行便はありません。先ず米アトランタに飛び、ブラジルの空港で一休みして、アルゼンチンに向かう。そこでローカル便に乗り換え、ウルグアイに入りました。
交渉スタートアップの場所、プンタ・デル・エステ―東の岬―という南米の高級保養地でした。そこで1週間、ラウンドにGOを出す会議があったわけです。
回線確保に苦労
リゾートの地で、ビジネスの地でありませんから、電話回線が少なくて原稿を送りたくても送れない。そこで、扱い慣れないテレックスを借り、鑽孔(さんこう)テープを打ち、電話回線の空きを使い、混んでいない時間を狙い送稿する。いくら原稿を書いても、東京に届けなければ何にもなりませんから、大変でした。(笑)
このラウンドはまとまりましたが、3ケタの国が参加するラウンドは利害が錯綜する。こんなことをやってもダメだと、やりたい国だけが集まって貿易圏とか経済圏をつくることが、その後、主流になりました。TPPはその一形態です。
外務省時代、日米貿易問題がまだ残り、ハワイに行ったこともありました。もう一つ大きかったのは先進国首脳会議=サミット。7カ国で持ち回り開催していますから、7年に1回は東京にやって来る。外務省のとき東京サミットがあり、それも担当しました。
ワシントンのときも、ウイリアムズバーグ(米)とベニス(伊)で開かれたサミットをカバーしています。ベニスのときは、カーター大統領機にくっついて回る大旅行でした。島のクラシックなカジノで大勝ち、ホワイトハウスの連中に大番振る舞いしたこともありましたね。(笑)(続く)
(インタビュー主担当:藤本耕輔 副担当:齋藤周也、日時:2015年12月4日、場所:東京都新宿区・早稲田キャンパス)
【坂本栄NEWSつくば理事長】