早大政経・土屋ゼミ・インタビュー6

 日本車規制

藤本:そのほか、どんな大きな案件が。

坂本:2番目は自動車問題です。今、日本の車は米市場でかなりのシェアを持っています。2割とか3割。昔は、フォード、GM、クライスラー、これら米3社がシェアを抑えていました。日本やドイツの車は多くありませんでした。

ところが、日本車は燃費がよいということで、ホンダ、日産、トヨタなどが1970年代後半、シェアを拡げました。このままいったら米の自動車産業が潰れてしまうと、70年代後半から、日本車輸入を規制する動きが出てきた。私がワシントンに行ったころ、その機運が強まりました。

議会に、日本車を規制する法案が毎日のように提出される。米国は、役人が法案をつくるのではなく、議員が法案をつくります。利害が絡んだ議員が、日本車のシェアを何パーセント以下にせよといった法案をガンガン出すわけです。

ですから、議会のプレスギャラリーをチェックすることが日課になりました。その記事が日本の夕刊にデカデカ載りますからね。

藤本:貿易摩擦ですね。

坂本:自動車摩擦です。結局、米側の輸入規制ではなく、日本が自主的に輸出を規制することで話がつきました。自由貿易主義の米国が保護貿易に傾斜するのは恰好悪いということで、日本側の自主アクションになったわけです。通産省が水面下で交渉、決着しました。自動車の輸出減は日本経済の一大事ですから、ワシントン特派員にとっては活躍の場。これが2つ目です。

民主党→共和党

 斉藤:1980年、大統領が民主党から共和党に代わりました。

坂本:民主党のカーター大統領から共和党のレーガン大統領に代わりました。米国では民主党と共和党の間で政権が行ったり来たりしますが、政権が変わると政策もガラッと変わる。

日本でも自民党から民主党に代わったとき、政策が変わりましたけれど、あの比ではない。役人の幹部クラスも総入れ替え。政策の中身も大きく変わる。

大統領が共和党に移ったことで、貿易政策がどうなるか、金融政策がどうなるか、原子力政策がどうなるか、世界中が注視します。この取材は大変でした。これらがパッケージでなく、安全保障、貿易政策、経済政策など、分野別のペーパーで発表されます。

その前に、内容の片鱗でも書かなければなりません。ワシントン担当の勝負所です。緊張を強いられ、えらく疲れました。(笑)

平時は役所回り

藤本:ニューヨークにも支局はあったのですか。

坂本:NYの方が人数は多い。NYの経済は何をやるかというと、米企業の取材が中心になります。証券・為替・金融マーケットもNYの担当です。経済以外では、米国全体の社会部的な記事―流行とか事件とか―はNYが担当していました。

時事の場合、ほかに、ロサンゼルス、サンフランシスコにも各1人置いていました。経済でいえば、ワシントンは財政とか貿易とか金融とかの政策分野がカバー範囲になります。

大きな案件がない平時のルーティンは、財務省、商務省、商務省、FRB―日本の日銀に相当する中央銀行―といった経済関係の役所・機関を回り、広報担当に「何か面白いいことありますかー」と御用聞きすることでした。これは日本でも同じですね。(笑)

米国はペーパー社会ですから、偉い人の発言、イベントの説明、記者会見の詳細など、なんでも文字に起こして配布します。ヒアリングに難があった私には好都合でした。ただ、役所を回り、財務省近くの支局に戻ると、紙袋は資料でいっぱい。それらに目を通し、どれを記事にするか選択するのは大変でしたが。(笑)(続く)

(インタビュー主担当:藤本耕輔 副担当:齋藤周也、日時:2015年12月4日、場所:東京都新宿区・早稲田キャンパス)

【坂本栄NEWSつくば理事長】