火曜日, 8月 12, 2025
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素描《続・平熱日記》183

【コラム・斉藤裕之】オス2匹メス1匹の茨城県産カブトムシを持って、高円寺の長女宅を訪ねた。東京駅で中央線に乗り換えると、停車するホームで何度か見かけた「素描」と大きく書かれたポスターが気になる。「素描」とは一般に「デッサン」や「クロッキー」という言葉に相当するものだと思うが、実にいい言葉だと思う。

まあ簡単に言うと、鉛筆などの単色で描かれた絵。構想やアイデアを描いたものが多い。私自身はデッサンがあまり得意ではなかった上に、少し修行のようなニュアンスも感じられて少々苦手意識のある漢字二文字。しかし、他人の描いた素描を見るのは好き。なぜなら素描にはその人のものの見方、試行錯誤の様子、息遣いやリズムのようなものまで感じられるからだ。

描かれたものが「素(そ)」であると同時に、描き手の「素(す)」が見えてくる。例えば、ダ・ビンチのモナリザを見るよりも素描を見る方がダ・ビンチのことがよくわかる。

さかのぼること数週間。ある日、引き出しの中から「銀筆」を見つけた。鉛筆ではなく銀筆。「シルバーポイント」と呼ばれるこの銀筆は、鉛筆の芯の部分が直径2ミリほどの銀の棒でできていて、西洋で古くから使われていた素描用具。その柔らかい表情と、時間の経過とともにやや褐色に変化する色合いが銀筆の魅力。

ところがこの銀筆は白い紙には何も描けない。銀よりも固いものの上にしか描けないので、銀筆で絵を描くには準備が少々面倒なのだ。

そう思いながら、ネットで「シルバーポイント…」と検索したところ、紙の上に白いパステルを塗って銀筆で描く方法が紹介されていた。ならばと再び引き出しの中を探すと、何十年も寝かしてあるパステルを発見。いつか値引きされていたのを買って、これまた長い間使っていなかった小さなスケッチブックも発掘。これで材料は一応そろった。

スケッチブックを開きパステルを塗る。優しく線を引くと、銀筆の淡い筆跡が心地よい。しかし、繊細で不自由な素材である分それなりの画力も求められる。文字通り素になって描く。ということで、この夏、いつもは絵を描く道具は一切持っていかない山口への帰省に、銀筆一本とパステル、小さなスケッチブックを携えることにした。

スウェーデン国立美術館展

ちなみに「素描」と大きく書かれたポスターは、国立西洋美術館で開催中のスウェーデン国立美術館コレクション展のものだった。かの美術館は30年ほど前の夏に友人を訪ねた折に見て回ったことがある。これも何かの縁か。久しぶりに上野に行ってみるか。

虫好きの上の孫は、心待ちにしていたカブトムシを手にたいそう喜んでくれた。方や、もうすぐ2歳になる下の孫の方は恐竜が好きなんだと。ならば、次のミッションは角が一本増えて木彫「トリケラトプス」か。(画家)

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