早大政経・土屋ゼミ・インタビュー2

卒論は「戦略論」

藤本:授業とかゼミでは、どんな関係の勉強を。

坂本:一橋の場合、1、2年は教養課程で、ドイツ語とかフランス語とか、第二語学でクラスを分けていました。3、4年の専門課程になると、どこかゼミを選ばなければならない。前期のクラスみたいなものです。

私は、政治学のゼミを初めて持った藤原彰先生―当時は講師から助教授になったばかりでした―のところに入りました。ゼミの同窓は14人でした。

藤原先生は岩波新書の「昭和史」、山川出版の「軍事史」といった本を出していました。軍事史の専門家です。元々、陸軍士官学校卒の将校でした。幼年学校を出て士官学校に入った生粋の軍人。中国では尉官として部隊を率いていたそうです。戦後、東大史学科に入り直し、他の大学を経て一橋に来られ、私が3年になったときゼミを持ったのです。

軍事に関心がありましたから、これは面白そうだと藤原ゼミに入りました。卒論は「戦略論」です。英国にリッデルハートという戦史家がおり、「戦略論」を書いています。元々軍人で、「第2次世界大戦史」も出しています。当時、彼の「戦略論」は翻訳されておらず、丸善書店で取り寄せ読みました。

卒論としては安易でしたが、この本の主要部を翻訳、兵書の古典とその戦略論を比較、コメントを付けてまとめたのが卒論の「戦略論」です。(笑)

軍事卒論は戦後初

斎藤:卒論としては珍しい分野ですが、一橋には軍事関係の卒論がほかにも。

坂本:一橋の場合、卒論は図書館に保存されていますから今でも読めます。提出してから調べたのですが、先の大戦のあと、軍事に関する卒論を出したのは私が初めてでした。

日本は戦争に負けたこともあり、戦後、軍事論はタブー視されていたこともあったと思います。憲法9条問題もあり、今も日本の軍事リテラシーは低い状況が続いています。テレビのコメンテーターの話を聞いていると、小学生レベルです。国際水準からほど遠い。(笑)

戦前、一橋にも戦争関連の卒論はたくさんありました。日本は米国相手に総力戦をやっていたわけですから、管理された経済システムが必要でした。国の資源を戦争遂行に配分しないといけない。経済政策的観点からの卒論は、戦前、戦中、結構ありました。

杉並の久住さん

藤本:1970年に卒業、時事通信に入社しましたが。

坂本:大学時代、軍事関係の知識を得ようと、いろいろな人に話を聞きに行きました。政治評論家とか軍事評論家とか。そういった方に、大学祭の講演に来てもらったこともあります。

その中に、軍事評論家の久住忠男さんという方がおりました。旧海軍佐官で、当時、時事通信が発行していた外交週刊誌「世界週報」に寄稿していました。それを読み、久住さんの杉並のお宅によくうかがいました。「こんなリポート書きました。どうでしょうか」と。

そういうこともあり、時事というのは面白そうだなと。でも久住さんには、時事を受けますから推薦してくださいとは言わないで受けました。関心があったのは軍事ですから、配属は政治部とか外信部―社によって外報部とか国際部とも言います―を希望していたのですが、人事部長が「一橋は経済だろう」と、経済部に回したようです。

人事は組織で決めるものだから、仕方ありません。久住さんに事前にお願いして、当時の社長に「あいつは政治部とか外信部がいいぞ」と言ってもらえば、その通りになったでしょう。でも、そういう裏工作はしませんでした。(笑) (続く)

(インタビュー主担当:藤本耕輔 副担当:齋藤周也、日時:2015年12月4日、場所:東京都新宿区、早稲田大学早稲田キャンパス)

【坂本栄NEWSつくば理事長】