はじめに
NPO法人NEWSつくば理事長・坂本栄はこのサイトで不定期コラム「吾妻カガミ」を担当します。「吾妻」は筑波学院大の住所です。キャンパスの大「カガミ」に映った地域と内外の諸相についてコメントする。この2つのワードを合わせコラム名にしました。
まず、早稲田大政経学部土屋礼子ゼミから受けたインタビューの書き起こしを15回に分けて掲載します。このゼミは新聞・通信・テレビの記者OBにインタビュー、報告書を作っています。2016年版の第36章(私の箇所)を分割、加筆修正、連載に仕上げました。
報告書「ジャーナリスト・メディア関係者 個人史聞き取り調査プロジェクト Oral History Project of Journalism and Media 第6回調査」(482頁)では、経済記者だった39人のシニアが対象になりました。報道の世界では知られた方ばかりですが、なぜか私もその1人に指名されました。
コラムの出だしは、日本経済新聞の「私の履歴書」風になりますが、メディアの構造、編集の現場、メディア経営の現実、私の来し方などを知る一助になればと思います。少し自己PRもあるかも知れません。ご容赦ください。
早大政経・土屋ゼミ・インタビュー1
実学でない学部
齋藤:茨城県土浦市で生まれ、高校を卒業したあと、一橋大に入学していますが。
坂本:1浪ですけれど、家があまり裕福でなかったので、授業料が安い国公立というのが選んだ理由のひとつです。それから東京に行きたいという思いが強かったこと。そうすると、東大、一橋、東京外語、教育大(現筑波大)、都立大などに絞られます。
過去の問題を見て、一橋の問題が一番好みに合っていました。トリッキーでなく、英語で言えば、1パラぐらいの英文を和文に、和文を英文に訳しなさいとか、素直でした。数学が得手でなかったので、その配点が高い他大学に比べると、やさしいかなと。試験問題が自分に合っているということで選びました。
一橋の学部は今も昔も、経済、商学、法学、社会学の4つだけ。今、学部の定員は昔の倍ぐらいになっていると思いますが、当時の社会学部は70人ぐらい。経済とか商学とか法学は、就職を意識した実学のイメージがありました。社会はそれが少しボヤッとしていていいかなと、この学部を選びました。(笑)
藤本:受験期にはジャーナリズムに関心があったわけではないのですね。
坂本:全くありませんでした。政治とか歴史には関心がありましたが、ジャーナリズムは考えていなかった。
沖縄の米軍基地
齋藤:大学では軍事を専攻したそうですが、そのきっかけは。
坂本:大学のころ、政治問題で大きかったのは沖縄返還。戻ったのは1972年ですが、どう返還されるのか、学生時代(1966~70年)の政治テーマでした。今も基地問題はあるけれど、当時の沖縄は米国の施政権下ですから、今とは比べものにならない。
地図を見ると、沖縄は米軍にとって使い勝手のよい島です。沖縄を中心に円を描くと、中国、日本、朝鮮半島、東南アジアの主なところがカバーされます。米軍の視点から、沖縄基地がどれだけ必要とされているのか調べたのが、軍事に関心を持つきっかけでした。
なかなか返さないだろうと思っていましたが、結局、基地は残す形で返ってきました。軍事視点の米国と政治視点の日本の利害を足して二で割った形かな。基地は残るわけですから、米軍にとってみれば機能としての沖縄は変わっていない。現在の沖縄問題の原点です。
ベトナム・中東戦争
2番目はベトナム戦争。この戦争は、米軍という正規軍と、ベトナムのゲリラ部隊の戦いです。ゲリラと言っても、中国で日本軍と戦った毛沢東軍とは違いますが、この戦争の形、正規軍と非正規軍の戦いに関心を持ったわけです。
3番目は中東戦争。今、中東はグチャグチャになっていますが、当時の関心は、イスラエルを周辺のアラブ国がいかに潰すかということでした。イスラエルとエジプトが何度か戦い、大学のころも両国の戦争がありました。砂漠だから、タンクとか飛行機で攻め、領土を奪い合う、一昔前の戦争に似た戦争です。結果的には、イスラエルが勝ち、領土を拡げましたが。
戦争の基本は地上戦です。中東戦争は第2次大戦の20数年あとですが、地上戦がどう戦われるのか、米週刊誌ニューズウィーク、英専門誌サーバイバルなどを取り寄せて調べました。このテーマも含め、戦争関係の論文をいくつか書き、自分が主宰していた軍事同人誌に載せました。
クラウゼヴィッツ、孫子など兵学の古典のほか、毛沢東の遊撃戦論、キッシンジャーの核戦略論など、理論的な本も読み込みました。(続く)
(インタビュー主担当:藤本耕輔 副担当:齋藤周也、日時:2015年12月4日、場所:東京都新宿区、早稲田大学早稲田キャンパス)
【さかもと・さかえ】土浦一高卒。1970年一橋大社会学部卒、時事通信入社。ワシントン特派員、証券部長、経済部長、解説委員などを経て、2003年退社。同年から10年間、旧常陽新聞新社社長•会長•顧問。現在、時事通信•茨城地域アドバイザー。そのほか、茨城キリスト教大学経営学部講師、NPO法人NEWSつくば理事長。土浦市出身、同市在住。71歳。