【コラム・原田博夫】大都市の生活は刺激的だ。若者はそれに魅力を感じる。何を隠そう私も若かった時代は、そうした利便さと刺激を求めて上京した。大学入学以来、東京を拠点とする生活が、定年退職時(70歳)の最近まで続いた。とはいえ勤務先が、勤務形態が四六時中拘束される一般企業・官庁ではなかったので、1年のうち数カ月はふるさと(茨城県)で過ごし、親戚や友人との人間関係を維持してきた。
そこに、退職した翌年(2020年)、新型コロナが出現した。すると、都内での会合が激減した。しかし、これをカバーすべく、インターネットを使ったウェブ会議・ミーティングが全国的に浸透した。そうすると、東京に居住している必然性が低下した。
東京都心部の生活費は相当な高さだ。そもそも利便性の高い高層マンションの購入費・賃貸料・住居費は高い。食材も高級・上質だが、値段は高い。生活の便利さや文化面での新奇さ・刺激・多様性を容易に享受できるのはいいが、心の平静さや自然との触れ合いに制約が生じる。以前からそれとなく想定していた「再度の田舎暮らし」を、コロナ禍を潮に本格化させた。
そもそも、パソコン画面上部のカメラやマイクについては、パソコン使用時の本人確認以外には、インターネットを使っていてもこれまで全く利用してこなかった。ところがウェブ会議が始まってみると、これらは見事かつ十分に使える。というか、ウェブ会議が始まった当初は、(やや高性能の)カメラとマイクを別途用意する必要があるのではないかと危惧したが、それは全くの杞憂(きゆう)だった。
ウェブ会議の有効性は甚大
こうした生活スタイルに馴染(なじ)んでみると、すでにある程度の社会関係・人間関係を確立している人間にとっては、インターネットやウェブ会議を活用すれば、田舎暮らしでもそれ以前に確立した社会生活を十分に維持できることが分かった。
とはいえ、田舎暮らしでの不便さは、利用できる公共交通体系が制約されていて、マイカー移動に全面的に依存せざるを得ないことである。したがって、運転免許証の返上には、現時点では躊躇(ちゅうちょ)せざるを得ない。バス運行の利便性も、東京などと比べると、遅延・頻度のいずれでもはるかに低レベルである。田舎こそ、こうした公共交通システム・運行のきめ細かさが求められている。そのための国・地方自治体の財政措置などは、相当に工夫の余地がある。
コロナ禍を契機にした以上の発見は、グローバルにも成立する。要するに、ウェブ会議の有効性は甚大で、それこそ日本に居ながら、世界中とグローバル・同時につながることができる。現に私も、海外のいくつかのメディア・研究機関・知人と定期的あるいは臨時にウェブ会議の機会がある。これまでであれば、わざわざ海外にお金と時間をかけて足を運ばなくてはならなかった会議も、軽いミーティング感覚で参加できる。この利便さとその効用は圧倒的・抜群である。
ただウェブ会議では、初対面の人柄やニュアンスを味わうのは困難であり、同時進行・体験に関してはとりわけ時差の制約を感じることが多い。また、情報発信に関しては、SNS(ユーチューブなど)のメディアに分がある。いずれにせよ、20世紀末以降のインターネット・ICTの革新・向上もあり、日本国内の都市と農村の格差解消だけでなく、世界各国とのグローバルな共存も同時進行している。(専修大学名誉教授)