日曜日, 2月 2, 2025
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土浦 霞月楼所蔵の海軍予備学生 寄せ書き屏風に「全国で唯一残る貴重な資料」 

作家 高野史緒さんと学者 清水亮さんがトーク

土浦の老舗料亭「霞月楼所蔵品展」(9月24日付)最終日の29日、作家の高野史緒さんと社会学者の清水亮さんによるトークセッション(9月9日付)が、土浦駅前のアルカス土浦1階 市民ギャラリーで催された。太平洋戦争末期の1944年、特攻に向かう海軍予備学生が霞月楼で催された送別の宴で、勇ましい言葉や芸者の名前などを寄せ書きした霞月楼所蔵の屏風(びょうふ)について、清水さんは「死と隣り合わせの兵士のいろいろな思いが書き込まれており、出征前の遺書にも書かない、20代前後の若者の、赤裸々な等身大の姿だ。(旧日本軍の基地があった全国のまちを調査した中で)土浦に唯一残されている貴重な資料」だと話した。

トークセッションはいずれも昨年、土浦を題材に本を出した高野さんと清水さんの2人が、「ツェッペリン伯号と湖都・土浦を語る」をテーマに異なる視点から土浦について語った。高野さんは昨年7月、土浦を舞台としたSF小説「グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船」(ハヤカワ文庫)を出版、清水さんは昨年2月、海軍航空隊があった戦前から戦後の阿見と土浦の地域史を紐解いた「『軍都』を生きるー霞ケ浦の生活史1919-1968」(岩波書店)を出版した。

会場の様子

何となく懐かしい感じがする

高野さんは、小説を書く上で自分が生まれる前の話である飛行船ツェッペリン伯号について詳しく調べたと言い、1929年に阿見町に寄港したツェッペリン伯号に同乗した大阪毎日新聞記者の円地与四松(えんち・よしまつ)の貴重な著書「空の驚異ツェッペリン号」を持参し、「高度400メートルから800メートルの低空を飛行し。東京上空を飛んで横浜の上空で旋回し土浦まで1時間で戻ってきた。結構な速さだった」などと話した。

ツェッペリン伯号の船長だったエッケナーについて「ナチス嫌いで、世界一周の後、社会的地位を追われた。円地与四松が『乗組員に手のない人、足のない人がいる』と書いているが、エッケナーは第一次大戦の傷痍軍人を積極的に雇っていた。ツェッペリンの会社は平和の会社だった」などと語った。

「グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船」に土浦のまちの景色が詳細に描かれていることについては「土浦のことを書いている小説はほとんどないので、土浦を全国に見せてやろうという気持ちだった」と言い、土浦も茨城も訪れたことがない読者から「何となく懐かしい気がする」という感想が寄せられたと明かした。司会者からアニメ映画化が似合っているのではないかという質問が出て、高野さんが「今、口外できない」と答えると、会場から拍手が起こり、期待するムードが高まった。

明るさと暗さがある

一方、清水さんは、かつてツェッペリン伯号の工場と基地があり、現在は新型のツェッペリンNT号が観光飛行するドイツのフリードリヒスハーフェン市を昨年訪れたと語り、「ボーデン湖があり、霞ケ浦がある土浦と似ている。土浦市と友好都市になっていて、『9500キロ先は土浦』という看板もあった」と話した。

自身の研究テーマの基地と地域との関わりについては「明るさと暗さがある」とし、明るい面として「1920年代に霞ケ浦航空隊ができて、土浦は潤い、航空隊が空の港として土浦が世界とつながっていった」と話した。さらに会場から出た質問に答え、住民が基地に対してもつ印象がポジティブかネガティブかについて「基地が出来た時期が重要なポイントになった。大半は戦争末期に土地を強制収容してできたためネガティブだが、土浦は第一次大戦と第二次大戦の間の一息つく時期に造られた」などと話した。

「芋掘り」の一種

霞月楼専務の堀越雄二さんが、レプリカが会場に展示されている海軍予備学生の寄せ書き屏風について説明すると、清水さんは「屏風の寄せ書きは『芋掘り』の一種だった」と説明した。芋掘りは海軍の隠語で、料亭の二次会、三次会で兵士が乱暴を働くこと。堀越さんは「料亭の畳をひっぺ返し、畳を天井近くまで積み上げて、天井の板をぶち抜いて、天井裏をドタドタしたり、わざと芸者の着物に醤油をぶっかけて暴れることがあったが、次の日に(航空隊が)弁償金をたっぷり持ってきた」などと話した。

寄せ書き屏風について説明する霞月楼専務の堀越雄二専務

トークセッションの冒頭、安藤真理子土浦市長があいさつ。会場には100人を超える参加者が集まった。飛行船の歴史や文化史研究の第一人者でドイツ文学者の天沼春樹さんも登壇した。司会は霞月楼所蔵展実行委員会の坂本栄委員長が務めた。会場前のアルカス土浦の広場では「屋台村」が催され、もつ煮込みやスイーツ、ドリンクなどのほか、土浦ツェッペリンカレーが販売され、ツェッペリン伯号の紙芝居も上演された。

美浦村から参加した西山洋さん(68)は「清水さんとは連絡を取り合っていて、清水さんに高野さんの小説を勧められて読んだ。元々SFは読んでいないが、『グラーフ・ツェッペリンー』はとても面白く、難しい科学用語も気にならなかった。今日はとても良い催しだった」と述べた。

アルカス土浦前広場の「屋台村」で披露されたツェッペリンの紙芝居

➡動画「トークセッション ツェッペリン伯号と湖都・土浦を語る」

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