日曜日, 4月 20, 2025
ホーム暮らし親戚のような感じで泊まりにおいで【里親1000人へ】㊦

親戚のような感じで泊まりにおいで【里親1000人へ】㊦

短期中心に受け入れ

「5月は月の半分、子どもを預かっていました」と話すのは、龍ケ崎市在住の里親、政尾秀子さん(52)。夫と2人で暮らす政尾さんは、2014年に夫婦で里親登録をした。現在は、養育里親として短期を中心に子どもを自宅で受け入れている。5月は、里親の休息を目的としたレスパイトケアとして、それぞれ別の里親家庭で暮らす3人の子どもを4日間から6日間ずつ預かった。

レスパイトケアは、里子を委託された里親が、必要な時に、他の里親や乳児院、児童養護施設などに子どもを預けて一時的に休息をとる制度だ。受け入れる里親には一定の手当が支払われる。「親戚のような感じで『遊びにおいで、泊まりにおいで』と子どもを迎えている。一緒に公園や映画を見に行くなど、私自身も楽しみながら同じ時間を過ごしています」と政尾さんは話す。

1月から3月は45日間、児童相談所に一時保護された子どもも受け入れた。近隣の養護施設に登録し、施設で暮らす子どもが家庭的な暮らしを経験することを目的に、月に何回か宿泊する児童も受け入れている。

小さなことでも相談

数日間単位の受け入れと並行して、これまでに小学生を2年間、高校生を3年間受け入れてきた。年単位で暮らしを共にする中で、コミュニケーションの取り方など思春期を迎える子どもとの向き合い方に戸惑うこともあったという。

「途中から、養育することの難しさ、大変さを感じることもありました。委託期間中は常に相談員の方と連絡を取り合っていました。里子の進学を機に委託が終わった後も、『里帰り』のように遊びにきてくれるのはうれしい」と笑顔で語る。

里親の苦労を知る政尾さんは、レスパイトケアの必要性をこう話す。

「実の親から離れて暮らす子どもには、一般家庭とは異なる特徴があります。関係に煮詰まってしまうこともあるかもしれない。里親が先に参ってしまうと子どもにも悪く影響してしまう。こんなことで利用したら『できない里親』と思われてしまうんじゃないかと心配してしまう里親さんの声を聞くことがある。でも、小さなことでも、児童相談所や里親支援機関に相談し、レスパイトを使うのがいいと思う」。

現在は動物関連のボランティア活動にも力を注ぎながら、里親として子どもに向き合う日々を送っているという政尾さん。「レスパイトケアでは、同じお子さんが来ることが多く、その子もうちに来るのを楽しみにしてくれているんですよ。里親さんにも安心して子どもを預けてもらえるように、気をつけていきたい」と語った。

チームで療育

稲北地区里親会会長の金子敏明さん

土浦児童相談所管内の牛久市や阿見町、龍ケ崎市などの里親による稲北地区里親会会長の金子敏明さん(55)は、2017年に初めて小学生になる子どもを受け入れた。夫妻にとって初めての子育て経験になった。金子さんは里親自身が支援を受けることの大切さを強調する。

「妻とは『まずはやってみよう』、その上で難しかったら『無理でした』と言おうと励まし合いました。私たちは子育て経験が無く、里親として任された1人の子どもを育てるためには、専門家の力を借りることに遠慮も躊躇(ちゅうちょ)もしていられません」と振り返る。

学校などでトラブルが起きた際には「フォスタリング(里親養育包括支援)機関に『こんなことありました。どうしたらいいですか?』とすぐに電話していました。隠しごとはせず、小さなことも含めて何でも相談しました。専門家の知見を聞くのは絶対に必要」と話す。

現在、里親制度は、里親や支援機関、関係機関が一体となって子どもを養育する「チーム養育」として制度化され、各自治体の担当課、児童相談所、フォスタリング機関、施設の専門相談員らが定期的に会議を行い、子どもの情報を共有し、里親が委託を受けた後も、相談員が定期的に家庭を訪問することがガイドラインで定められている。

金子さんが里子と遊んだ自宅近くの公園

家族になることできる

金子さんは、里親研修で聞いた「里親制度は親のための制度ではなく、子どものための制度」という言葉を繰り返し自分に問い掛けている。「子どもにとって大切なことは、特定の大人との関係が続いていくこと。大人との安定した関係の中で育つことが大切だと思う」。

「血がつながっていなくても、時間をかけることで家族になることはできる」と、里子との関係を振り返りながら、「一緒にいる子どもが安心してくれていると思えた時に、少しは家族になれたかなと感じた。一緒に風呂に入って、一緒に寝て、毎日きちんとご飯を食べて。妻と分担しながらいろいろなことを一つ一つクリアする中で徐々に感じられるようになったとも言える。最初からうまくいくことばかりではないと思うが、子どもと向き合うことで『この人が親なんだ』と納得してくれると思いますから」と話すと、「人ってこうやって成長するんだなと思いますよね。子どもの成長が、私たちの喜びであり成長にもなっている。この制度が、より多くの方に広がってほしい」と話した。

終わり

◆「2024年度里親制度説明会ーお話し会『知ってみよう、里親のこと』」が7月28日(日)、つくば市高崎のさくらの森乳児院にある「同仁会子どもセンター」で、8月25日(日)には筑西市茂田の慶育会茨城育成園で開かれる。時間はいずれも午前10時~正午。参加費無料。申し込みは専用ウェブサイトから事前申し込みが必要。問い合わせは、さくらの森乳児院里親担当者へ電話(080-8434-3329)、またはメール(fostercare.kidskohoo@doujinkai.or.jp)で。

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6年間で280件、誤った発信者名で通知 つくば市

福祉事務所長と市長業務の区別誤る つくば市は17日、認可外保育施設に対する指導監査事務と生活保護に関する事務について、法令や市の規則に定められた福祉事務所長が行うべき業務と、市長が行うべき業務の区別を誤り、2019年度から24年度まで6年間で計280件について、誤った発信者名で通知を出していたと発表した。 市社会福祉課によると、認可外保育施設の指導監査については、毎年1回行っている指導監査などの立ち入り調査や調査結果の通知を、23年度は63カ所に対し128件、24年度は54カ所に対し108件、計236件の通知文の発信者名を、つくば市長名で出すべきところ、市福祉事務所長名で発送していた。 児童福祉法に関わる認可外保育施設の指導監査事務については、権限が知事から市に移譲され、さらに市長から市福祉事務所長に委任された。その後22年度末に市の規則が改正されて市福祉事務所長への委任が削除されたことから、つくば市長名で通知を出すべきところ、市福祉事務所長名のままで発送していた。 一方、生活保護行政に関わる事務については、2019年度から24年度までの6年間で計44件の通知文について誤った発信者名で通知していた。具体的には①遺留金品の処分について、金融機関に対し23年度と24年度に計3件、市福祉事務所長名で通知すべきところ市長名で通知を出していた ②医療扶助や介護扶助の損害賠償請求に関しては、保険会社に対し20年度から24年度までの5年間で計5件、市長名で通知を出すべきところ福祉事務所長名で出していた ➂生活保護受給者らへの費用の徴収に関しては、受給者に対し19年度から23年度まで5年間で計36件、市長名で通知文を出すべきところ、市福祉事務所名で出していたという。 生活保護法に関わる生活保護の行政事務については、市の規則により、市長から福祉事務所長に委任されている事務と委任されていない事務があるにもかかわらず、一部の通知文で誤った発信者名で通知していた。 今年4月、社会福祉課内の職員から指摘があり、過去にさかのぼって調査したところ、誤りが分かった。市の規則について、当時の管理職を含む職員の認識不足が原因という。 今後の対応として市は、市ホームページに関係機関に対するお詫びと、通知文の内容は無効でない旨を掲載すると共に、関係機関と関係者に順次、説明と謝罪を行うとしている。 再発防止策として、根拠法令と市の規則を再度確認し、管理職を含む課内職員全員で適切な運用を徹底していくとしている。 福祉事務所は、社会福祉法に規定された福祉に関する事務所で、福祉6法に定められた事務を行う社会福祉行政機関。市役所とは別の行政機関になるが、市役所内にあり、市社会福祉課など市の関係部署の職員で構成されている。福祉事務所長は市福祉部長が務めている。 【14時15分 訂正】認可外保育施設について「指導監督」を「指導監査」に、生活保護について「扶養義務者」を「生活保護受給者ら」に訂正しました。

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