土曜日, 12月 21, 2024
ホームスポーツ先輩たちの偉業断ち 一戦必勝で臨む 土浦日大 小菅監督【高校野球展望'24】㊥

先輩たちの偉業断ち 一戦必勝で臨む 土浦日大 小菅監督【高校野球展望’24】㊥

高校野球県南強豪チーム監督インタビューの2回目は、昨年の茨城大会を制し、甲子園で4強入りして土浦日大旋風を巻き起こした土浦日大の小菅勲監督。その後の国体でも優勝(順延のため仙台育英と2校優勝)し、小菅監督としてもキャリアハイを経験した。

中でも、茨城大会準決勝から決勝にかけては、正捕手でキャプテンの塚原歩生真選手が、頭部死球によって決勝には出場できなかったり、代役として出場した飯田捕手が神がかったプレーをするなど、県大会準決勝と決勝は後世に語り継がれる内容だった。今年のチームはどのように仕上がっているのか。

ー昨年の茨城大会では準決勝で塚原歩生真選手が頭部に死球を受けて、飯田将生選手が決勝戦まで代役を務め大活躍しました。

小菅 昨年4月から5月の時点で「この選手の中で明日からでも夏の大会に出られるのは飯田だ」と言っていたほど、飯田はいつでも出場する準備が出来ていました。彼があの場面で出ていく台本が用意されていたのではないかと思うくらいです。あの場で塚原の代わりに出場しても本人もチームも全く不安はありませんでしたし、結果的に塚原以上の活躍を見せてくれました。塚原は決勝戦にはドクターストップがかかって出られなかったのですが、塚原を甲子園に連れて行こうとチームがまとまりました。

ー飯田選手は出塁したらファーストベース上でベンチに向かってガッツポーズをして雄叫びを上げていました。彼が流れを呼び込んで来ているように見えました。

小菅 何かが乗り移っているようでしたが、飯田はもともとガッツを前面に出す選手ではなく、どちらかと言うと元気を出そうぜと言われる側でした。自分の中で思うところがあったのでしょう。 3年生になって全くの別人になりました。

ーその決勝戦は0対3の劣勢のスコアから9回表に5点を奪って大逆転勝利を収めました。見ていて鳥肌が立ったのを覚えていますが、なぜあのような大逆転勝利が生まれたのでしょうか。

小菅 決勝戦での最大のポイントは最終回に先頭バッターが出塁した後に飯田が続けて打ったことです。彼が打ったことがみんなに勇気を与えました。それにみんなもつられて、飯田が出来るのだから俺たちもという雰囲気が生まれました。あの瞬間に「これは絶対にいける」と思いました。私は普段の年は試合のビデオは見ないのですが、去年ばかりはどうなっていたのか確認したくて後から見直しました。ワンフォアオール オールフォアワン(一人はみんなのために みんなは一人のために)とよく言葉では使っていますが、あの場では言葉がすんなり体に入ってきていたように思います。緊張するというよりも、塚原をなんとか甲子園に連れて行ってやろうとチームが一体になってオールフォアワンを体現できていました。

校長室に飾られていた茨城大会の優勝旗

ー昨年の甲子園ではベスト4まで勝ち上がる快進撃でした。

小菅 甲子園に滞在した3週間で選手は急成長しました。自分たちで練習をつくって、次に対戦するピッチャーについても対策を自分たちで立てて練習内容をリクエストしてくる。データミーティングをやると普段は私たちスタッフからデータ類を提示するのですが、ビデオも癖も対戦相手のデータも既に選手間で共有していました。甲子園で試合が終わってバスに乗るとすぐにバスの中で選手が次の試合に向けてミーティングしていました。守破離(しゅはり)を体現した素晴らしいチームになっていたと思います。

ー勝ち上がれた要因は何だと思いますか。

小菅 この場で、この期に及んで、大舞台でこんな良いプレーが出来るんだという驚きというよりも、このチームなら、この選手なら、やっぱりできるよなということの連続でした。甲子園の前まではたまに出来ていたということが、甲子園では常に出来たと思います。平常心とか不動心とかよく言いますが、普段どおりにできたことが勝ち上がれた要因だと思います。

ー甲子園から戻って翌日に県南選抜大会(新人戦)という過密スケジュールでした。

小菅 去年は茨城のチームが甲子園で勝ち上がることを想定していない日程で県南選抜大会が組まれていました。大変体力的に厳しかったので、今年は甲子園出場校には考慮していただきたいという意向は大会前の会議で述べさせていただこうと思います。

中本の逆転ホームランを拍手で称える小菅勲監督(右端)=J:COMスタジアム土浦

ー今年の1年生は何人入部しましたか。また、甲子園4強入りの影響を感じていますか。

小菅 新入部員は34人です。一般入部の選手が影響を受けて選んでくれています。1年生に話してもらう抱負はこれまで「甲子園に出場したい」だったのですが、今年は「甲子園で優勝したい」に変わりました。これまで先輩たちが積み重ねてきたものが後輩たちに良い影響を与えていると感じています。

時間と自信

ーあれだけ甲子園で勝ち上がったので1年生には甲子園で勝つイメージは湧きやすいでしょうね。それでは今年のチームについて伺います。今年のチームづくりにおいて重きを置いたことは何でしょうか。

小菅 時間と自信です。去年の甲子園が終わって新チームを預かった時に「このチームが成熟するには夏の大会の直前までかかる。時間が必要だ」と思いました。というのも、レギュラー1年目の選手が多く、自信がおぼろげな選手が多かったのです。時間をかけて練習と試合を繰り返しながら夏の大会の直前まで来て、ようやく夏に優勝を狙えるチームになってきたなと思います。

後は自信です。自信は実際のシチュエーションでしかつかめないことなので、大会の時に逆境を乗り越えながらつかんでもらいたいと思います。自分の役割を理解してそれを貫き通してくれたら結果は自ずと付いてくると思います。

チーム変える特効薬

ー春の大会では秋から大胆なコンバート(守備位置の変更)がありましたが、その狙いを教えていただけますか。

小菅 チームを劇的に変えるための一番の特効薬はコンバートでセンターラインを固めることです。中本佳吾のウィークポイントであるスローイングをカバーするために、センターにコンバートしてバッティングにより専念してもらうこと。さらにキャプテンである彼にセンターからチームを見てもらおうという意図もあってのコンバートでしたが、これが大変はまっています。

セカンドからセンターにコンバートされたキャプテンの中本佳吾選手

大井駿一郎についても中心選手ですからサイドにいるよりはセンターラインに来てもらって内野をより活性化させようという意図で春はショートで使いました。大井はスタメンで出るべき実力がありますから、その分、セカンド、サード、ファーストに競争が生まれました。そのような経緯を経て、この夏、大井はピッチャー専任でいきます。中本はセンターで、大井はピッチャーでという形に落ち着いています。

粘り強く戦える集団にはなった

ーどんなチームに仕上がりましたか。

小菅 打撃か守備かで言うと守備のチームです。地味ではありますが、個々の選手が自分のやるべきことを分かっているチームです。大井という投打の中心選手はいますが、毎年のようにスター選手は不在で、だからこそみんなで泥臭く繋いでいこうとしています。最後の仕上げは夏に戦いながらやっていくのですが、それに耐えられる粘り強く戦える集団にはなったかなと思います。

ー各選手について個別に紹介も交えながら教えていただきたいと思います。大井駿一郎投手をエースに据えるということでしたが、どういうタイプのピッチャーでしょうか。

小菅 剛速球やキレ味が鋭い変化球というタイプではなく打たせてとるピッチャーです。結構出塁を許すのですが、打たれ強くて最後は最少失点で切り抜けるということが多いです。

エースで4番の大井駿一郎投手

ー大井選手がエースで4番の中心選手という形ですか。

小菅 そうですね。大井におんぶに抱っこにならないようにチームづくりをしてきてはいたのですが、大井と中本がクリーンアップを打つことがチームとして落ち着いた感じになったので、4番に大井がいて打線が機能するという形です。

ー春までエース番号を背負っていた小島笙投手についてはどうでしょうか。

小菅 小島は球威で押してきりきり舞いさせるピッチャーではなく、変化球と真っ直ぐのコンビネーションで乗り切るピッチャーです。よく打たれるのですが、打たれても最後にホームを踏ませないという大井と似たところはあります。自分でも最近になってタイプが分かったようです。本人としては打たれるのが嫌で奮闘していたのですが、打たれ強ければ良いんだと、最後に点をやらなければ良いんだという考え方に到達したので、打たれながらも抑える投球ができるようになりました。自分の良さを生かして投げてもらえるように本人に考えてもらおうと思って、エースや準エースはこういう投球をしていかないといけないんだよということを1年間かけて学んでもらいました。今はようやく自分のスタイルはこれですと言える域に到達しました。それで良いと思います。

ー3番手は右サイドの笹沼隼介投手でしょうか。

小菅 そうですね。4番手には左の山崎奏来と今本大翔のどちらかが食い込んでくると思います。いずれも3年生です。

大橋の成長がチームの成長

ー続いて野手の話をお願いします。中本選手と大井選手がクリーンアップだとお聞きしましたが、他に打線のキーマンはいますか。

小菅 1番から9番まで全員がキーマンだと思っていますが、打線の中に未熟な者がいるなとこの1年間思っていました。特に期待をかけて上位を任せている石﨑瀧碧と島田悠平の2人がボール球を振ってしまうとか、狙い球が定まらないとか、基本中の基本が秋から春にかけてできていませんでした。しかし、ようやく自分を俯瞰(ふかん)して見られるようになって、やっていることは間違っていない段階に来ていますので、夏に結果が出る形までは持って来られたかと思います。あとは夏の大会中に化けてもらうことを祈るばかりです。本人たちにもそのように話しています。

あとは2年生なのですが、キャッチャーの大橋篤志です。大橋の成長がチームの成長だとチーム設立当初から公言していました。大橋がプレッシャーに捉えて萎縮することなく、前向きに捉えて伸びてくれたら優勝もあり得ると思っています。

さらにファーストを守る2年生の梶野悠仁ですね。大橋と梶野という2年生レギュラーがいかに存在感を現すかが鍵になると思います。

ー春の大会を振り返って所感をお聞かせ願います。

小菅 春も失点もエラーも少なかったと思いますし、守備力は手応えを覚えました。攻撃力については低反発バットに変わるということで冬の間は打撃強化に努めていたのですが、各自で自分のバッティングができるようにはなりましたし、繋げるようになりましたので、一定の成果は出たかなと思っています。準々決勝の鹿島学園戦では打力が課題となって1点しか取れなかったですが、鹿島学園の投手陣に対してあと2点や3点をどうやって取りにいくかというのが課題になりましたので、春は非常に良い宿題をもらったと思っています。春以降の練習試合では打力だけにとらわれずに走力や小技を絡めた上での得点力にこだわって取り組んで来ました。

飛距離にして10%程度マイナス

ー新基準のバットに変わってどのような感想をお持ちですか。

小菅 春先に導入されたばかりの頃は長打が激減していましたが、高校生には順応性がありますので今はだいぶ慣れてきました。しっかりとコンタクトして、飛んでいくボールに関しては以前のバットと同様の飛距離があります。ただ、いい加減に打った打球というか、小手先だけで打ったものは思った以上に飛距離が伸びません。飛距離にして10%程度マイナスになっていると感じます。試合中も「前のバットだったら抜けていたね」というやりとりがあります。だからこそしっかりとコンタクトすることを心掛けています。

マインドセットが出来るようになった

ー夏の大会に向けての意気込みをお願いします。

小菅 去年の甲子園4強という結果からどうしても無意識のうちに今年もだとか、2連覇だとかというマインドになってしまいます。先ほどお話しした1年間かけてチームづくりする必要があると思ったのは、まずはそれをリセットしないといけないと感じたことが発端でした。

ここ最近になって、自分たちの代は先輩たちの結果を追い求める訳ではなく、自分たちのやれることをやるんだと、ようやく先輩たちの偉業と自分たちの代とのことを断ち切れてきましたので、この代の良さが出るのではないかと思います。このチームで一期一会にしてこのメンバーで初めて出場する甲子園という捉え方をしています。もちろん今年も茨城の優勝旗を奪いに行くことが目標なのですが、あくまで一戦必勝で臨みます。

ー選手が常に先輩の築いた結果を重く受け止めていて、使命感に駆られていたということですか。

小菅 そうです。ようやくそういうのがなくなってきたなと感じる部分がありまして、良い形でチームが仕上がってきたと思います。これだけ結集した力を精一杯出そうねというところまで今来ているので、それを夏に貫き通してくれたらいいなと思います。最後に戦った後に、やはり常総学院が強かったで終わるのは良いと。ただし、うちが本来の力を出せずに終わるのはダメだろうと、自分の力を出そうというマインドセットが出来るようになってきました。

認知行動療法で思考の可視化を手助け

ーマインドセットとは。

小菅 認知行動療法というものです。例えば、昨夏甲子園の準決勝で、慶應義塾のものすごい応援をどう捉えますかと聞かれたときに、今自分がやるべきことはこれだとそこでマインドセットする。私はよく「種」というのですが、自分の種は何か、それを貫き通すことで結果はやってくると言っています。私自身は選手たちの青春時代に花を添える人間です。こういうことをやったら上手くなるよ、こういう風にやったら良いことがあるよとやってきた結果が甲子園ベスト4だったということですから、その物事をどう捉えるかが大事だということです。

ー思考の整理の手助けをするということですか。

小菅 思考の可視化の手助けをするとはいいますね。大事な試合の前に「今100%のうちどのくらい緊張しているか」と問うたときに、90%と言った場合は、90%は線路に飛び出して今にもひかれる時のような絶体絶命の時だよと教えます。じゃあ、それに比べて今はどうなのと問うと、大抵は30%となります。物事の恐怖の尺度が30%ならば自分の力が出るそうだよと伝えてあげると、「ああ、そうなんですか」と平常心を取り戻してくれたということはありました。

昨夏甲子園2回戦での専大松戸戦でのエピソードです。台風の影響で本校も専大松戸も応援団がたどり着けなくて、静かな試合だったんです。

最初に先制されて、次にうちが逆転したら球場全体で拍手してくれて。その時にエースの藤本が私に「いやあ、夜の甲子園って良いですね。阪神タイガースってこんなところで試合できて良いですね」と、試合中にこういう捉え方をしたんです。だからこそ本来の力が出せたのではないかと思います。台風で1日延びたおかげで夜の応援団なしの一球一打の音を体感する甲子園が経験できて、お互いに敵味方ではなくて野球の現場を盛り上げてくれるという、それに呼応するかのように選手も躍動するという、それに20時になると涼しいですから良かったですね。甲子園でかなうなら2部制も最高ですね。

今年は教育実習生として2020年のコロナ直撃で甲子園がなくなった世代の笠嶋大介(仙台大野球部4年)が来てくれたんです。この間、私と笠嶋君で「君たちは甲子園を目指せるだけで幸せなんだよ」、「とにかく試合に出られるだけで良いじゃないか」という、あの時の気持ちを2人で涙ながらに語って選手に聞かせるミーティングをしました。あの当時、今の現役選手は中2、中1、小6だったのですが、2020年世代のリアルな思いをどれだけ聞き入って気持ちをつくり上げてくれるか楽しみにしています。今年笠嶋と出会ったことがきっかけとなって、野球が出来るだけでありがたいと骨身に染みて思ってくれたら、よい結果が待っていると思います。(聞き手・伊達康)

続く

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