【コラム・沼田誠】現在、水戸芸術館(水戸市五軒町)では「磯崎新:群島としての建築」展が開催されています。今回コラムでは、この企画展を見て考えたことを踏まえ、つくばセンタービル(1983年開園)と水戸芸術館(1990年開館)を比較してみたいと思います。
様々な要素の併置
両建築には二つの共通項があるように感じています。一つは「複数の異なる機能や要素を、同じ場所に置く」という特徴です。様々な機能や意匠が、統一された秩序の下に配置されるのではなく、まるで島々のように並び立っているということです。
これは、磯崎が1970年代末から展開した「群島」という思想に基づくものです。都市はもはや単一の理念や価値観では成り立たず、異なる文化や論理が、時に緊張関係をはらみながら併置される―そのありさまを建築で表現しています。
もう一つは、広場に立った時の「静謐(せいひつ)さ」です。センタービルも、水戸芸術館広場も、アラン・ポーの小説『アルンハイムの地所』に描かれるような、外界から隔絶された「閉ざされた理想郷」の趣があります。
例えば、センター広場で行われるイベントの多くは、広場そのものではなく、その周囲のペデストリアンデッキなどで展開されています。ある出展者にその理由を尋ねたところ、「センター広場だと音も外に伝わらず、イベントの開催に気付かれないから」とのことでした。
人を選別する空間
広場とは本来、誰にでも開かれた空間であるはずです。しかし、二つの広場は、どこか「理性的にふるまう者」だけが立ち入ることを許された場所として造られているからではないか─そんな気がしてなりません。そして何より、そのことに誰よりも自覚的だったのは、磯崎自身だったはずです。
その証左として、磯崎自身が制作した版画作品「廃墟と化したつくばセンタービル」(1985年)があります。センタービルが完成する前から、彼はその廃墟としての姿を想像していました。それは、建築が制度や理性の象徴として立ち上がりながら、同時に崩壊へ向かう運命にあることを暗示しています。
つまり、センター地区における「群島」とは、単なる多様性の象徴ではなく、統合する理念が失われた後の「残骸」の姿でもあるわけです。それは、多様性を認めながらも他者との交わりを恐れる、近代的な知性の孤独と言えるかもしれません。
あるいは、無目的=屹立(きつりつ)した個性が明確でないことに対する「恐れ」も含んでいるのではないかとも感じます。かつて「多目的ホールは無目的ホール」という言葉が関係者より繰り返し語られていたことが思い出されます。
廃墟から再構築へ
一方、水戸芸術館には、同じ群島的構成でありながら、こうした「廃墟」のイメージや関連作品が見当たりません。その理由をあえて想像するなら、芸術館が計画された時代背景(1980年代後半)が大きい気がします。そのころ日本は、バブル景気による過剰な繁栄に包まれ、世界では冷戦が終結し、崩壊の予感よりも明るいムードが満ちていました。
こういった時代を受け、磯崎は「理性の限界を嘆く建築家」から「異なる文化をつなぐ媒介者」へと、立場を変えていったのではないかと想像します。
「廃墟」はもはや前提として内側に沈み込み、それを踏みしめながら、もう一度秩序を構築しようとする意思へと転じたのではないでしょうか。個人的には、合理的な西洋近代に代わるものとして、東洋的な思考、具体的には「風水」的な意匠を水戸芸術館に取り入れようとしたのではないかと感じています。
まとめると、つくばセンタービルは「終わりを見つめる建築」。水戸芸術館は「終わりを越えて立ち上がる建築」。二つの建築は、崩壊と再構築の間に立つ人間の葛藤を、静かに示しているように思います。(元水戸市みとの魅力発信課長)






最近のコメント