【コラム・原田博夫】5月末、シンガポールを初めて訪れた。ロータリークラブの国際会議(2024年、シンガポール)に参加するためである。
参加者総数は約1万4000人、日本との移動時間や時差の少なさの関係か、日本からの参加者が約2400人で最大、次いで(次期会長=2人目の女性=の出身国である)米国の約2300人、台湾の約2100人と続く。市内中心部のコンベンションセンターでの開催で、会場の収容力などには目を見張るものがあった。
シンガポール地域は1963年9月、マラヤ連邦、サバ、サラワクと合併してマレーシア連邦としてスタートするも、主として中国人とマレー人の間での人種間・政治的な軋轢(あつれき)が高まり、1965年8月、マレーシアから追放される形で独立し、シンガポール共和国となった。
シンガポールの特色は、こうした人種・宗教の多様性に加えて、植民地時代の遺産も巧みに文化的魅力に仕上げている点だろう。
英国人トーマス・ラッフルズが1819年に上陸し、ジョホール王国から許可を受けて建設された商館跡地には彼自身の像が立って、最大の観光スポットになっている。中華系入植者がマレー系女性と結婚した家庭をプラナカンと呼ぶそうだが、近くには、その富商を再現した博物館や、国立博物館が立地している。
後者の展示には、20世紀初頭にはアヘン中毒の住民がいた歴史だけでなく、日本占領(1942~45年)を決定づけた山下奉文将軍と敵将パーシバルの会談の写真・説明も掲示されていて、その前のベンチには英国人とおぼしき中高齢者数名がビデオ説明に聞き入っていた。
近代以降のシンガポールは、その時々のリーダーの知恵と決断力で、さまざまな難局を突破してきた。外務省の情報(2024年6月4日現在)によれば、面積720平方キロ(東京23区よりやや大きい)、人口564万人(うち、シンガポール人・永住者は407万人)、民族は中華系74%、マレー系14%、インド系9%。
言語は、国語はマレー語だが、公用語は英語、中国語、マレー語、タミール語である。宗教は、仏教、キリスト教、イスラム教、道教、ヒンズー教である。
人種・宗教・文化の多様性を維持
数日間の滞在では、その裏側まで見ることはできなかったが、日曜日の昼下がりに市内中心街を移動していると、公園の木陰の芝生に20代~40代の女性が、数十人単位で座り込んで、食事をしている様子を目にした。特に騒音を出すわけでもないが、実に楽しげで、中には踊りや歌声も混じっていた。
聞くところによると、彼女たちはカンボジアからの期間限定の労働移民で、多くはここで家政婦として就労しているとのこと。彼女たちにとって、日曜日は週1度の休息日なのだ。
また、道路際には、大きなコンクリートブロックが相当数並べられていて、それを作業車で、並べ替えている様子も見受けられた。これは8月の建国記念行事のための、市内中心部での会場設営の準備作業のようだった。その作業に従事しているのは、多くはパキスタン人男性労働者だそうだ。
要するにシンガポールは、人種、宗教、文化の多様性を維持しながらも、政治的独立性と経済的魅力を日々高めてきたわけである。グローバル化・高齢化・少子化に歯止めのかからない日本の今後にとって、参考になる点も多いように感じた。(専修大学名誉教授)