【コラム・嶺田拓也】「田んぼ」とは、私たちが食べるお米を収穫することを目的に、イネが栽培できるように整えられた場所です。
イネの先祖は、もともとはアジアやオセアニアの比較的暖かい地域に生育していた多年生の湿地生植物でした。日本には、縄文後期から晩期(約4000~2300年前)ごろ、イネとその栽培法が伝わってきたとされていますが、かんがい(川などから水を引くこと)技術が未発達だったため、水を溜めやすい場所が良い田んぼの条件でした。
湧水が多く、また周辺の里山に降った雨が大池に溜まりやすい宍塚の谷津地形は「田んぼ」に適していました。しかし近代以降、効率よく生産性を上げるために「田んぼ」は、機械化に対応し大区画に、すぐ乾くように排水機能の強化が進みました。
宍塚の田んぼは、小区画で大型の機械には対応できず、また地下水位の調節が難しいため、天候などに大きく左右されがちで、現代の米作りには不利となってしまいました。
では、宍塚の田んぼを続ける意義はどこにあるのでしょうか。今でも野外でのイネの栽培は、天候や病虫害、土壌の理化学性の変化など、多くの影響を受けており、現在の技術を持ってしても、これらのすべての影響因子を人為的にコントロールすることは実現していません。そもそもお米は「つくる」ものではなく、「とれる」ものなのです。
人事を尽くして、また、さまざな生きものたちの営みの助けもかりながら、獲れたお米に感謝できるような「田んぼ」を作り続けていくこと。これが、かつての良田だった宍塚の田んぼ作りで目指すべきものではないでしょうか。
宍塚の田んぼで獲れるものは、決してお米だけではありません。畦(くろ)に植えられた大豆、大池から水を引くための水路で獲れるマシジミやドジョウ、さらには大池に水を供給する周辺の里山からたくさんの幸をいただくことができます。まだその役割がよく知られていない「ただの虫」をはじめ、たくさんの生きものたちすべても「田んぼのめぐみ」とすれば、もっと田んぼ作りが楽しくなるでしょう。
田んぼ作りでは、水路の整備、田植え、草取り、稲刈りなど、たくさんの人の手が必要です。そして、かっては農事暦にあわせて、お互いに作業の労をねぎらう親睦の場としてのさまざまな「祭り」も催されていました。宍塚での田んぼ作りでも、田んぼに関わるさまざまな人の環をしっかりと産み出してくれます。
田んぼの学校では、「生きものいっぱい お米もざくざく みんなで楽しく 田んぼ作り」を合い言葉に、谷津田に集う生きものや人(文化)を伝承していければと思っています。(宍塚の自然と歴史の会 田んぼの学校校長)