【コラム・坂本栄】つくば市小田に拠を構えた小田家の祖、八田友家をメーンに扱った土浦市立博物館の展示内容に誤りがあると、土浦在住の高橋恵一氏が指摘してから2年が経ちます。この間、博物館が疑問にきちんと答えていないことに怒り、高橋氏はコラム66で「八田友家の『筑後氏』名乗り説は誤り」(3月20日掲載)と、再び博物館に論争を挑みました。

鎌倉殿の13人の1人、友家

博物館は、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(22年1月9日~12月18日)の放映に合わせ、特別展「八田友家と名門常陸小田氏―鎌倉殿御家人に始まる武家の歴史―」(同3月19日~5月8日)を開催しました。

この企画について博物館は「約600年にわたる時間軸の中で、友家から始まる15代の当主、さらにはその系譜をたどったものです。これほどの長きにわたり、滅びることなく土浦・つくば地域を支配し続けることは容易ではありません。さらに展覧会では関東の名門武家として認識されていくさまも紹介しています」と解説していました。

鎌倉殿(鎌倉幕府初代将軍・源頼朝)が家臣13人をどうコントロールするのか? それを脚本家・三谷幸喜氏がどういったストーリーで見せるのか? こういった興味を持ち、「鎌倉殿の13人」には毎回チャンネルを合わせましたが、13人の1人、友家を祖とする小田氏15代を扱った特別展はうっかり見逃しました。

博物館は「筑後」を誤解釈?

ということで、私にはこの論争の中味について論評する資格はありません。それに、鎌倉時代の歴史については高校教科書のレベルです。しかし、高橋氏が博物館に提出した要請文「小田氏の始祖・八田友家の苗字変更説の訂正を求める」(3月13日付)を読み、これは見過ごせないと思いました。

高橋氏の論点(中世史学者・糸賀茂男館長が率いる博物館の展示内容への疑問)を私の貧しい読解力でまとめると、以下のように超要約できます。

博物館は八田友家の官職名「筑後」を苗字(博物館の言い方は名乗り)と解釈、つまり鎌倉幕府の歴史書・吾妻鏡を誤読し、苗字が「小田」でなく「筑後」だったとする誤解釈を基に、初代友家から3代泰知までは小田に本拠を置いていなかったとの説を展開。こういった誤解釈によって、小田氏初期の歴史が歪曲されている。

市民は博物館の展示を信用!

高橋氏が最初に疑問を呈したのは、コラム47「…土浦市展示に事実誤認あり」(2022年4月20日掲載)でした。これに対し、博物館は寄稿「『…事実誤認あり』に応える」(同4月27日掲載)で反論しましたが、説得力に欠けるものでした。

冒頭リンクを張ったコラム66によると、誤解釈は博物館の展示にとどまらず、糸賀氏が執筆に関わった県内の市町村史でも展開されているそうです。高橋氏はこういった誤りの広がりを憂慮、「自治体の刊行物、博物館の展示内容は、市民が最も信頼する情報です。… 訂正すべきでしょう」と述べています。

糸賀氏の学説が誤りだとすれば、博物館はその説を広げる場として利用されたことになり、市営文化施設の在り方としては何か変です。(経済ジャーナリスト)

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