日曜日, 11月 24, 2024
ホーム土浦「当事者との対話が重要」 精神障害を初のテーマに 土浦市が職員研修 

「当事者との対話が重要」 精神障害を初のテーマに 土浦市が職員研修 

合理的配慮、民間義務付け前に

障害者差別解消法の改正に伴い、スロープ設置など障害への合理的配慮が4月1日から民間事業者にも義務付けられる。義務付けを前に土浦市役所で22日、市職員に向けて障害への理解を深めるための研修が実施された。2017年から年に一度、毎年開催されている。今年は初めて精神障害をテーマにし、すべての課や室から参加した約50人が当事者の話に耳を傾けた。

講師は、精神障害の当事者が運営する「精神障害当事者会ポルケ」(東京都大田区)代表理事の山田悠平さん(39)。同団体は2016年に発足した。「精神障害があることで経験する苦い経験や辛さも含めて、ひとりで抱え込まずに言葉にしていこう!」を合言葉に、当事者同士が交流する場づくりや、精神障害に関する調査、政策提言、学習会の開催など活発に活動している。

山田さんは21歳で精神科を受診し統合失調症と診断を受け、4度の入退院を繰り返してきた。精神障害があることで、言いたいことや抱えている悩みを周りと共有できなかったり、友人関係が途絶えてしまったりしたことがあった。当事者同士のつながりを作ろうと始めたのが「ポルケ」だった。見た目でわからない精神障害について、地域の人にも知ってもらおうと関連映画の上映や写真展を企画し障害への啓発活動もしている。

「障害当事者会ポルケ」代表理事の山田さん

対話通じ時間をずらした

講演の冒頭で山田さんは、研修が午後2時から始まったことを「合理的配慮」の具体例として語った。市は当初午前中の開催を依頼していたが、山田さんが時間変更を希望した。山田さんは「私には午前中は体調面で難しいことがある。電車のラッシュにあたると、いいパフォーマンスを発揮できず支障が出るかもしれない。そこで時間の変更を相談した。すると『会場が取れたので午後にしましょう』と言っていただけた。時間をずらすことも合理的配慮」と話す。山田さんから伝えられた特性に市が配慮を示し、当事者と実施者が互いの対話を通じて、より適切に研修が行われる状態をつくり上げたと指摘する。

事業者が障害のある人に対して、障害を理由に来店を拒否したり、サービスを提供する時間や場所を限定するなど条件をつけることは、障害者差別解消法では「差別」にあたると禁止している。山田さんの体調に応じて市が研修時間を変更したことも、障害の特性に応じて時間を調整するなどルール・慣行の柔軟な変更を行う合理的配慮に当たるのだという。

一方で、事業者にとって過度の費用負担や物理的に実現不可能な場合は提供義務に反しないとされる。個別の場面で判断が求められるが、「障害があるからと特別扱いはできない」「前例がない」と無碍(むげ)に拒むことは認められていない。そこで大事になることが「対話」だと山田さんは強調する。

「合意的配慮ではプロセスが大事になる。障害者からの申し出への対応が難しい場合でも、できるかできないかを一方的に決めるのではなく、互いが持つ情報や意見を伝え合い、代わりになる手段を見つけていくことが求められる。障害者と事業者がともに解決策を検討していくことが重要になる」

権力勾配を意識して

山田さんは、合理的配慮の民間事業所への義務化を控えたこの時期が「重要なタイミング」だと語る。「合理的配慮には、障害者の側から『障害とはどういうものか』『このような配慮が必要』だと明らかにする必要がある。しかし精神障害には、偏見・差別の問題や中途障害であることもあり、当事者から言いにくいし、言語化に長けている人ばかりではない。今回の義務化は、改めて自分の障害をどう伝えて、どのような配慮を望み伝えるか、私たちにとってエンパワーメントの機会だと思っている。過渡期ではあるが、障害のない人と一緒に育まなければと思っている」という。

「対話が必要だが、障害のある人の背景をしっかり理解してもらう必要がある。『権力勾配』という言葉がある。例えば、一緒に話しましょうと言っても、力関係があることで対等に話せないことがある。行政など力を持つ側に意識をしてもらえるといい。障害者団体を招いて勉強会をするということは他の自治体にも広がってほしい」

伝えやすい環境づくりへ

今回の研修について市障害福祉課の酒井史人係長は「職員にとっては、ほとんど知らない内容も多かったと思う。当事者の方から直接実体験を聞くことでより伝わることが多いのではと考えた。さらに理解が進む必要があると思う」と話す。同課の白田博規課長は「4月には合理的配慮の法的義務が民間事業者にも課せられる。社会全体での対応がより必要になってくる」とし「窓口に来る方は車椅子の方ばかりではない。見た目でわかりにくい障害のある方がいるという認識が共生社会を作る上で大事になる。当事者も見た目でわからない分、『障害がある』と言えない人もいると思う。自分のことを伝えやすい環境をつくっていければ」と語った。(柴田大輔)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img
spot_img

最近のコメント

最新記事

台湾提灯加わりバージョンアップ 水郷桜イルミネーション点灯 土浦

土浦の冬の風物詩、水郷桜イルミネーション(同推進委員会主催)が23日、霞ケ浦湖畔の同市大岩田、霞ケ浦総合公園オランダ型風車前広場で始まった。青、赤、ピンク、緑、黄色などのLED約21万7000球が点灯し、土浦の花火、桜、霞ケ浦、ハス田などがイルミネーションで浮かび上がった。 高さ25メートル、直径20メートルの巨大な風車の羽根が冬の夜空に回転する「風車イルミネーション」や、土浦の花火を表現した「花火イルミネーション」が点灯した。今年は台湾の台南市と友好交流協定を締結したことを記念して、新たに色鮮やかな「台湾提灯」が加わった。来年1月13日まで点灯する。 点灯式では同推進委員会共同代表の広瀬英敏さんが「水郷桜イルミネーションは約210社という企業の協賛のおかげで開催できていることに感謝したい。寒い中にもたくさんの人に集まってもらい大変喜んでいる」などと話した。安藤真理子市長は「今年は台南市との友好交流協定を記念しての台湾提灯が加わり、よりバージョンアップした催しになった」などとあいさつした。 霞ケ浦高校チアダンス部のパフォーマンスや土浦第二小学校合唱団のコーラス、日本総合伝統芸能集団「喜楽座」の演奏などが披露された。 点灯式にはたくさんの市民らが訪れ、点灯の瞬間を待った。午後5時20分、10、9,8、7…とカウントダウンの合図で点灯すると、会場から大きな歓声が上がり、湖上から花火も打ちあがった。市民らは光のトンネルに入ったり、写真を撮ったりして華やかなイルミネーションを楽しんでいた。 夫婦で訪れた市内の40代の鈴木孝宗さんは「毎年楽しみに来ている。今年は花火が見られなかったので、本日(点灯の瞬間を)見られてうれしい。今後もずっと続けてほしい」と語った。(榎田智司) ◆水郷桜イルミネーションは、土浦市大岩田145、霞ケ浦総合公園オランダ型風車広場で来年1月13日(月)までの午後5~9時に点灯する。入場無料。期間中のイベントとして▷台湾フェスティバルが12月7日(土)と8日(日)の午後4時~9時まで開かれ、台湾フード販売、台湾雑貨販売、トークショー、サックス演奏、抽選会などが催される▷ほしぞらマルシェは12月14日(土)、15日(日)、21日(土)、22日(日)の午後4時~9時まで催され、キッチンカーや市内飲食店の出店、野菜販売、雑貨販売などが行われる。問い合わせは電話029-823-4811(土浦市産業文化事業団) https://youtu.be/Pz85d5occsI

新同居人とレコード鑑賞《続・平熱日記》170

【コラム・斉藤裕之】さて話は前回の続き。2階の部屋を片付けていたら、何とも不思議なことに数枚の中古LPレコードが出てきた。誰のものかわからない。値札は全て100円。それほど詳しくない私には、ただ1枚、エルトン・ジョンのものだけがわかった。 10月吉日、この部屋に住むことになった新住人がやって来た。事情はいずれ話すとして、私のパートナーなどではない。しかるにこの新同居人、正確には同居人達の部屋には何とレコードプレイヤーがあるではないか。片づけが一段落したところで、早速この謎のレコードを聴いてみようということになった。 ジャンルはバラバラ。カントリーありロックあり。さて次はどんな曲が始まるやら。共通して言えるのは、大方80年代のものだということだ。それなりのグループであるらしい。こういうとき、ネットは有り難い。検索すると全部ちゃんと出てくる。数枚は結構いい値段がついていることもわかった。しかし、誰がいつ? なぞのレコード。 ちょっと残念だったのは、片方のスピーカーから音が出ないこと。スピーカーのせいではなさそうだし、どこか断線しているというのも考えにくい。すると新同居人の1人が「ハリかも?」と。レコード針のせいでステレオにならないことがあるというのだ。 翌日、近くの中古ハード機器専門店でレコード針を買ってきた新同居人が針を交換。すると、両方のスピーカーから音が! ついでに買ってきたという数枚のレコードも、ターンテーブルへ。秋の夜は立体感のあるアナログな音に包まれた。 心躍るクリスマスソング およそ40年前。「レコードはなくなってCDというものになるらし~で」と、当時映像関係の専門学校に通っていた弟が放った言葉。そんな馬鹿な!と思ったが、それから間もなくしてレコードは姿を消した。 今やCDも見かけなくなり、ネット配信という時代。最近履歴書というものを書いたことがないのだが、恐らく「趣味、特技」なんていう項目はないんだろうな。とりあえず、差し障りない「読書」や「レコード鑑賞」なんていうのが定番だったような。私は読書もしないし、レコードなんて買うお金もなかったので、どちらも書いたことはないけど。 当時のレコードは子供の小遣いじゃ買えない値段だったけれど、今はプレミアがついているものを除けば中古は安い。今こそ「趣味、レコード鑑賞」か。 翌日、新同居人のひとりが年末に向けてクリスマスソングのレコードが欲しいというので、近くの中古レコード店へ。何とか1枚を見つけて帰宅。夜のとばりとともに針を落とす。60を過ぎて初めて聞くバイナルレコードのクリスマスソングに、不覚にも心躍る私であった。後日、レコードは長女が学生時代に殺風景な部屋の飾りにとジャケ買いしたものとわかった。(画家) 

給食のパンに異物混入 つくば市並木小

つくば市は22日、市立並木小学校で同日出された学校給食のパンに異物が混入していたと発表した。 市教育局健康教育課によると、同日午後0時10分ごろ、児童が給食のロールパンを配膳中、ビニール袋に入ったパンの表面にアルミホイルのような長さ1.5ミリくらいの細長いものが付着しているのを見つけた。パンはニンジンを練り込んだ国産小麦の「ユメシホウニンジンパン」で、1人1個出された。異物は児童の口には入っていないという。 県外のパン製造業者が調理し、学校に直接搬入された。同じパンはこの日、市内の幼稚園2園と小学校4校、中学校1校、義務教育学校1校の8校に計4461食分が提供された。 異物混入を受け同課は、同じパンの提供を受けた8校の園児や児童生徒にパンを食べるのを中止するよう連絡したが、すでに食べてしまった園児や児童生徒もいたという。22日現時点で健康被害の報告はない。 混入の原因について現在、給食センター所長がパン製造業者に対し、混入の経路を解明するよう指示し調査を実施している。混入経路や原因などは現時点で不明としている。

土浦の旧紫山塾主屋 登録文化財に 昭和の国家主義者、本間憲一郎の私塾

国の文化審議会(島谷弘幸会長)は22日、土浦市真鍋5丁目、旧紫山塾主屋(しざんじゅくおもや)を国登録有形文化財に登録するよう文科相に答申した。紫山塾は昭和の国家主義者、本間憲一郎(1889-1959)年により1928(昭和3)年に建てられた私塾で、忠君愛国精神を高揚する青年運動を指導し、全国の翼賛会運動の端緒となった。戦後は解散を命じられたが、土浦一高の生徒など近隣の青年が集う場所として親しまれた。 同審議会が22日答申した登録有形文化財129件のうちの一つ。地域の歴史を伝える貴重な建造物であるとして、登録文化財の基準の一つである「国土の歴史的景観に寄与している」として登録される。登録は官報への告示後、来年3月ごろの予定。 「土浦市史」(土浦市史編さん委員会編)によると本間は、水戸藩の藩医の出で、中国語を学び、第1次世界大戦では陸軍の通訳として中国で従軍した。帰国後、右翼の巨頭、頭山満の秘書となった。1928(昭和3)年再び中国に従軍。帰国し土浦市真鍋に紫山塾を開設し、「勤皇まことむすび運動」を提唱して忠君愛国主義を鼓舞した。霞ケ浦航空隊の青年将校たちもしばしば紫山塾を訪れた。1932(昭和7)年、青年将校らが首相官邸、立憲政友会本部、警視庁などを次々に襲撃し、犬養毅首相を暗殺した五・一五事件で本間は、ピストルと実弾を調達するなどした。1936(昭和11)年、陸軍青年将校らが軍部政権樹立を目指して蜂起し永田町や霞ケ関など一帯を選挙した二・二六事件には関わっていないが、首謀者の一人、安藤輝三陸軍大尉はしばしば紫山塾を訪ねた。 戦後、紫山塾は解散を命じられたが、本間は1951(昭和26)年、新生日本同盟を結成し右翼運動を指導した。 紫山塾主屋は木造2階建て、屋根は寄棟造銅板瓦棒ぶき、正面玄関の構えは入母屋の破風を見せる。3畳間の階段脇に一枚板度、南側の縁側に桁(けた)丸太、2階に一枚板の欄間があるなど趣向を凝らした近代和風住宅で、現在も子孫が住宅として使用している。