【コラム・奥井登美子】茨城県主催のシンポジウム「いばらき湖沼市民会議―宍道湖・中海と市民活動について」が2月17日、 宍道湖漁業協同組合の桑原正樹氏も出席して県環境科学センター(土浦市沖宿町)で開かれた。宍道湖・中海住民と霞ケ浦住民の交流は奥が深い。40年前、両方の住民がアオコ問題を提起し、「水の時代」を開いたのである。
1983年に京都で開かれた第1回世界湖沼環境会議プレ会議で、私は地域住民が始めた霞ケ浦流入河川56本の水質調査の報告をした。そして翌年、本会議が大津で開催され、佐賀純一さん(土浦市の医師)が「アオコ河童からの提言」という題で、霞ケ浦のアオコの実情を発表した。
子育て中だった当時の私には、世界中の人たちにアオコを見てもらうだけでなく、匂いをかいでほしいという強い願望があった。その日採取した霞ケ浦のアオコの水を瓶に入れて会場で披露したら、世界湖沼会議全体がアオコの匂いで騒然となった。
宍道湖・中海からも漁民がたくさん参加していたが、湖を淡水化したら水がアオコだらけになってしまい、魚が採れなくなってしまうのではないかという危機感が高まり、漁民を核にした住民運動「宍道湖中海の淡水化に反対する住民連絡会」は、2カ月間で28万人の署名を集めた。
湖の水質保全と漁業の変化
当時の友末洋治茨城県知事に依頼され、霞ケ浦の水を最初に分析したのは義兄の奥井誠一である。当時、彼は東大の「衛生裁判化学」の助教授をしていた。国鉄総裁轢死(れきし)体をめぐる下山(定則)事件、森永乳業の砒素(ひそ)ミルク事件の分析にもかかわった毒物のプロである。
兄と雑談していたとき、「僕は心配しているんだ。アオコがこれだけたくさん発生してしまうと、アオコの毒性について本気になって調査しておかないと、後で大変なことになってしまうんじゃないかと…」。
あれから40年。アオコの発生は抑えられているが、霞ケ浦名物だったワカサギは取れなくなってしまった。今回のシンポジウムでの宍道湖・中海の漁民・住民との新しいつながりが、地球全体の気候の変化に対応した湖の水質保全と漁業の変化に対応できるかどうか、双方の住民に問われている。(随筆家、薬剤師)