【コラム・川端舞】「生きるのは苦しい」。子どもの頃からずっと感じてきたが、なかなか表出できなかった言葉が堂々と書いてあることに、私は心底安堵(あんど)した。社会を変えたいと望みながら、本当の自分をさらけ出す勇気すらない私に、そっと寄り添ってくれるような言葉だ。
1995年生まれのライター、高島鈴さんの初エッセイ集『布団の中から蜂起せよ―アナーカ・フェミニズムのための断章』(人文書院)。
高島さんは本書で、家父長制、異性愛規範、資本主義をはじめとする、弱い個人を追い詰める権力や差別を否定し、社会を変える働きかけ全てを「革命」と呼ぶ。「革命」と聞くと、行動力のある強い人がすることだと思いがちだが、著者によると、日常の中で自分を脅かすものに少しでも抵抗しながら生きることそのものがすでに革命への加担なのだ。
私は、世間のつくった「あるべき障害者像」を恨みながら、少しでもそれに近づこうとする自分が嫌いだ。窒息しそうなほど苦しいのに、誰かに褒められようと、笑顔で頑張る矛盾だらけの自分が大嫌いだ。そんな私に、「生きるのは苦しい」と断言しながら、それでも、たとえ布団から起き上がれなくても、今いる場所で生き延びることが「社会を変える力」だとする高島さんの言葉は響いた。
あなたという存在を伝えて
大げさなことはしなくてよい。家の近くの学校に、心地の良い服装で通う。ほしい情報を自分にとって分かりやすい方法で受け取る。周りから自分らしい名前で呼ばれる。愛し合った人と家族になる。そんな、あなたの望む生き方をすればいい。
しかし、この社会は、健常で、日本語が母語で、自分の性別に違和感がなく、異性愛で…、世間から見た「普通の人」しかいない前提でつくられている。そんな社会で自分という存在が無視されていると感じたときは、ほんの少し勇気を出して、この社会であなたという人間が生きていることを周囲に伝えてほしい。
伝える手段は何でもよい。具体的な行動をするエネルギーがないなら、今を生き延びるだけでいい。生きていれば、誰かがあなたの存在に気づくかもしれない。でも、あなたが死んだら、何も伝わらない。
社会は呆(あき)れるほどゆっくりとしか変わらない。それでも、誰かに生きづらさを押しつける社会を変えたくて、私は文章を書き続ける。私の言葉が小さな波紋となり、会ったこともないあなたと共鳴し合いながら、いつか社会を変える巨大な渦に合流することを願う。(障害当事者)