【コラム・山口絹記】先日、ご高齢の知り合いにカセットテープの音源をデジタル化する作業を依頼された。イベントでBGMを流したいのだが、流したい音源がカセットテープしかなく、プレーヤーが壊れてしまったらしいのだ。
どうしたものか。たしか我が家のどこかにSONYのポータブルカセットプレーヤーがあった気がする。それをMP3の録音機器につなげば…と押し入れをガサガサあさっていて、ふと気づく。プレーヤーが見つかったらそのまま使えばいいじゃないか。
なんだかアホらしくなってしまい、座り込んで託されたカセットテープのケースを開けてみた。
「途中裕次郎の声がダブってますが、幽霊ではありませんので気にしないで下さい」と書かれていた。カセットテープにはありがちなことである。しかしイベントで流すのにあたり、気にしないのはいささか難しいのではなかろうか。
試しにケースの裏側に書かれていた曲リストをネットで検索してみると、音源CDが中古で売られているのが見つかった。送料の方が高くつくが全部で500円。迷わず購入した。
依頼主に事情を話してCDを渡すと、「コレでカセットテープは用なしかしらね」と言われ、私は思わず「とっておいてもいいんじゃないですか」と答えた。意外そうな顔をされる。
日頃から私が、お願いされてもないのにスマホの使い方を教えたりしていたものだから、いわゆる“デジタル派”な人間だと思われていたのだろう。私自身、答えながらなぜあんなことを言ったのだろうと思ったのだから仕方ない。
カセットという記録媒体の懐の深さ
後々考えていて思い出したことがある。実家の祖父の部屋でカセットテープを見つけたことがあって、ふと再生してみると、布施明の歌声が流れてきたのだ。祖母が布施明が好きだったので、祖父が録音してあげたのかもしれない。
そのまま再生していると突然、ワイワイと複数人の会話が流れ始めた。私には誰の声だかわからず、母に聞かせてみると、「ああ、これお父さんの声よ、あとお隣のおばちゃんかしら。お母さんもいるわね」と、懐かしそうに聞き入っていた。
なぜ何でもない会話が録音されていたのかはわからないが、私はその時、当時のカセットテープという記録媒体の懐の深さを感じたのだ。なんでも気軽に記録に残せる時代になったようで、意外と残らなくなってしまったものも多いのかもしれないな、と思ったりする今日この頃である。(言語研究者)