【コラム・小泉裕司】本コラム19「土浦の花火in大曲」で触れた通り、昨年10月7日(土)、大曲の花火秋の章・第2幕「土浦の花火物語」において、日本煙火協会茨城地区会が共同して、土浦全国花火競技大会の競技規定にそった作品を打ち上げた。特にスターマインの規定は、4号玉から2.5号玉まで400発以内と定めているが、その日の野村花火は、前年の土浦でスターマインの部優勝の「水無月(みなづき)のころ」をリメイクした「大曲バージョン」を持ち込んだ。

実はこれには裏話があった。土浦の実行委員会との事前打ち合わせの際、「4号玉より半廻り大きい5号玉を使い、しかも打ち上げ幅もワイドにしたい」と野村社長から申し入れがあったという。これに対し、実行委員会事務局は当初、「?」状態。社長の意図を理解することはできないながらも提案を受け入れたというが、単なる思い付きではないことを、現地で知ることになった。

つまり、こういうことだ。野村花火の打ち上げ前、土浦の規定通りに打ち上げた筑北火工堀米煙火店のスターマインは、全体的に小ぢんまり感が否めなかったのだ。

それもそのはず。開花時の最大高度約160メートルの4号玉と、約200メートルの5号玉とでは上空での広がりが違うと同時に、大曲の会場は、そもそも土浦とは比較にならないほどの広大な夜空が広がっている。正しくは、花火を見上げる角度、つまり仰角の違い。

土浦の場合は、打ち上げ場所と観覧席の近接さゆえ、プラネタリウムのように「見上げる」感覚となることに加えて、作品としての見え方を損なわない水平視野角も狭いのだ。一方の大曲は、観覧席の奥行きが深く、映画館のワイドスクリーンを後ろ席から観るような感覚と言えばわかりやすいかも知れない。

これらの違いを熟知した野村花火の「したたか」な提案であったことに、同行者一同脱帽した。この会場で1カ月前、内閣総理大臣賞を受賞した野村花火は、案の定、目の肥えた大曲の観客を魅了するに十分な作品に仕上げて、拍手喝采は鳴り止まず、「野村」のかけ声が響いた。

花火はカタルシスである

「花火はカタルシスである」。大曲の直後、こう私に話してくれた野村社長。カタルシスは、「心の洗濯」と訳すらしい。花火を見ている瞬間は何も考えないことで、感情の開放につながり、前向きな気持ちが湧いてくるという。この話を聞いて、野村花火を千波湖畔で観た女性2人の会話を思い出した(本コラム10「1年の計は初花火にあり」に掲載)。

「今日は無理につきあわせちゃって、ごめんね」「うーんん、最高の週末になったね。来週もがんばれそーかも」。

花火は、人生に必ずしも必要なものではないのかも知れないが、花火師は、見る人に元気や笑顔、希望を送り届けたいと、渾身(こんしん)の思いを込めて打ち上げる。まさに、あしたを生きるためのサプリメント。

水戸黄門まつりの一環として、毎夏、千波湖畔で開催される「水戸偕楽園花火」は、明治39年(1906)に始まった「沼開き花火」に由来。発案したのは、野村花火創業者の野村為重氏。以来、打ち上げは、野村花火が担っている。ちなみに、為重氏は、希代のアイデアマンで、「水戸観梅」(現在の梅まつり)の創始者の1人でもあった。

本日は、この辺で「打ち止めー」。「ヒュー パッパッパッ ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

<参考書>「水府綺談」(新いばらきタイムス社刊、1992年)