【コラム・高橋恵一】映画「楢山節考(ならやまぶしこう)」を再生してみた。山深い貧しい村の因習に従い、年老いた母親を背負って真冬の山奥に捨てに行く物語だ。映画では、白骨の散らばる山奥の岩陰に運ばれた老婆が、置き去りを躊躇(ちゅうちょ)する息子に早く行けと促す悲惨さが描かれる。
長野県の冠着山(かむりきやま)が俗称「姥捨(うばすて)山」と言われているのだが、実際には、そんな因習は無かったという。
姥捨て伝説は、各地にあるようだが、背中に負われた母親が、山道途中の枝を折ったり、白い灰を撒(ま)いたりして、息子の帰路の目印を残し、息子は親の愛の深さに堪(たま)らず、親捨てを止める。
あるいは、姥捨ては領主の命令だが、親を納屋に匿(かくま)っていたところ、領主に難題が持ち上がり、隠れていた老人の知識で解決し、領主が反省して姥捨て命令を廃止した―などと、姥捨て物語では、姥捨てを留(とど)まり、因習を否定しているようだ。
姥捨てや間引きはタブー
戦争中の集団疎開を扱ったドラマに、こんな話があった。疎開児童が増えたので村に食糧不足が起こり、老人たちが村はずれのお堂で自給自足の集団生活をする。それを子ども達が気付き、自分の食事を残して、おにぎりをお堂に届け、大人が反省して老人達を家に戻す。
口減らしは、その恩恵を受ける側にとっても残酷な行為なのだ。現実には、悲惨な状況もあったのかも知れないが、我が国の伝説や規範としては、姥捨てや間引きといった口減らしをタブーとしているのだ。
江戸時代、常陸国(現在の茨城県)南部に岡田寒泉という代官が就任した。彼は領内をくまなく見回ったところ、村々が疲弊していたので、貧困による幼児の間引きを防止するために「産児養育料」を支給し、凶作に備えて稗(ひえ)などの備蓄をさせるとともに、開墾事業の奨励、風紀の粛清など民生の安定に努め、小貝川の氾濫の際には素早く「お救い小屋」を建てて対応したという。
岡田寒泉は、松平定信の寛政の改革に関わった旗本であり、儒学者でもあったのだが、貧困の根幹を是正する統治政策を実践した人でもあった。
岸田政権の悪知恵政策
ところで、岸田政権の「異次元の少子化対策」では、財源の3分の1を、医療保険の掛け金から「支援」させるという。医療・介護保険は、必要な医療介護費用を算出し、保険制度の組合加入者が負担するわけだから、保険金に余裕はない。余裕があるとすれば、保険料を減額するのが筋だ。
その保険金を別の用途に回すとすれば、必要な医療・介護サービスを減らすことになる。学校給食費の納入金の一部を人気取り行事に流用して、給食の回数を減らすか食材の品質を落とすのと同じだ。要するに、「口減らし」だ。日本の老人は、子どものためと言われれば、少ない年金からでも、ひねり出すことは厭(いと)わない。
しかし、そのような、日本の老人の心情に付け込むような悪知恵政策は余りにも卑怯(ひきょう)だ。肝心の日本の子ども達は、子育て政策が老人の命を削る支援金で行われることを聞いたとき、喜ぶのだろうか?(地歴好きの土浦人)