【コラム・平野国美】前回(12月15日掲載)、私の故郷、龍ケ崎市の祭りから「関係人口」を考えました。関係人口とは、定住者とは異なり、地域づくりに流動的に関わる人たちを意味します。さらに分類すると、「行き来する者」「地域内にルーツがある者」「何らかの関わりがある者」などになります。
街づくりの正攻法として「関係人口」を増やすのであれば、2番目の「地域内にルーツがある者」を、いかに引きつけて「関係人口」にするか―うまく行くならば定住者もしくは将来的にUターンさせるか―を考えなくてはなりません。元々無縁の方々を引き込むには、既に何か魅力的な仕掛けが存在するか、あるいは、これから作らなくてはなりません。
昔、公団住宅やニュータウンには文化が生まれないと、何かで読んだ記憶があります。今、調べても見つからないのですが、私は以下のように考えています。
城下町のような伝統的な街並みと昭和30年代以降にできたニュウータウンの街を比較すると、どちらも、人口減少ではありますが、事情が異なるような気がするのです。昔、輝いていた多摩ニュータウンや千里ニュータウン、どちらも、高齢化や過疎化が深刻になっています。
都心部の人口爆発に対応して、その時代のトレンドを取り入れた住宅であったと思うのですが、時代の変化に置き去りにされた感があります。そこに、文化が全く芽生えなかったわけではないのですが、一過性のものとなってしまったのでしょう。
土浦の花火は市民1年のケジメ
これに対し、伝統的な街は歴史的な文化や行事が蓄積されています。人口減少問題はありますが、そこで生まれ、そこから離れられない人も多く見かけます。それが文化というものが引力になっているような気もするのです。
その引力的な文化として、今、二つ考えています。一つが「お祭り」、もう一つがソウルフードです。これは私の考えですが、このコラムのコメント欄で、私が鬱(うつ)にならない程度の緩やかなご意見がいただければ、私は修正しますし、あるいは新たな気づきがあると思いますので、よろしくお願いします。
土浦の花火大会を初めて見に行ったとき、ある土浦の旧家に集合してから、桜川の会場に向かいました。この家で胡坐(あぐら)をかいて待っていると、家主が現れた場面を覚えています。当主の言葉は「土浦の花火は土浦市民の1年のケジメであります」と短いものでしたが、その瞬間、我々は正座し、時代劇のように、一同、ひれ伏したのです。土浦市民にとって、花火は夜空だけでなく、心根に響くものなのです。(訪問診療医師)