【コラム・オダギ秀 】とんでもないことになった。一瞬のうちに真っ暗闇になった。ボクはパニくった。大切な撮影の最中だった。ある仏像の撮影をしていた。ヒューズが切れたのだ。
その像は、さる由緒ある寺院のご本尊で、門外不出の秘仏だった。撮影を依頼してくれた大学教授の話では、県内で最も価値ある像の一つで、長年撮影の許可を願っていたが叶(かな)わず、やっと撮影許可が下りたから失敗はできないと、ボクに依頼がきたのだった。
いいかげん自尊心をくすぐられたから、ボクもいい気になり、張り切って撮影に臨んでいた。
準備には万全に万全を重ねた。下見をすることも許されなかったから、どんな状況にも対応できるよう、あらゆるシチュエーションを予測し、予備機材はさらに予備を持ち、そのうえで撮影に臨んだ。
午後始めた収蔵庫での撮影は夜になっていたが、問題なく進んでいるつもりだった。
ところが、日が暮れてから、ブレーカーではなく安全器のヒューズが飛んだのだ。今の人は知らないだろうが、以前は、電気の過電流を防ぐために、ヒューズという熱で溶ける鉛などで作られたパーツを使っていた。安全器の中のそのヒューズが飛んでしまったのだ。ブレーカーのように、スイッチで戻すことはできない。ヒューズが飛ぶと、明かりはなくなる。
真っ暗闇のなかで、ボクは立ちすくんだ。大きな照明機材で撮っていたから、それを倒しでもしたらとんでもないことになる。機材の位置と這い回っているコード類がどこにどうなっていたか、ボクは頭の中で、必死に思い返していた。
拾った百円でヒューズを2本買った
だが、慌てる一方で「ご本尊やるなあ」という思いが、気持ちの隅に湧いていた。いつだって、自分がどんな位置状況にいるか、当然知り尽くしていなければならないはず。ヒューズが飛んだくらいで慌てちゃいけない。そのことをご本尊が、あらためて教えてくれたように思えた。
備えをしたといっても大きなことばかり考え、小さなヒューズ1本さえ用意していないことを、ご本尊は見抜いたのだろうか。心の緩みを戒めてくれた気がした。感謝して合掌し、夜の山を降りた。
だが、どうにも、腑(ふ)に落ちない。仏様が、ヒューズを切ったりするわけないだろ、と思った。
で翌々日、違うお寺さんの仏様を撮りに出かけた。いい加減な準備だった。悪い奴(やつ)には厳しい仏様なら、やましい心を持った写真家を厳しく罰するはずだ。
天気はポカポカ気持ちよかった。駐車場で、はすっぱに車停めたら、百円拾ったのでネコババした。お堂の光はよくて、すぐ撮影はすんだ。寺の横に廻(まわ)ったら農家のおばさんが白菜くれた。帰りに寄ったコンビニのお姉さんは可愛(かわ)ゆかった。準備は手抜きで安易な撮影、ネコババまでしたのにバチも当たらず、とてもいい日だった。ほらみろと思ったが、それもやっぱり、腑に落ちない。
ホームセンターで、拾った百円に26円足し、ヒューズを2本買ってカメラバッグに入れた。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)