【コラム・田口哲郎】
前略
先日、NHKのBSで「地下鉄のザジ」というルイ・マル監督のフランス映画が放映されていました。1960年の作品です。冒頭はパリの郊外からパリ中心部に入る列車のフロント窓の風景が映し出されます。列車はパリの南東にあるオステルリッツ駅に向かうわけですが、沿線の風景を見て驚きました。
その風景は、郊外から東京都心に向かう京浜東北線や中央線、東海道線、常磐線から見える風景と変わらないからです。いわゆるパリと言われたら思い浮かべる、古いながらも豪華な外装のアパルトマンが立ち並ぶシャンゼリゼ通りのような風景ではなく、日本のどこにでもある機能的な建物が延々と続くのです。
パリは19世紀には世界の都と言われるほどに発展しました。世界の都というのは近代的な政治、経済、文化の中心という意味です。いま私たちが普通に目にしている大都市は、19世紀のパリやロンドンが人類史上最初だったと言えます。江戸も大きかったのですが、石づくりで道路も舗装されていたいわゆる近代都市としては、パリのほうが先でした。
パリの人口は増え続け、拡大してゆきます。古いパリはグラン・ブールヴァールという環状道路の内側で、新しいパリはその外に無限に増殖してゆくのです。東京の山手線の内側が古い東京、外側が新しい東京と言われるのに似ています。
欧米の枠組みとしての近代都市
東京も浅草や日本橋のような江戸風情の残るところを「東京」とするように、パリも19世紀の雰囲気が残る凱旋門の辺りを「パリ」とします。それが街の顔ですが、その周りには、どの国にも似たような「郊外」が広がっている。
前代未聞の巨大都市パリのような都市が、欧米文化の広がりとともに世界に広がりました。それはグローバル化の波と一致しているのだと、パリの郊外の風景を見ていて気づきました。江戸も当然、その波にのまれ、大きな変貌を遂げ、いまの東京があります。
コロナ禍を経て、欧米の価値観がどんどん流入してくるだろう、と以前に書きました。忘れてはならないのは、いまの私たちの生活基盤である都市も実は欧米の枠組みによって作られているということです。そういう意味で、日本にも欧米の価値観を受容する下地はつくられていて、ソフト面が入ってくる環境は整っていると言えます。
あたりまえの「都市」を見直すことで、新たな気づきがあるかもしれません。ごきげんよう。
草々
(散歩好きの文明批評家)