【コラム・平野国美】今日のタイトルは「神社仏閣の逆襲」ですが、中身はこの表現ほど過激なことはありません。神主さんも僧侶さんも、今後の神社仏閣の存在について多少不安を感じています。人口減少、少子高齢化、シャッター商店街化が、檀家や参拝客の減少につながるのではないかと。
いくつかの神社とその商店街の成り立ちを調べると、戦後、引揚者に境内を開放して住まわせ、そこに闇市が立ち上がり、飲み屋街や商店街として発展した歴史が見られます。そのため、敷地や建物が避難所の役目を果たし、その一角に怪しい場所が存在したこともありました。それゆえ、本体の寺社仏閣が枯れてゆくと、商店街も同じ道筋をたどる運命共同体なのです。
私は、こういった場所を、いつからか探して歩くようになりました。今は寂しげなのですが、全盛期のざわめきや勢いを感じるのです。郊外の大型ショッピングセンターでは味わえない雰囲気があります。佐賀神社にあったアーケードの商店街に唯一残った店、八女市の神社と同居してシャッター街化した所などです。大家が先か?店子が先か? いずれにしろ、運命共同体だったのです。
神田明神のIT系お守り
茨城南部では最近、寺社仏閣で新たな動きが始まっています。私たちが学生だったころ、学校の古典や漢文の先生には、神主や僧侶と併任の方がおりました。この20年間、私が仕事で回っている間に、寺社仏閣の世代交代が始まりました。
新しい後継者は古文や漢文の先生でなく、IT系の方もおります。神社仏閣のホームページをしっかりと作られ、SNSも利用し情報を発信しています。おそらく、御守りや御札に関しても伝統と斬新さを混ぜて来るでしょう。
数年前、神田明神では、システムエンジニアの皆さんに対し、IT系の御守りが用意されていましたし、将門神社にはキューピーちゃんの将門バージョンが置かれていました。石岡の歴史ある神社の神職は、有名な雑誌の編集者でした。その仕事で得た人脈を利用して、ファッションショーも開催しています。
お祭りでは御神輿(おみこし)の担ぎ手が街から消えたように見えましたが、TXの開通もあって新住民が住むようになり、担ぎ手が抽選になる地域もあるようです。
時代が変わり、担い手も変わっていく姿に期待してしまいます。今、神社仏閣の存在の仕方は大きく変わりつつあると思います。地霊そのものである神社仏閣の逆襲が始まりそうです。(訪問診療医師)
<参考>
「ゲニウスロキ」シリーズ、前回「地域の神社仏閣」はこちら、前々回「土地の守護精霊」はこちら。