【コラム・平野国美】岡山県の山間部に吹屋(ふきや)という地区(高梁市)があります。ベンガラ(酸化第二鉄)の街並みで有名なのですが、私は15年ほど前、よく調べずにここを訪れました。街の外れから歩き出したのですが、なぜかデジャヴ(既視感)があるのです。しかし、私には縁もゆかりもない場所のはずです。
そのとき、私の背後に老女が忍び寄り、耳元で突然叫んだのです。「たたりじゃ〜! 八つ墓のたたりじゃ〜!」と。そこで、すべてを悟りました(この部分は作り話です)。
当時、この地域は高齢化が進み、住人の多くが80代の方々でした。そんな街の古民家を利用した喫茶店で、土地の皆さんと話しているうちに、この街の概要がわかってきました。江戸時代は鉱山として、明治時代はベンガラ生産地として、繁栄した街だったのです。
ベンガラは、神社などの建築物に使われる赤い塗料で、腐食を防ぐ目的もあって塗られていました。吹屋の街並みは、壁はベンガラ色、屋根は山陰の石州瓦(これも朱色)で、独特の風景が見られます。
なぜ、私がこの風景に既視感を持ったのか? 喫茶店にいたおばちゃん達と話しているうちに、わかってきました。上で書いた「たたりじゃ〜っ!」は、あながちウソでもないのです。ここは1977年に公開された角川映画「八つ墓村」のロケ地で、この映画の風景が目の前に浮かんだのです。
消えてゆく日本を残したかった
ここがロケ地になったのは、特徴的な風景もあるでしょうが、原作者の横溝正史が岡山県に疎開したこともあり、岡山を舞台にした映画を作ることになったと思うのです。
彼は神戸で生まれ、一時就職した後に大阪で薬学を学び、実家の薬局を継ぎます。しかし、学生時代に応募した作品が認められ、江戸川乱歩の招きにより、東京の出版社に勤務。多くの探偵小説を手掛けますが、肺結核になり長野の病院に入院。結核薬ストレプトマイシンで生きながらえ、戦争中は母親の実家があった総社市(岡山県)に疎開。二度と探偵小説は書けないと失意に落ちます。
しかし彼は、岡山の生活の中で、村人たちと酒を酌み交わしながら、地元の伝統や因習について聞き出したのです。そこには、古い美しい日本がありました。横溝作品は小説も映画も怪奇的に捉えられますが、彼が書き残したかったのは、そこではなかったと思うのです。
「八つ墓村」監督の野村芳太郎も、あるインタビューの中で「化け物映画を作りたいのではなく、消えてゆく日本を残したかった」と言っていました。これらの作品の根底にはノスタルジアがあるのだと思います。(訪問診療医師)