月曜日, 5月 18, 2026
ホームつくばルワンダで障害と向き合う 義足を作り続ける夫婦がつくばで講演

ルワンダで障害と向き合う 義足を作り続ける夫婦がつくばで講演

東アフリカのルワンダで義肢装具を製作し、紛争や病気で手足を失った人たちに無償提供するルダシングワ真美さん(60)と夫のガテラ・ルダシングワ・エマニュエルさん(68)による講演会が22日、つくば市吾妻、つくば市民ギャラリーで開かれる。障害者の自立生活支援に取り組む当事者団体「つくば自立生活センターほにゃら」(同市天久保、川島映利奈代表)が企画した。

2人がルワンダの首都キガリ市で活動を始めたのは1995年で、約100日間に80万人以上が命を奪われた「ルワンダ大虐殺」の翌年だった。96年にNGO「ムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト」を立ち上げ、97年から義肢装具の製作を開始し、これまでに延べ1万2000人以上に無償提供してきた。

危機からの再出発

「窮地からは脱して再オープンしました。今は日常に戻り、義足作りをしています」と、真美さんが現在の状況を語る。

2020年2月、夫妻の活動拠点であるキガリ市にある「ワンラブ・ランド」が突如、ショベルカーで壊された。そこには義肢装具の工房とともに、活動資金を捻出するために建てたゲストハウスやレストランがあり、地元の人たちも数多く働いていた。近年、度々洪水の被害に遭っていたことから、政府は一帯の住民に対して「また大雨が降る、今すぐこの場所を出るように」と、立ち退きを迫っていた。「すぐに移動はできない」と断るも、翌日には重機が押し寄せ家屋は取り壊された。

多くの時間と労力をかけて築いた施設が、目の前で壊されていく。あまりの衝撃に、「自分たちの活動に意味があるのか、本当に必要とされているのだろうか」と葛藤した。しかし「ルワンダで私たちにできることは他にない。これをやるしかない」と思い至った。

同年10月、施設再建の資金を募るためクラウドファンディングを立ち上げると、3カ月で1200万円を超える支援が集まった。この資金を元手に、翌年新たな場所に施設を新設した。

キガリ市の義肢製作工房の様子(同)

2人の出会い

2人の出会いは1989年。ルワンダの近隣国でのことだった。神奈川県出身の真美さんは当時、勤めていた日本の会社を辞めて語学留学でケニアを訪れた。そこで出会ったのが民族対立が続くルワンダから避難してきたガテラさんだった。ガテラさんは幼少期に受けた医療ミスで右足にまひがあり装具を付けていた。真美さんにとって障害以上に印象に残ったのは、大きな体とドレットヘアー、そして誠実で明るい人柄だった。

「私にとって、彼と知り合う以前に障害のある人との出会いはほとんどありませんでした。彼を通じて障害への純粋な好奇心を持ったんだと思います」

1991年にガテラさんが来日し、滞在中に壊れた装具を治すために訪ねたのが、神奈川県の「平井義肢製作所」だった。そこで目の当たりにした高い技術にガテラさんは「これをルワンダの人のために役立てたい」と思いを強くし、真美さんはその夢を実現するため平井さんの元に弟子入りを志願し、5年の修行の後に国家資格を取得した。ルワンダに渡ったのは大虐殺翌年の95年。その間ガテラさんはケニアへ逃れ無事だった。暴力の傷が色濃く残るルワンダで再会し、2人は新しい暮らしをスタートさせた。

ルワンダで気づいた「自由」

95年当時、町なかには手足を失った人があふれていた。初めての患者は地雷で足を失った男性だった。満足に材料が手に入らないなど予期せぬトラブルがあったが、無事完成すると、男性は、歩行訓練の中で徐々に、再び働くことへの希望を取り戻していったという。

以来、様々な障害のある人たちと関わってきたルワンダで、真美さんが居心地の良さを感じたのが「楽天的」なところだという。「うちにはレストランがあるので、障害のある人にお酒を振る舞うことがあるんです」と言いつつ、こんな例を挙げる。

「酔っ払って音楽があれば、みんな杖(つえ)つきながら踊るんですよ。それでお開きになると、2、3本、杖が置きっぱなしになってることがある。本来、杖ついて来たはずなのに、どういうこと?どうやって帰ったの?って、思いますよね。酔っ払って誰かに抱えられていったのかもしれないし、片足で歩いて帰っちゃったのかもしれない」

「酔っ払って転んじゃってる人もいる。ただの酔っ払いのおじさんと変わらないそんな姿を見て、いいなと思ったんですよね。誰だって酔って転ぶことあるじゃないですか。転ぶのはその人の勝手。障害があろうがなかろうが、私がタッチすることじゃない。杖を忘れて転ぶくらい放って置かれていい。それくらい自由がいいと思ったんです」

「日本では、転ぶ前に手を差し伸べたり、必要以上の心配をしてくれちゃうことがある。『これできないから、よろしく』って言われた時に、『はいよ』って手を差し伸ばせる関係がいいんじゃないかって。それが、お互いに気持ちがいい状態でいられる関係なんじゃないかって気がしたんです」

激動の30年と「アフリカの奇跡」

ルワンダは近年、「アフリカの奇跡」と呼ばれる高い経済成長率を記録し、国民が悲劇の記憶を乗り越えようとしている。また女性の国会議員の割合が世界1位となるなど、女性の社会進出でも注目を集めている。

真美さんはこれまで日本の「師匠」の元に約10人の若者を派遣し、技術を学ぶ機会を作ってきた。そのうち4人が独立して工房を構え、2人はワンラブ・ランドの工房で共に汗を流している。「大きな夢はないんです。このまま義足を作っていければいいなと思っています」と今後について話すと、「普通に場所を構えて、人が来るのを待って、地方に出向いて必要な人に届ける。後継者というか、任せられる人がいればいつでも死ねるかな、なんて思ってます」と語る。

30年の間にルワンダは大きく変化した。この激動の歴史の中に身を置いてきた記憶を語る講演会は、これまで全国で多数開催されてきたが、茨城では今回が初めてになる。(柴田大輔)

◆講演会「義足と歩むルワンダ」は、7月22日(土)午後2時から、つくば市吾妻2-7-5 つくば市民ギャラリーで開催。参加費は無料。申し込み・詳細はイベントの特設サイトへ。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

地元県立高5校が魅力を紹介 24日「高校進学を考える集い」

つくばの市民団体が開催 つくば市と近隣の県立高校5校の校長が一堂に会し、学校の魅力を紹介する「第7回つくばの高校進学を考える市民の集い」が24日、つくば市役所コミュニティ棟で開催される。人口増加が続くつくば市で、県立高校が不足している問題を県などに訴えてきた市民団体「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」(片岡英明代表)が主催する。 5校合同のいわゆる学校説明会で、昨年に続いて2回目の開催となる(25年5月15日付、同6月6日付)。昨年は市内の4校が登壇したが、今年は牛久栄進高校が新たに加わる。登壇するのは▽筑波高、永井信一校長▽つくばサイエンス高、石塚照美校長▽茎崎高、吉田真弘校長▽牛久栄進高、奈良由紀子校長▽竹園高、桜井良種校長。各校の説明後、質問も受け付ける。 昨年は約120人が参加した。一般市民や県議、市議、市職員などのほか、親子連れで熱心に聞き入る中学生や小学生などの姿が目立った。考える会によると、昨年は「説明を聞いて、勉強のスタートとなった」との感想を寄せられた母親もあったという。 集いは2部構成で、第1部は5校の校長がそれぞれの魅力を紹介する。第2部は、今年4月から私立高校生に月3万8100円の授業料が支援される私学の授業料無償化がスタートしたことや、県立高校志願者がさらに減少した問題など、今後の動きや課題を考える(26年3月8日付)。ほかに、元高校教員の片岡代表が、近年の県立高校入試の傾向を分析し、学習方法などを考える(同4月10日付)。 片岡代表は「つくばの生徒数が増加する中で県立高校の定員が不足しているという問題が構造的にある中で、私学の授業料無償化に伴って、地元の県立高校の魅力を十分に伝える必要性が高まっている。つくばエリアの県立高の定員不足問題だけではなく、中学・高校受験の問題を地域の問題として、また受験生への豊かな学びの応援として共に学び、語り合う機会になれば」と話し、参加を呼び掛けている。(鈴木宏子) ◆第7回つくばの高校進学を考える市民の集いは、24日(日)午前10時~午後0時30分、つくば市研究学園1-1-1、市役所コミュニティ棟1階会議室で開催。資料代300円、小中高校生は無料。詳しくは電話090-4591-8437(片岡代表)または電話029-852-4118(新日本婦人の会つくば支部)へ。

ロータリークラブ活動 水戸とつくばが競争《吾妻カガミ》219

【コラム・坂本栄】つくば学園ロータリークラブ(RC)のメンバーに加えてもらうことになりました。記事「創立40周年を祝う…」(3月2日掲載)を取材した際、その活発な社会奉仕活動を見聞きし、自分もそこからエネルギーをもらいたいと思ったからです。学園RCの会員数は水戸RCに次いで県内2番目ですが、早晩、歴史ある水戸RCを追い抜くような気がします。 対抗意識が両クラブを活生化 RCの年度は7月~翌年6月と、役所などとは違った期間になっています。今年度初(昨年7月)の会員は、水戸RC123人、学園RC105人でした。今年度末(6月)の目標として、水戸RCは133人、学園RCは110人(すでにこの目標を突破)を掲げています。この目標人数を見ると、両クラブのライバル意識の強さが分かります。ちなみに、県内55のRCのうち、会員数が100人を超えるのは水戸RCと学園RCだけです。 数字を並べましたが、両クラブの張り合いが面白いと思ったからです。ベテラン会員に「この調子だと水戸を抜くのは時間の問題ですね」と聞いたところ、「いや簡単ではない。こちらが頑張ると相手も頑張るから」とのことでした。よい意味で競争意識が両RCの活生化につながっているようです。 水戸にはRCが6つ(水戸RC以外は会員数約90~約20人)あるそうです。つくばの数は3つ(学園RC以外は同約60人と約20人)ですから、つくばは水戸にクラブ数では負けています。その背景は「会員数が増えると自分が目立たなくなるので自立心が高い人たちが別のクラブを立ち上げ独立する」(ベテラン会員)ことにあるそうです。こういった「分派活動」には水戸人のエネルギーを感じます。 予算と人口はもうすぐ逆転? なんとなく沼田誠さんのコラム「水戸っぽの眼」風になってきました。彼は水戸市の「みとの魅力発信課長(いわゆる広報広聴課長)」として活躍、現在は転職してつくば市に住み、東京圏で仕事をしています。独自の視点で両市を比較するストーリーは面白く、行政の地域性を知る上で勉強になります。 前回12「…今年度予算を比較」(4月29日掲載)では、古いまち・水戸市と新しいまち・つくば市の施策の違いを分析していました。添付された予算額推移表を見ると、つくば市が水戸市に急接近していることが分かります。今年度は1308億円対1227億円ですが、昨年度は1275億円対1273億円でした。ちょっとした新規事業の有無で来年度は逆転するかも知れません。 人口は間もなく逆転するでしょう。5月1日現在の常住人口は、水戸市が26万5243人、つくば市は26万4558人ですから、その差はわずか685人です。東京では住宅価格が高騰、首都通勤が可能なTX沿線への移住増を想定すると、つくばが水戸を上回るのは時間の問題です。数カ月前、記者会見で人口逆転について聞かれた五十嵐市長はコメントを避けていました。県都のプライドを刺激するのを避けたかったようです。 永田筑波大学長の共創体構想 歴史ある県庁所在地水戸。国と県が造った研究学園つくば。性格が違う両市の都市間競争は県全体の活性化につながります。「…学園都市を一つの研究教育共創体に…」(3月23日掲載記事)をぶち上げた永田恭介筑波大学長も学園RCの会員ですが、私がゲスト出席した4月末例会の卓話(ミニ講演)では、ロンドン-ケンブリッジと東京-つくばの関係性・距離感が似ていると指摘し、研究学園の機能強化の必要性を訴えました。(経済ジャーナリスト)

土浦の花火100年の紡ぎ(5)《見上げてごらん!》52

煙火の系譜は湖畔から山へ 【コラム・小泉裕司】火薬を取り扱う花火工場は、火薬類取締法など関連法が定める「保安距離」確保の観点から、住宅街や公衆が集まる施設を避けた山間部や平地のはずれに立地するのが一般的である。 土浦における「花火製造」の歴史は、1936(昭和11)年、霞ケ浦湖畔の川口町(現 川口2丁目)に「北島煙火店」が創業したことに始まる。戦後「土浦火工」(北島義一社長)へと社名を改め、土浦全国花火競技大会の発展を支える存在となった。 その後、市街化の進展に伴い、1963年に宍塚大池地区へと移転する。興味深いことに、移転先の宍塚山周辺では明治の中頃まで「竜星(りゅうせい)」と呼ばれるロケット花火が打ち上げられていたという。これは櫓(やぐら)に固定した筒に火薬を詰め、丸太を空高く打ち上げてその高さを競うものであった。 かつての「竜星」から土浦火工へと至る煙火の伝統は、時代を超えてつながっているように思えてならない。ちなみに現在も、つくば市百家(はっけ)の観音寺では、伝統花火を支える山﨑煙火製造所の支援を受け、9月第2日曜日に「竜水」という名のロケット花火が奉納されている。 1956年、土浦火工の子会社として、上高津町に設立された「昭和火工」は、元々、川崎市登戸で照明弾などを製造していた企業であった。義一氏が武藤輝彦氏(1921-2002)との共同経営に参画した当時は、玩具花火も幅広く取り扱い、土浦火工と昭和火工の両工場はわずか1.5キロほどの距離で、土浦の煙火産業の両輪を担っていた。 花火事故と安全への挑戦 「花火の歴史は事故の歴史」とも言われる。土浦におけるその歩みは、不断の安全への挑戦の記録でもあった。1991年の解散までの約半世紀の間に、同社関連の火災事故は18件発生し、7人が尊い命を落としている。 記録をひもとくと、事故の多くは移転前の川口町で発生したが、宍塚山や上高津、さらには湖上での水中花火事故も記録に刻まれている。当時の消防士たちは非番の日であっても現場に駆けつけたという。それは、火薬という危険物を扱う現場を有するまちの宿命だ。 特に1975年の爆発事故は悲劇的だ。日本煙火協会の設立に尽力し、業界全体の安全確保を生涯の使命としていた義一氏は、この事故で跡継ぎの長男克之氏を亡くしている。「安全なくして花火の発展なし」。この信念を掲げるリーダーにとって、身内を襲った悲劇がいかに断腸の思いであったかは、想像に難くない。この事故を最後に、土浦火工での火災事故は確認されていない。 現在、宍塚山の工場跡入り口には、折れ曲がった「土浦火工」の看板が往時をしのばせるのみである。一方で、昭和火工の跡地は、今も業界大手の玩具花火メーカーの倉庫として活用されている。形を変えながらも、そこは今なお子供たちに夢を発信する空間であり続けている。 「花火のまち」土浦。千紫万紅(せんしばんこう)のごとく秋の夜空を彩る閃光(せんこう)の裏側には、火薬と向き合い、時には命を賭して技術を磨き上げた先人たちの、苛烈な歴史が刻まれている。本日はこれにて打ち留めー!(花火鑑賞士、元土浦市副市長) <参考文献>「土浦消防三十年のあゆみ」(土浦市消防本部、1980年刊)「土浦町内ものがたり」(本道清、常陽新聞社、1989年刊)「日本煙火協会参拾年史」(日本煙火協会、1993年刊)「日本の花火のあゆみ」(武藤輝彦、あずさ書店、2000年刊)「花火と土浦」(土浦市、2018年)「花火師たちの記憶/DVD」((有)茨城ビデオパック、2025年完成)

免許失効したまま公用車など運転 市職員を減給処分 土浦市

土浦市は15日、同市都市整備課の男性職員(33)が昨年7月4日から8月13日までの間=当時は別部署に在籍=、運転免許が失効した状態で自家用車で通勤していたほか、同期間中の8日間、計9回にわたって公用車を運転するなど交通法規違反を行ったとして、同日付で男性職員を1カ月間減給10分の1の処分にしたと発表した。 市人事課によると、男性職員は有効期限が7月3日までの運転免許証の更新手続きを失念した。8月13日に本人が免許証を更新していないことに気付き、翌14日に更新手続きを実施した。 今年4月、本人から申し出があり発覚した。同市では毎年4月、職員に対し、運転免許証の有効期限などを含めた自動車運転報告書を提出させている。同報告書提出の際、本人が申し出たという。 処分内容については、市職員分限懲戒審査委員会を開き、同市の前例や他市の状況などから減給処分とすることを決めたとしている。併せて、管理監督責任があったとして、異動前の当時の課長を口頭注意とした。 安藤真理子市長は同日「運転免許の確認についてはこれまでも再三にわたり指導してきたが、このような交通法規違反により市民の信頼を損なってしまったことを心よりお詫びします。二度とこのようなことがないよう、法令遵守、服務規律の確保を徹底し市民の信頼回復に努めます」などとするコメントを発表した。今回の事態を受け、職員全員を対象に、各所属長が運転免許証の原本をチェックし有効期限を確認するとしている。