【コラム・奥井登美子】原色牧野日本植物図鑑を開けて、描かれている植物画をゆっくりと鑑賞する。日本画ののびのびした優美さと、浮世絵のロマンがいかんなく発揮されていて、胸がどきどきして、いつまで見ていても飽きない。
タイトルは、雄しべのいろいろ、こんな葉もある、雄しべのつきかた、花冠(かかん)のつくり、葉のつきかた 花序(かじょ)のいろいろ―などと科学的に漏れのないように、すべての植物の特徴が繊細な線画として網羅されている。
私は、牧野富太郎先生の性格はもしかしたら葛飾北斎に似ているのではないかと思う。世間的なわずらわしさ、経済的な負担などは一切捨ててしまって、自分の好きなことだけ、自分の思う方向に、周りのことに関係なくひたすら突進する。彼がもしも浮世絵師になっていたなら、北斎をしのぐ存在になったかもしれない。
元々「動乱」用の容器
私は学生時代、牧野図鑑の絵にひかれて、うかうかと植物研究部に入ってしまった。ビニール袋のない時代。植物採集に行くとき、楕円形の大きなブリキの容器「胴乱(どうらん)」を使っていた。標本にするために採った植物を大事に入れて、花や葉を痛めないように持ち帰る容器だ。
私たちも、植物採集のときは必ず胴乱を持ってくるよう指導された。NHKの朝ドラ「らんまん」の槙野万太郎(モデルは牧野富太郎)さんもこの胴乱を肩に引っ掛けている。
銅乱という容器は、江戸時代は火薬を運ぶ容器だったらしい。「火薬入れ」がなぜ「植物入れ」に化けてしまったのか? さっぱりわからないが、長さ50センチ、厚さ15センチくらいのブリキの容器で、肩から下げる太い紐(ひも)がついている。
薬用植物は道端に生えているものは少なくて、せせらぎの中、崖の途中、足場の悪い石ころだらけの場所ばかりである。この重くて大きな容器を肩にかけて、石ころだらけの山道を登り降りする。体力ある男の学生には何でもない容器だったのかも知れないが、私たち女子学生にとっては「動乱の胴乱」だった。(随筆家、薬剤師)