【コラム・浅井和幸】私たちは、出来事や物の一つ一つに対して「良い」「悪い」とラベル張りをする癖があります。そして、「悪い」ものがあるから悪いことが起こると勘違いして生きています。
例えば、塩や油は「悪い」、ゴマや発酵食品は「良い」と決めつけて生活しています。そして、それら「悪い」物を食べたら不健康になり、「良い」物を食べたら健康になると思い込んで生きている。
ここまで読めば、食べ物と健康の良し悪しは、そう単純ではないと考えられる人がほとんどではないかと思います。それでも振り返ると、誰もが(と言ってよいでしょう)、このように決めつけて過ごしていることに気づくでしょう。
なので、「人に優しくすることは良いことですよね?」「直観に頼ることは良いことですよね?」とか、「ゲームは良くないですよね?」とかと質問されても、「良いこともあるし悪いこともある。目的と程度問題と思いますよ」と答える浅井は、「優柔不断で、つまんない奴」と思われがちなのです。
特に人は、自分が認められていない、褒められていない状況が続くと、不安が大きくなり、「あなたは悪くない」と言ってくれる人を探し、確認を繰り返します。その段階では、現実問題の改善ではなく、心理的な落ち着きのためにカウンセラーや周りの人の共感が必要なのは事実です。
共感と同感は別物で、同感や是認を繰り返しすぎると、強迫性障害などへの悪影響がありますが、それはまた別の話です。
「悪いのは自分でなく社会の方だ」
不安が大きくなると、「自分は何も悪くない。悪いのは社会の方だ。自分を生んだ親が悪いのだ。日本が間違っている」と、今の不安や辛さは何か「悪い」ことがあるからで、原因を探す日々を過ごします。とても辛いことです。
もちろん、社会や日本が変わるまで、じっと何十年も待つという方法もあるでしょう。しかし、それら「悪い」ものにアプローチすることや、自分の目的に向かう自分自身の言動や受け止め方へのアプローチも一つの方法です。
物事の良し悪しは、程度問題と目的に合った手段を取れるか取れないかです。傘をさすこと自体は、良い事でも悪い事でもありません。ですが、雨をよけるには有効な手段ですし、人や物が密集しているところで傘をさしたら邪魔になるかもしれません。
雨が降って濡れることが嫌である場合、なんでこの地球には雲が発生するんだ、雨がすべて悪いと考え続けて苦しむか、傘をさすか、着替えるか、予定を変更するかなど、自分が対応して未来を変える方法を探ることもできます。
自分の目的を達成するために、自分が動くことで未来が変わったことを実感できる―。それで、生きている喜びにつながり、不安がなくなるという状況に毎日の生活が変化することに気づく人が増えるよう願っています。(精神保健福祉士)