金曜日, 8月 22, 2025
ホームコラム瓜連小で再びゲストティーチャーに《邑から日本を見る》134

瓜連小で再びゲストティーチャーに《邑から日本を見る》134

【コラム・先﨑千尋】3月下旬のある日、私は地元の瓜連小学校で再び教壇に立った。相手は5年生全員だ(といっても60人弱)。テーマは「倭文織に魅せられて―しづ織とは何か」。

私が住んでいるすぐ近くに常陸二ノ宮静(しず)神社がある。近頃は、神社に隣接する静峰(しずみね)公園の2000本の八重桜の方が知られているが、「桜田門外の変」で井伊大老を討った一人、斎藤監物(さいとう・けんもつ)の墓もあり、歴史に関心のある人はそちらに引き付けられる。

静神社の祭神は建葉槌命(たけはづちのみこと)。織物の神様だそうだ。古代、神社の周辺には倭文部(しどりべ)という職業集団がいた。倭文(しどり、しづおり)とは「楮(コウゾ)や麻、からむしなどを素材として、その緯(い)を青、赤などに染め、文(あや)に織った布」と言われている。『万葉集』には、防人(さきもり)に行った倭文部可良麻呂(しどりべのからまろ)の長歌が収められている。

この織物は『常陸国風土記』や『延喜式』など多くの文献に出てくるが、現物が発見されていないので、こういうものだと断定はできないが、調べる価値のある織物だ。

地元にこのような貴重な歴史遺産がある瓜連町では、約30年前に楮や木綿などを使ってしづ織の復活を試み、小学校にも「しづ織クラブ」が誕生した。今の子どもたちは第2世代になる。私もこのクラブの誕生に関わっており、小学校から「しづ織とは何かを話してほしい」と頼まれたのだ。

楽しみながら学ぶ、楽しいことを学ぶ

私は当然、しづ織の素材や用途などについて基本的なことを話したが、その前に、歴史とは何か、どうして歴史を学ぶのかについて、私が日ごろ考えていることを伝えた。学校で教わる歴史とは、年表を覚えることと有名な人や事件などを知ること。だから面白くない。私はその壁を破りたかった。

長い長い人類の歩みの中で、数え切れない人々の暮らしや生活があり、事件や事故、自然災害なども起きた。その中から何をつかみ取るのか。自分が生きている今と違う世界がある。そこを旅するのが歴史だ。過去に学ぶことは、これからの自分や地域、国の将来を考えることだ。そう前置きし、次のようなことを話した。

しづ織を織っていた倭文部の人たちは、どんな暮らしをしていたのだろうか。何を食べていたんだろうか。他の人たちとの交流はどうしていたんだろうか。静神社の近くに前方後円墳があるが、しづ織と関係あるのだろうか。一つのことに興味を持てば、調べたいことが次々に浮かんでくる。それを調べるのが歴史の旅なのだ。

この地域には、奈良・平安時代には「倭文郷(しどりごう)」という大きなムラがあり、最近墨書(ぼくしょ)土器も見つかった。鎌倉・室町時代は、東西南北の交通の要所で、東海村辺りから栃木那須方面への塩の道が通っていた。

私は当日、わが家の田んぼで見つけた旧石器時代の小さな石斧(おの)を持参した。皆それを手に取り、目をキラキラ輝かせていた。楽しみながら学ぶ、楽しいことを学ぶ、それが子どもの教育に大事なことなのではないか。そう考えた。(元瓜連町長)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

0 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

23、24日はまつりつくば ごみ袋「もってかえる」を1万枚配布  

つくば市最大の祭り「第42回まつりつくば2025」(まつりつくば大会本部など主催)は今年もつくば駅周辺を会場に、23日と24日の2日間開催される。つくばエクスプレス(TX)開業20周年を迎える今年は、TXを運行する首都圏新都市鉄道がパレードに参加するほか、記念グッズが大清水公園で販売される。今年新たに、来場者に飲食容器などのごみを持って帰ってもらう啓発を実施し、カエルのイラストがデザインされ「もってかえる。」と書かれたごみ袋を1万枚配布する。今年も例年と同規模の48万人の来場者を想定している。 メーンの「まつりパレード」は、両日とも午後4時から土浦学園線の東大通りと西大通りの間で実施され、大ねぶた4基と中小ねぶた5基が繰り出す。今年の新作として十和田湖や八郎潟、田沢湖の竜神「八郎太郎」のねぶたが登場する。ほかに、40年前の1985年開催のつくば科学万博で披露された万博山車や市内各地区のみこしが練り歩く。25日は万灯みこしが加わる。 11エリアで 会場は駅周辺の11エリアに分かれる。▽つくばセンター広場と大清水公園の「まんぷく広場」には市内のグルメや特産品が勢ぞろいする。▽市中央図書館からつくばエキスポセンター前の遊歩道、つくば公園通りでは「アートタウンつくば 大道芸フェスティバル」が開催され、中国雑技芸術団など大道芸のパフォーマンスが披露されるほかアート作品の販売される。世界の料理が楽しめる「ワールドレストラン」なども催される。 ▽科学のまちつくばならではの「スーパーサイエンスパーク」は、つくばセンタービル3階のつくば市民センター・コリドリオ大会議室や、ノバホール小ホールなどで開催される。分身ロボットを操作して迷路にチャレンジしたり、分身ロボットのツアー体験、並木中等教育学校や茗渓学園による工作教室などが催される。体験はいずれも無料で、両日とも正午から整理券を配布する。 ▽つくば駅に隣接する中央公園では福祉団体などの活動を紹介する「ふれあい広場」を開催。▽つくば国際会議場隣の竹園公園ではダンスフェスティバルのほか、さまざまなスポーツを体験できる「スポーツパーク」を催す。▽つくば駅前のクレオ前広場では屋台などが並ぶ「トナリエつくばスクウェアうきうき広場」を開催。▽つくばセンター広場特設ステージでは、園児や子供たちによる音楽やダンスのほか、トップ・ウクレレ奏者の名渡山遼さん、シンガーソングライターの澤田千加子さん、地元つくば市出身の演歌歌手 水城なつみさんなどが登場する。▽昨年始まった「つくばのおさけで乾杯エリア」のほか、今年からは「行政PRブース」や「協賛出店ブース」なども用意される。 今年の新たな企画としては「ごみ持ち帰り啓発」が実施される。まつり会場は2030年までに二酸化炭素排出量実質ゼロを目指す脱炭素先行地域に指定されていることから、ごみゼロを目指して、「もってかえる。」とデザインされたごみ袋1万枚を大会本部など計4カ所で来場者に配布し、ごみを持って帰ることを呼び掛ける。ただしごみ箱は撤去せず、例年通り設置するという。 市環境衛生課の木村憲一課長は「今年はごみ持ち帰り元年にしたい。まずは来場者に慣れてもらうという意味でのPRであり、ごみ問題に意識を高めてもらえれば」と話す。 暑さ対策としては、つくばセンタービル1階と竹園西児童館に救護所を設置する。医師や看護師が常駐し、救急車も待機する。さらに会場内に休憩所やミストシャワーも用意する。 まつりのポスターやちらしのメーンデザインは、市内3カ所に物流倉庫を構えるZOZOが担当した。まつりつくばのごった煮感をイメージしたデザインだという。 まつりつくばは1981年、合併前の旧桜村の市民有志が大清水公園で開催したのが始まり。コロナ禍の3年間は開催されなかった。近年は48万人の規模で開催されている。(榎田智司)

展望台と滝がある松見公園《ご近所スケッチ》18

【コラム・川浪せつ子】松見公園(つくば市天久保)は、TXつくば駅から車で数分の所にあります。1976年に完成したそうです。高さ50メートルの展望台がボトルオープナーの形をしており、「栓抜き公園」という愛称で親しまれています。上からは筑波山から研究学園まで一望できます。展望台の下には、たくさんの鯉がいる大きな池、その池に注ぐ滝があります。 今回は滝がテーマなのですが、描きあげるのに苦悩しました。その理由は、水がたくさん流れているわけではなくて、どのように滝と分かるように描けるかでした。結局、水量を増やして描くことにしました。見に行かれた方は、「実際はチョロチョロなのかぁ~」と思われるかもしれません。 今回は「絵を描くとは?」に悩みました。結局、写真は真実を写しますが、絵は「好きでいいじゃん! 心象風景でいいじゃん!」ということになり、やっと描くことができました。つくば周辺の絵を描いていますが、「ウソ」ではなく「心の絵」ということです。記録画とは少し違いますが、これからも「つくば周辺の良さを描く」をテーマにします。 下の絵は、トップの滝の上の所です。小さな滝があり、手前には渡れる飛び石が配置されています。公園の周りはメディカルセンター病院はじめ、建物ばかりですが、この空間は旅に行ったように思えるステキな場所です。(イラストレーター)

ペット学校→日本語学校→次は?東郷サンスイG代表【キーパーソン】

サンスイグループ(東郷治久代表、本部・つくば市小野崎)はいろいろな事業を展開している。新しい分野は2018年春に開校した日本語専門学校だが、本部敷地内にある校舎が手狭になり、別の場所に移すことも考えているという。同グループの歴史と現状、生徒が増えている日本語学校を今後どう展開するのか、東郷さんに聞いた。 「ひとつの業種にこだわるな」 サンスイグループは複数の事業で構成されている。本部を置く「つくば山水亭」を核とした飲食事業、筑波山手前にある「わんわんランド」などペット事業、ペット専門学校に日本語学校を加えた教育事業―の3分野だ。 東郷家の事業は、祖父が1919年に常総線水海道駅前に開業した米穀商が始まり(配給制を受け戦後廃業)。常総鉄道の経営にも手を拡げ(のちに京成電鉄が買収)、筑波山神社前にあった旅館山水荘(つくばグランドホテルの前身)も取得。父の代には県内最多の映画館チェーンを経営した(テレビの登場により撤退)。3代目は、飲食事業、ペット事業、学校法人を立ち上げ、神社前のホテルは2023年に米国の投資ファンドへ売却した。 こういった経緯は常陽新聞の記事(2014年6月16日掲載)、本サイトの記事「…米投資会社に譲渡…」(23年8月10日掲載)に詳しい。 「グランドホテルを処分したことで先々代・先代が始めた事業はすべてなくなった。祖父は『ひとつの業種にこだわるな。ひとつ良い時に違うことをやっておけ。9勝6敗でも構わない。商売は失敗してもよい』と常々言い、チャレンジを大事にした。私もこの家訓を胸に刻み、社会経済の変化を読んで新事業を始め、儲からない事業からは撤退した」 日本語学校にはすんなり入れた 1996年に起業した犬の動物園「わんわんランド」の区画には、ペット専門学校、動物病院、老犬介護ホーム、ペット霊園なども併設され、今では猫とも遊べる総合ペットランドになった。これら施設の中で収益の柱になっているのが、2006年に設立したペット専門学校。 「元々ここで働く人に犬について学んでもらう施設があった。それをペットに関心ある人を受け入れる専門学校にしたら大ヒット。発足時16人だった生徒数が今では500人を超える規模になった。これは東京、大阪、名古屋にある類似の専門学校に次いで全国4位。つくば市に何でそんな規模のペット学校があるの?とよく聞かれる」 ここで東郷さんを刺激したのが「ひとつ良い時に違うことをやっておけ」という祖父のビジネス訓。 「ペット専門学校の生徒募集のために高校回りをしていて生徒数の減少を痛感。日本の労働力不足を補うには外国人にも働いてもらう必要がある。そこで時代に合った学校もやろうと日本語学校を立ち上げた。商社で中近東に駐在していた時にアラビア語を勉強させられたこともあり、日本語学校事業にはすんなり入れた」 サンスイグループの日本語学校の定員は県内で最大。開校時40人弱だった生徒数は、今秋にはネパールやミャンマーからの留学生を中心に200人を超える。東郷さんはこれを300~400人規模にしたいという。それには別の場所に新校舎を建てるか、ビルを買って校舎に改修する必要がある。早晩、市内のどこかに大きな日本語学校が姿を現しそうだ。 【とうごう・はるひさ】1973年、東北大経済卒、三菱商事入社。開発建設・エネルギー分野を担当、中東のシリアやレバノンなどに3年駐在。83年に商事を退社、家業の東郷商店に戻り、90年から社長。現在は「つくば山水亭」「わんわんランド」「つくば文化学園」などを束ねるサンスイグループ代表。水海道市(現常総市)出身、在住。77歳。 【インタビュー後記】東郷さんの事業展開の最初の柱をペット関連(ホップ)とすれば、日本語学校はステップ、日本語学校の拡大充実はジャンプになる。ただ、移転先案や新計画案を聞いていると(これはオフレコ)、3段跳びはジャンプで終わらず、4段目もありそうだ。グループの事業構造はこれからも変わる? (経済ジャーナリスト、坂本栄)

「日本のいちばん長い日」と「肉弾」《映画探偵団》91

【コラム・冠木新市】戦後80年。終戦秘話を描いた2時間37分の映画「日本のいちばん長い日」(1967)を久しぶりに見た。 この作品は1967年度の興行成績第2位で、大ヒットを記録した。しかし公開前、製作関係者の誰もが当たると思っていなかった。脚本家の橋本忍も当たらないと思っていた。当時、大学生の息子に尋ねたところ「8月15日に公開すれば当たる」との答えが返ってきた。橋本忍は半信半疑だったが、それを条件に仕事を引き受けた。直前に9月公開と聞き、約束が違うと8月15日に戻させた。 トップシ一ンは、日本列島の地図上にポツダム宣言のクレジットが出て始まる。その後、政治家や陸軍・海軍大臣らの終戦をめぐる閣議が続く。また、陸海軍の若手将校らの戦争続行、本土決戦の突き上げもあり、会議はなかなか進行しない。結局、天皇の決断で終戦は決まるが、国民に知らせる玉音放送をめぐり若手将校の反乱が始まる。 そして、この戦争で300万人が亡くなったとのクレジットと再び日本列島の地図で映画は終わる。出演者名は登場順に出てくる。 これまで何度か見てきた作品だが、橋本忍は当たりそうもない話を玉音放送ができるかどうかとのサスペンス映画として組み立てている。また岡本喜八監督の短いカットの積み重ねはアクション映画そのもので、優れた娯楽作品に仕上がっている。 同じ役者が両作品に何人も 岡本監督は「日本の~」を作ったあと、自伝ともいえる「肉弾」(1968)を無性に作りたくなり、自宅を抵当に入れア一トシアター作品として製作する。大作「日本の~」とは真逆の小さな作品だ。 魚雷にくくりつけられたドラム缶の中、21歳6カ月の「あいつ」が海に漂うトップシ一ンから始まる。魚雷で特攻する隊員の1945年の夏を描いている。しかし「肉弾」は、敗戦濃厚の諦めムードに支配された人物が多々登場し、漫画も用いた多彩な表現で、全編ユ一モアに満ちた喜劇仕立てである。ラストは1968年に海水浴を楽しむ若者たちのシーンで、海を漂うドラム缶の中で骸骨になった「あいつ」が戦争を批判し叫んでいる。 同じ終戦の夏を描いても、「日本の~」と「肉弾」はまるで異なる。さらに、「日本の~」に出ていた役者が「肉弾」に何人も出てくるため、続けて見るといささか混乱させられる。 「日本の〜」で沈着な首相を演じた笠智衆は、「肉弾」ではB29の爆撃で両腕を失ってもひょうひょうとした古本屋の主人。口をへの字にして特攻隊を見送る飛行団長の伊藤雄之助は、東京湾で「あいつ」に終戦を伝えるオワイ船の船長。徹底抗戦を支持する陸軍の髙橋悦史は、酒をコップであおり若者の命を惜しむヒゲの下士官。その他、同じ役者が2本の作品に何人も出てくる。ナレータ一の仲代達矢と音楽の佐藤勝も両作品を担当している。 「日本の~」に感動した人が「肉弾」を見たら、ふざけていると怒り出すかもしれない。また「肉弾」を評価する人が「日本の~」を見たら、自分の立場しか考えない頑迷な指導者を立派に描き過ぎると批判するかもしれない。戦後80年。いまの日本に合っているのはどちらの映画だろうか。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)