【ノベル・伊東葎花】

早春の公園。青空に映える満開の桜。

私は公園のベンチに座って、砂遊びをする息子を見ていた。

「見事に咲きましたなあ」

隣に座る老人が話しかけてきた。

老人は、息子を見ながら言った。

「あの子は、あと何十回も桜を見るんでしょうな」

「ええ、まだ5歳ですから」

「あなたも若い。たくさん桜を見ることができるな」

老人は、ふっと息を吐いた。

「しかし私はダメだ。きっと今年が最後だ」

「そんなことありません。とてもお元気そうですよ」

「そうかね。じゃあ、賭けようか」

老人の目がきらりと光った。

「私があと何回桜を見られるか、賭けるんだよ」

「賭けませんよ。そんな不謹慎な」

「あなたが勝ったら、私の財産をやろう」

「ふざけないでください」

老人は、笑いながら息子に話しかけた。

「ぼうや、好きな数字は何だね?」

息子は、うーんと考えながら「3」と答えた。

「3回か。私が桜を見られるのは、あと3回というわけだね」

「何を勝手に! 賭けなんかしませんよ」

私は、さらうように息子を抱いて公園を後にした。

3年が過ぎた。

あれから3回目の春、3回目の桜だ。

もちろん、ずっとあの老人のことを考えて暮らしたわけではない。

ただ春になって桜が咲くと、どうしても思い出してしまう。

買い物の帰り道、公園の前に救急車が止まっていた。

ベンチで桜を見ていた老人が、急に倒れたのだという。

嫌な予感がした。

公園で老人が亡くなったという話は、近所中で広まった。

老人は「3回目の桜です」と、会う人ごとに話していたという。

あの老人だ。間違いない。

恐ろしくて震えた。まるで息子が予言者みたいだ。

子供が気まぐれで言った数字で、運命が変わるわけがない。

それでも何だか落ち着かなくて、公園に行って、満開の桜に手を合わせた。

どうか成仏して下さいと。

見上げた桜の枝に、白い封筒がぶら下がっていた。

『3年前に、賭けをした方へ』と書かれている。私への手紙だ。

手に取って、恐る恐る中を見た。

老人の、娘からの手紙だった。

『3年前、父と賭けをした方へ』

父は、何かを賭けるのが好きな人でした。だからといって、おかしな賭けを持ちかけられて、さぞ困惑したことと思います。

だけどあの日、父はうれしそうに言ったのです。

「あと3回桜が見られるよ。あと3年、生きられるんだ」と。

父はあの日、余命半年の宣告を受けたばかりだったのです。

3回も桜を見られたのは、あなた達のおかげです。

賭けはあなたの勝ちです。どうか父の財産を受け取ってください。

財産なんて…と思いながら見ると、封筒に1枚の宝くじが入っていた。

ああ、そういうことか。

5億円か、それともただの紙切れか。賭けが好きな老人らしい。

私は、老人の最期の賭けにのることにした。(作家)