【コラム・原田博夫】オーストリア・ウィーン在住のクリスティアン・フェルバーによる独語の「Gemeinwohl-Ökonomie, Deuticke im Paul Zsolnay Verlarg, 2010」の邦訳「公共善エコノミー」が、ドイツ在住の池田憲昭氏によって、2022年12月に鉱脈社(宮崎県)から出版された。この著作は2010年の初版以来、8カ国語に翻訳され、14カ国で出版されている。英語版も「Change Everything: Creating an Economy for Common Good, Zed Book, November 2019」(「すべてを変えよう~公共善エコノミーを創出することで~」)として出版されている。

私自身、国際「生活の質」研究学会(ISQOLS)第15回大会(2017年9月、オーストリア・インスブルク大学)で著者フェルバーの基調講演を聴き、その主張と講演スタイルに独自なものを感じた。主張は後述するが、講演スタイルは壇上を縦横無尽に動き回るのもので、その後、彼が作家であると同時にダンスパフォーマーとしても活動していることを知り、さもありなんと得心した次第である。

講演終了後に面識を持ち、邦訳に関してもいくつかのやり取りをしたが、なかなか的確な出版社を見いだし難かった。そうしたところに、今回の邦訳が届いた次第である。私も邦訳の遅滞を(広義の)関係者の1人として気にしていたので、本書が原著から翻訳されたことを、うれしく思う。

そこでフェルバーの主張だが、これまでの標準的な(アダム・スミス以来の効率性を重視しGDP成長を是とするメインストリーム)経済学の認識や前提を覆すものである。彼の主張は、アリストテレス(紀元前4世紀)の経済社会認識に淵源を求めている。今日の経済学は、すべての人間の良き生活を目標とする「オイコノミア」ではなく、本来副次的・手段であるべきお金の獲得と増殖を自己目的とした「クレマティスティケ」に脱している、と非難する。

主流経済学の潮流に異を唱える

そもそも、どの国の憲法にも、人々の平等な幸福追求の権利とその確保が規定されている。ドイツ基本法(1949年5月公布・施行)第1条では、「人間の尊厳」を尊重・保護することが、国家権力の義務とされている。

日本国憲法(1946年11月公布、47年5月施行)第13条でも、「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、…最大の尊重を必要とする」と明記されている。アメリカ独立宣言(1776年7月)でも、「すべての人は平等に造られ、…奪うことのできない権利には、生命、自由および幸福の追求が含まれる。…これらの権利を確保するために政府が組織される」と明記されている。

今日の多くの政府が至上命題にしているGDP成長などは、明記されてはいない。それがどうして主客が転倒してしまったのか? メインストリーム経済学の暴走とその潮流を変えたい、というのがフェルバーのそもそもの問題意識である。その主張がどの程度成功しているかは、読者層の広がりから推測したい。(専修大学名誉教授)