【コラム・奥井登美子】
盛岡恭彦先生への手紙
清へ「お元気ですか?」のおはがきいただき、ありがとうございました。彼は昨年4月、「ピンピンコロリバタンキュー。家で死にたい」という彼の望み通りの死に方で、宇宙のかなたに飛んで行ってしまいました。
93歳。先生方の手厚い医療のおかげで、痛い所もなく、個性を残しながら、うらやましいような最後でした。コロナのクラスターを恐れて、どなたにも通知せずに納骨など家族だけで行いました。
清の76歳の大動脈解離の時、近代外科の父・アンブロアズ・パレ400年祭の時、東京歴史散歩の時…。ずいぶんお世話になった先生に、ご通知が遅れてしまいましたのを、お許し下さい。
昨年の秋、五所駒瀧(ごしょこまがたき)神社(桜川市真壁町)へ紅葉を見に行ってきました。盛岡先生がパレの400年祭の時に記念に植えたヤマボウシの木も、2メートルの高さになって元気でした。宮司の桜井崇・まゆみさん夫妻もとても喜んでくださり、ヤマボウシの花は普通、白ですが、この木は特別、紅色の花が咲くことを教えてくださいました。
どちらが先に読むか、清とけんか
1991年、日本古来の手作り石灯籠を、フランスの外科医の本源を確立したパレの400年祭に合わせて、生誕地に送るために日本の伝統的な禊(みそ)ぎ行事を真壁の五所駒瀧神社で行いました。
『近代外科の父・パレ‐日本の外科のルーツを探る』(NHKブックス、1990年刊)の著者3人、佐野武先生(東京大学医学部)、大村敏郎先生(慶応義塾大学医学部)、盛岡恭彦先生(東京大学医学部)と、加賀美尚先生(埼玉医大)、奥井勝二(千葉大学医学部)、真壁町医師会の草間昇氏、仏大使館グルギェール氏、仏薬剤師会のテメム氏、石工の加藤征一氏。 画家の新居田郁夫氏、日仏薬学会事務長の奥井清。
今考えると、再現することができない人材。すごい個性の人たちが、かやぶき屋根の神社に集まって、1000年の伝統がある桜井崇さんの祝詞(のりと)を聞き、禊ぎをしたのでした。私にとっても、人生の大事な、いい思い出となりました。 先生の著書「医学の近代史・苦闘の道のりをたどる」(NHK出版)、「人は人をどう癒してきたか」(同)などなど。清と、どちらが先に読むかけんかしながら読み、そして今でも手元に置いて、時々広げて内容を味わっております。(随筆家)