【コラム・斉藤裕之】先日の授業中のできごと。「先生どこで育ったの?」って聞かれた。その子はモンサンミシェルの絵を描いていた。「山口。瀬戸内海で…」って答えた。すると、隣に座っていた子が「お父さん、山口県出身なんです」「へー、どこ?」「金魚の形をした島で…」「そりゃ周防大島でしょ」「そうそう…」。

奇遇というのか、同郷のご子息に出会うことがたまにある。話の流れから続けて、私は将来海のそばに住みたいという話をした。「室積(むろづみ)というところがあってさあ…」。山口県の東部、光市に「室積」という町がある。むろずみ、という響きも好きなのだが、ここは瀬戸内の潮流によって運ばれた砂で島が結ばれた陸繫砂洲(りくけいさす)といわれる地形で、美しい弓なりの砂浜がある。

すぐ近くの虹ケ浜という遠浅で大きな海水浴場は多くの人でにぎわっていたが、この室積はどちらかというとひっそりとしていて、私も幼い頃バスに乗って母と訪れた、室積海岸の断片的な景色をわずかに覚えている程度だ。

「その名前この前授業で習いました。むろずみ」。思いがけず生徒が繰り返した「むろずみ」という地名。「それ地理でしょ。陸繋砂嘴(さし)か砂洲で習ったんじゃない」「多分そうです…」「そういえばあなたが描いているモンサンミシェルも陸繋島だよ。島と陸が砂洲でつながって参道になっていて。むかし行ったことがあるんだ。ここは大きなオムレツが有名で…」

海のそばで暮らしてみたい

モンサンミシェルを建築設計図のように鉛筆で忠実に描いているその子は、初老の先生の話を嫌がらずに聞いてくれた。頭の中には、まだ小さかった長女を連れて訪れたモンサンミシェルのグレーの風景が流れていた。5月というのに寒かったノルマンディ。

「先生、何年かしたら室積に住むんですか?」「来年ぐらいかな!」「うそ、私たちが卒業するまではいてください…」「大丈夫、よくそういうこと言われるけど、そんなこと言って卒業までに一度だって美術室を訪ねてきた生徒はいないから。とりあえず、私のことはさっさと忘れていいから…」

昔から海のそばで暮らしてみたいという願望があった。朝、犬と一緒に砂浜を散歩する。窓から海の見える家。ところが現実はそれほどロマンチックではない。家はさびるし、洗濯物は塩っぽい。台風が来れば海は荒れるし、夏は暑い。買い物も大変だし…。それでも、故郷に帰るたびに海はいいと思う。

最近は暇なときにネットで検索する。「瀬戸内 住む 海沿い」。しかし、意外に思うような物件には出会わない。出会ったところで本気で移住するかと問われれば、いろいろと考えてしまう。今年生まれた男の子には「碧」「凪」「湊」という名前が多いという。人はいつか故郷に帰るということも聞く。「室積の海はきれいよ」という母の言葉を妙に思い出す。(画家)