木曜日, 5月 23, 2024
ホームスポーツW杯応援に1000人 筑波大でパブリックビューイング

W杯応援に1000人 筑波大でパブリックビューイング

つくば市天久保の筑波大学サッカー場で27日、カタール・ワールドカップ(W杯)のパブリックビューイング(PV)が催され、コスタリカ代表と対戦した日本代表に声援を送った。日本は終盤の失点から0-1敗れ、1次リーグ突破は次のスペイン戦に持ち越された。

PVは筑波大学蹴球部と大学公認学生団体の「ワールドフットつくば」が主催した。事前申し込みで無料招待された地域住民と大学生の合わせて約1000人が試合を見守った。

三苫選手ら先輩に声援送る

筑波大は、代表メンバーの三苫(2019年度卒)と谷口彰悟(2013年度卒)両選手の母校。PV会場の第1サッカー場は、2人が学生時代に練習で汗を流した場所となる。

企画した山内健太朗さんは「サッカーによって生まれるつながりを大事にしたい。最近はコロナ禍で活動が限定されていたが、この機会を生かし、市民も巻き込んで、たくさんの人たちにサッカーの魅力を伝えたい」と意図を話す。大学との折衝では開催の意義は理解してもらえたが、感染対策などクリアすべきハードルは高かったという。放映権の購入費用にも大学OBなど大勢の人に協力を仰いだ。

三苫選手らの活躍を見守る蹴球部の後輩たち

蹴球部副務の林田伊吹さんは、第1サッカー場改修に向けて実施したクラウドファンディングの代表も務めている。「イベントを通じてつくばの街を盛り上げ、大学生や子どもたちが来てくれて一緒にサッカーを見ることにより、蹴球部がより大きく人の心を動かせる存在になりたい」と話す。改修は来年2月に完成予定、「改修前に有意義なイベントができた。新しい人工芝になったグラウンドに興味を持って、足を運んでくれる子どもたちも増えるのではないか」と期待している。

試合は、前半立ち上がりから日本が数多くチャンスを作り、その度に観客席からは拍手やどよめきが沸き起こった。だがコスタリカが守備を固めてくると日本の攻撃は鈍り始める。日本は後半16分に三苫選手を投入するなど攻撃のテコ入れを図る。だが後半36分、クリアミスのボールを奪ったコスタリカが先制し、そのまま逃げ切った。

PVに先立ち、両団体のコラボイベントとして、ミニゲームや練習会、サッカーボールを使ったアトラクションなども行われた

観戦者の一人、津島陸人さん(牛久市・中根小5年)は「悔しい。クリアをもっとしっかりやればよかった。三苫選手はドリブルがすごかった」と振り返った。

三苫選手を学生時代から応援しているという藤浪莉子さん(つくば市)らのグループは「大舞台で活躍するところが見られて嬉しい。スペイン戦でも頑張ってもらって決勝トーナメントに進出してほしい」と話す。三苫選手の印象は「当時からずば抜けて上手で、すごく優しく、いつもチビっ子に囲まれていた」という。

「友達に教えてもらって来た」という大学生の岡田航平さん(千葉県八千代市)は「惜しい展開だったが決めきれなくて悔しい」との感想。スタンプラリーで谷口選手のサイン入りスパイクをもらい「まさか当たるとは思わなかった。家に飾りたい」と話した。(池田充雄)

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つくばから全国へ 「ヴィーガン」で「クィア」の2人が贈るレシピ集(上)

悩み、孤独を感じる人へのエンパワーメントに 動物由来の食べ物を摂ったり、製品を身につけたりしない「ヴィーガン」を身近に感じてもらおうと、つくば市在住のユミさん(27)と、パートナーで韓国出身の大学院生ヨニイさん(25)によるヴィーガン料理のレシピ集「韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って」(全32ページ)が3月に出版された。ヨニイさんの故郷・韓国の文化紹介とともに、ヴィーガン風にアレンジした韓国料理が9品掲載されている。 出版元は同市天久保のブックカフェ「本と喫茶サッフォー」(23年9月18日付)で、個人や小規模の団体が少部数で製作する「ZINE(ジン)」と呼ばれる小冊子だ。SNSや口コミで広がり発売1カ月で2刷を迎えた。現在までに関東を中心に全国19書店で取り扱われている。 日々の食卓をSNSで発信 2人はヴィーガンであるとともに性的マイノリティの当事者であることを公表し、「ハンガン・ヴィーガン」というユニット名で日々の様子をSNSで発信している。自身の属性への周囲の無理解から悩みを抱えてきたと言い、今回の出版を「私たちの普通の暮らしを知ってもらうことで、悩み、孤独を感じる人たちへのエンパワーメントにつなげたい」と話す。 2人のSNSには日々の食卓が紹介される。調理を担うヨニイさんは「冬は鍋が多かった。タンパク質は豆腐、厚揚げ、がんもどき。だし汁をカツオから昆布にしたり、肉の代わりに豆腐にしたり工夫している」と話す。ユミさんは「ヴィーガンになって肉料理が多い韓国料理から遠ざかっていた。でも、ヨニイと出会ってまた食べられるようになった。『ヴィーガンでも韓国料理ができるんだ』って感動している」と笑顔を浮かべる。 自分の感覚はおかしくない ユミさんは大学4年でヴィーガンになった。戸惑ったのが食事だった。「(当時)ナッツを乗せたサラダしか食べなかった。1週間後には体も心も辛くなってしまって…」。その後、ヴィーガン料理のあるレストランや本で情報を得ながらメニューを覚えるが、「当時は情報が少なかった。何を食べていいかわからなかった私のような人は、今もいるはず」と話す。今回の冊子では「家庭で作れる普通のヴィーガン料理を紹介したかった」という。だが2人にはもう1つ、冊子に込めた想いがある。「ヴィーガンであることで孤独にならなくていいんだよ」と、当事者たちを励ますことだ。ユミさんがこう話す。 「私はヴィーガンの人と出会えず、ずっと孤独を感じてました。肉を食べないと『ヤバい人』になったのではと思われることもある。でも肉を食べなくても生きていくことはできる。SNSや映画で他のヴィーガンの暮らしを知ることで、『自分の感覚はおかしくない』と思えた。だから私たちも、普通の人が普通にヴィーガンでいる様子を見てもらい、同じ考えを持つ人のエンパワーメントになるものを作りたかった」 社会問題が身近に ユミさんがヴィーガンになったきっかけは、大学時代に短期留学した台湾での経験だ。それまで食べていた好物のガチョウが、目の前を楽しそうに歩いていた。とてもきれいで可愛い。「犬や猫など可愛いペットは食べてはいけないのに、なぜガチョウは食べていいと勝手に思っていたのだろう」と疑問が湧いてきた。いろいろ勉強するうちに「動物は軽率に食べていいものではない」と感じ、ヴィーガンの食生活へと移っていったという。 ヨニイさんはある映画がヴィーガンへの考えを深めるきっかけになった。食用や衣類、実験用にされる「殺していい動物」と、ペットなどの「殺してはいけない動物」を取り上げた映画で、人間の考え一つで動物の命の価値が決まることに疑問を感じた。劣悪な管理下にある動物の実情についても知ることになった。「殺していい動物といけない動物の間に引かれる線は何なのか。勉強する中で、自分が殺せないなら食べるのはやめたい」と考えるようになった。 「動物への差別」を意識したユミさんの関心は、社会の中にある他の差別や環境問題へと広がった。「私はヴィーガンであることで社会問題に関心を持った。暮らしの中にある様々な差別に意識的になることで社会は変化すると思っている。多くの人が日常にある課題に問題意識を持つのがいいはず。今回の本は、その入り口になればという思いもあった」と語る。ヨニイさんは「差別は構造の問題。そこに対してもっと関わっていきたい」と言う。 おばあちゃんの味を再現 掲載するレシピは9品。その中に、韓国に暮らすヨニイさんの祖母と母の得意料理が3品ずつ並んでいる。 「ヴィーガンになると、家族と同じものが食べられなくなるんじゃないかと心配がある。そこでつまずいてしまう人もいる。でもヴィーガンになっても家族のレシピは繋いでいけるし、家族の伝統は守れるんだと言いたかった」とユミさん。 ヨニイさんは「レシピには、大好きなおばあちゃんが作る、私が好きな料理も選んだ。最近、レシピ集を見てくれた在日コリアンの方々から『私のおばあちゃんも(掲載されている)カボチャのスープを作ってくれたんですよ』と感想をいただいてうれしかった」と話す。 「社会人として残業しながら働いていると、社会問題に関心を持ち続けるのも自炊するのも難しい。外食は高いし、料理する時間を作れる人は限られる。自分ができる範囲で、気負わずにできれば。まずは一食から。その時にこのレシピが役に立てばうれしい」とユミさんは、これから一歩を踏み出そうとする読者に語り掛ける。 記者が作ってみた 「ヴィーガン料理、なんだか難しそう…」と漠然と感じていた記者が「韓国フェミめし」を参考に韓国の海苔巻き「キンパ」を作ってみた。ヴィーガン料理を作るのも、食べるのもこれが初めて。レシピに従い、さいの目に切った厚揚げと油揚げを油で揚げて、炒めたにんじん、にんにくスライス、生レタスを海苔に広げたご飯の上に並べていく。甘辛い韓国味噌「サムジャン」を適量垂らして巻きすで巻くと完成だ。 米を炊く以外、正味30分程の調理時間。一口サイズに切り分けて口に運ぶと、よく揚がった厚揚げは鶏の唐揚げのような味と食感。サムジャンの旨味と合わさり食べ応えも十分だ。味にも感激したが、手軽さに驚いた。(柴田大輔) 続く ◆「韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って」は880円(消費税込み)