【コラム・浅井和幸】朝、ちょっとした想定外のことが重なり、約束の時間にギリギリ間に合うかどうかの瀬戸際。少しでも早く着かないかと焦る気持ち。思わず、電車の中でそわそわしてしまう体験はあるでしょうか。
事故なのか、道路工事が重なったのか、渋滞している道路が多く、遅刻してしまいそうだ。すぐ次の信号で止まらなければいけないのに、スピードを出したり、車間距離を短くしたり、体をハンドルの近くまで前のめりで自動車の運転をしたことはあるでしょうか。
そんなことをしても目的地に早くつくはずがないのに、早く前に進みたいという意識が体を前に突き動かし、心臓を早く脈打たせるものです。
そして考えます。あれさえ無ければよかったのに、これさえ無ければよかったのにと、過去のことを。挙句の果てには、そもそも日本の電車のシステムや道路の造り方がいけないのだと、イライラを募らせてしまいます。
間違いなく、上記のそわそわした感覚を持ち、もう少し早く家を出ればよかったと嘆いて、疲れるほど努力をしていることなのかもしれません。日本がいけないのだと考えるのも、とても崇高な考えで素晴らしいのかもしれません。
確かに、目的地に着いたら謝ろうとか、目的地の手前の階段を駆け上がろうとか、早く書類を提示できるようにしようとか、対策は考えにくいものではありますが、この対策を考える方が目的に即しているでしょう。
頑張れと言われれば言われるほど、頑張ることを強制されれば強制されるほど、頑張ることを自分で考えれば考えるほど、この目的とは別の手段で頑張ってしまい、疲れるし、憂鬱になってしまうものです。