【コラム・山口絹記】ファインダー視野率、ダイナミックレンジ、開放描写、色収差。これらの単語、何の用語かわかるだろうか。
カメラとそのレンズに関するマニアックな専門用語である。あえてマニアックと書いたのは、こんな用語知らなくても写真は撮れるからだ。あえて言い切ってしまおうか。こんな用語知らなくていい。知らなくていい、のだけど、知らないでいる、ただそれだけのことが、私たちの生きるこの世界では、もはや難しくなってしまった。
例えばカメラが欲しいと思った時、まず何をするだろう。身近に写真をやっている知り合いがいなければ、きっとおすすめのカメラを見つけるためにネットで検索をするだろう。
おびただしい数のおすすめカメラが提示され、使用するレンズの大切さを一から教示してくれるはずだ。ついでにプロレベルの撮影技術から、あらゆる専門用語にまみれたレビュー情報を摂取できる。これらの知識を雑誌や専門書で手に入れようとしたら、なかなかの金額がかかるはずだ。しかし、ネットで閲覧している限り、全部無料である。ああ素晴らしい新世界。
とはいえ、ある程度の前提知識があればありがたい情報も、これから何かを始めようとしている者には過度な情報の激流に違いない。無料でいくらでも情報が手に入るこの世界線で手に入らないモノ。それは情報に対する適切なフィルターなのだ。
「いちいちうるせぇな」「これでいいのだ」
数多のサイトを巡礼して、やっと決めたカメラとレンズ。通販サイトの購入ページに進めばおのずと目に入るのはどこかの誰かが書き残したレビューだ。そこには「開放付近の軸上色収差が酷(ひど)くて使い物にならないレンズ。売りました」なんて書かれていたりする。まことに余計なお世話である。
そう、どんなものにも欠点はある。当然だ。だって完璧なものがあったら、世の中に同じような性能のカメラやレンズがこんなにたくさんあふれることはないのだから。その欠点を許容できるかどうかは、まずは自分で試してみない限り、わからない。
とはいえ、人様の意見というのはどうにも気になって仕方ないものだ。そんな時のためのとっておきの呪文がある。
「いちいちうるせぇな」「これでいいのだ」。私はいつもこう唱えて、一歩踏み出すことにしている。
なんて偉そうなことを書いているのだけど、実は最近、私自身、食わず嫌いで手を出していなかったモノに手をだして大きな発見があった。それについては次回の記事で書こうと思う。(言語研究者)